5月8日

 

 2009年5月8日は、私たちが31年前結婚式を挙げた日だった。

と、同時に義姉の命日でもあり、知人の誕生日だった。

 人は自分の少ない経験と浅い知識認識で以ってこの日はいい日だとか、縁起が悪い日、

などと言うが、大体が大安だの仏滅なんてのも、江戸時代に作られた冠婚葬祭など行事

の振り分けをする為のもので、そう大した意味はないらしい。

 どの日も誕生日だろうが命日だろうが、良い日でも悪い日でもない。

人の生まれなかった日もなければ、死ななかった日もない。

(記念日だから何だってんだ!)というのが私の考え。

だけど、何かにつけて何処かに行きたい、お祭り騒ぎをしたくて仕方がない夫。

「今日は何処かに連れて行ってくれるの?」と子供みたいなことを言う。

 このところ現実の面倒臭さに厭世的な気分になっていて、それに諦めがついてきたとこ

ろの私は、外食して酒を飲むという夫の案にオケーを出した。

 夫が行きたいという寿司屋は、私たちが結婚した時に住んでいた場所だった。

そして、そこは私の実家に住んでいる娘夫婦の家の近くでもあった。

 そこで仕事を終えたばかりの娘夫婦を、一緒に行こうと誘った。

夫は娘たちを迎えに行ってその足で歩いていきたいようだったが、

「疲れているし風が冷たくなってきたからダメ」という私の一言で4人、車で行くこと

になった。

 車を走らせてすぐに、台風が近づいているという曇りの空から細かい雨が降り出し、

「あんたが正解!」と夫が言った。

車で10分もしないで着いた寿司屋は、私が子供の頃に遊んだG川の横にある。

10年程前に出来たその寿司屋には、まだ一度も入ったことがなかった。

 川の細道から店の駐車場に入って行くと、7時半を過ぎた広い駐車場に車は一台もない。

向かいに大きく看板を掲げた自宅らしき立派な家があり、駐車場に面したその家の窓には

人影が、全く動かないその人影は、よく見ると小学校の低学年位の男の子のようだった。

造りの立派な店に入ると、カウンターの横ついているテレビの音だけでシンとしている。

並んでいる座敷はみな閉じられ灯りが点いていないので、重たい。

 かろうじて一番手前の座敷だけが開いて、灯りが点いていた。

カウンターに座ろうかと思ったが、ネタケースに殆ど魚がなかった、が、そ知らぬ顔で

座敷に入る。

私だけが、日本酒で3人は生ビールを頼んだ。冷酒をと頼んだが、まだ冷酒はないと

女将は言い常温の酒が来た。「辛口で」と頼んだが、何の銘柄か甘口だった。

 刺身盛り合わせと天婦羅盛り合わせ、モズク酢を頼む。

店の通りは車が通らず静か。談笑していると刺身盛り合わせが来た。

 それが、臭い。これは困ったというニオイ。

外は小雨で肌寒いのに女将が、障子を開けてガラス窓も開けた。

 ホッキ貝、赤貝、ホタテ、マグロ赤身、大トロ、海老、烏賊などの中、食べられそう

なのはマグロ赤身だけ。

どれもドロリ、グニャリとしていて大トロなどは肉の脂肪のようで黙ってミンナ顔を

見合わせた。

天婦羅は火が通っているから大丈夫だろうと食べたが、美味しかったのは茄子と椎茸

のみ。

 よせばいいのに夫がボトルを頼んでしまって、食べる物がないので飲むばかり。

早々に席を立った。

 会計をすると2万5千円近い金額。

女将は「2万4千円でいいですよ」と言ったが、どう考えても高い。

 天婦羅も刺身も食べられず殆ど残っている。思わず「お魚、臭うよ」と言うと、

「すみません」と女将は言った。

「あれじゃ、普通の人は、文句言うだろうな」と夫。

「いいんだ、あの店に金払ったと思ってないから、あそこに立ってた子供にお金やった

と思ってるから」と私。

 窓に張り付くようにして店を見ていた子が不憫(ふびん)だった。

夫もそれに気がついて「オレ、最初は置物かポスターだと思ってた」と言った。

 

代行を呼んで、次の場所へ移動、みんな腹が減っていた。

 

5月の連休は、例年の行事で夫がウーロン茶を買いに台湾に行くことになっていて、

今年は一緒になったばかりの娘夫婦も連れて行ってやろうと20万ほど振り込んだが、

新型インフルエンザの騒ぎで、私の一存でキャンセルさせたが、返金6千円。

 そして、その日は、飲んだだけで2万4千円。

「お母さん、散財させて悪いねぇ」と娘が言った。

「いや、チケット代は厄払い、今日のも厄払いだ」と言うと、

「厄払いが多いね」と夫。

「あんた達がシアワセならそれでいいんだよ、シワヨセはお母さんが受け持つから」と

私は言った。

 その話を塚石にすると、「しわ寄せと幸せって、似てるけど随分違うよね」と言った。

 

 次に行った居酒屋は、娘の旦那が通っている所でミンナに可愛がられているんだなぁと

感じて嬉しかった。

 その店の裏にあるA寿司は、新婚当時に通った店だが空き家になっていた。

その頃の知人と出会ったが、景気のよかった大きな家は売却され、家族はそれぞれ別の所

で暮らしているということだった。

 結婚して31年、総てが変化しているんだなぁ。と実感した結婚記念日。

 

 その日から3日経っても娘と私は下痢が止まらなかったが、男たちは何でもないそうで、

鈍感なのか骨太なのか。と思ったが、

 まあ、私たちと暮らしてるんだから、大物なんでしょ。