ありがとう

 

 初めて彼女(モモちゃん)に会った時が何時だったか定かじゃないんだけど、その時の

モモちゃんが元気イッパイだったことは間違いなーい。

 第一印象は頭の回転が速くて、ちょっと早すぎて話が飛ぶとこがあって、人に気を

遣って謝りながらもマイペース。

 人の話を聞くより自分が話したくって、人が困っていると聞くと黙っていられない。

何にかにつけ新しいアイデアが湧いて、それを話している彼女は、ポンポンと飛び石を

渡っていくような感じ。って、何処かにも居るよな、そういう人。

 その時、どっちが先に言い出したのか、私の娘が鬱になったことがある(その時も

そうだった)という話や、私が2001年に何かがおかしくなった話、モモちゃんが鬱

だった時(彼女はその後、3度目の鬱になる)の話が交錯しブレイク、盛り上がった。

すると、モモちゃんはノニというハワイのジュースで良くなったと言い出だしノニに

ついてとくとくと説明し、“爪もみ”が効くから誰かにあげるタメにと何枚もコピーして

持ち歩いているんだというパンフレットを私にくれた。

 その後、子連れの友達を連れて来たらしいが、私はよく覚えていない。

その時の私は、子供に挨拶したのに母親が子供の代わりに返事するのを見て、

「子供に挨拶しているのだからお母さんは口を出さないでくれ、子供が自分で声を出す

なり行動するのを待ってくれ、それをするのが親や大人の役目で修行じゃないか」と

いうようなことを言ったらしい。

 まあ、それは何時ものことだからきっと言っただろう。

そしたらその友達は私のことを怖いと言って、モモちゃんがいっしょならいいが一人では

来れないと言ったらしい。

 それを聞いた私は(アチャー)と思ったが終わったことは仕方がない。と思った。

そして、これから気を付けようと思ったのに、最近も同じようなことがあった。

人を怖がらせずに私の想いを伝える。人に恥をかかせず、怒らないで(感情的にならず)

伝える。これが私のテーマ。と思いつつ暴走してしまう私。

 

 それから社交ダンスを始めたモモちゃんは魅力的だった。

なにせ体力があって華やかで行動的、気持ちが前向きでオープンな人だから水を得た魚の

ように生き生きして見えた。

 その頃だった。

私は娘の鬱状態に、自分もちょっと落ち込んでいた。

 娘は東京に住んでいたが毎週のように実家である我が家に戻ってきていた。

 

鬱と一口にいうが、一人ひとり全部その背景も症状も対策も違うのではないかと思う。

体験したんだから、家族にそういう人が居るから私は分かると言う人が居るが、私は

その分かるという考えが危険な気がしてならない。

 鬱になる人は真面目で几帳面ないい人だ。と言う人が居た。

自分のことしか考えない視野の狭い人が鬱になる。という人も居るが、いい人だとか

悪い人だとかじゃなくて、逆にその要素のない人は居ないんじゃないかと思う。

 私は決めつけがキライだが、決め付けないという決め付けに縛られていると自覚して

いる。でーも、分かっていても止められないのが人間なんだよなぁ。

 でも、止められなくていいと開き直っていない、少しずつ直していこうと思ってる。

だって、苦しいんだもん。

 というココ、“苦しい”ってことは歪んでいるというお知らせ、直せっていう自分の中の

声なんじゃないかな。

 

最近、娘が「鬱を経験したことで一つ階段を登った気がする」と言うのを聞いて

ちょっと、思い上がるんじゃねえぞ、と思ったのだが、よく聞いてみるとその言葉の意味

は、他の人より上に行ったとかということじゃなくて、自分の中の階段をということだ

と分かった。

「鬱はエライことでもダメなことでもないんだよね。

その時はそうなんだよ、どうしようもないんだ。だけど、治ってみると、って本当に卒業

したかどうか分からないけど、親とか周りの人のありがたみが本当に分かるね。

鬱になっている時は天涯孤独で世の中スベテが敵だったけど、みんな優しいんだなぁって

元に戻ってくると分かるんだね。

あたしは、親とかお姉ちゃんとか家族が居たから助けられたけど、ミンナ必ず誰か

何かが見守ってくれているんだよね。鬱になるとそれが見えなくなっちゃうんだ。

可哀想だよね」

鬱を経験した人は価値観や考え方が、その前より深くなっているような気がする。

娘は「鬱になって良かったと私は言えない、本当に辛かったもの。

でも、必要なことだったんだって思う」と言った。

 話戻って、その鬱真っ盛りの娘を駅に見送った帰り駅の階段の途中でモモちゃんに

バッタリ出会った。

 私はちょっとセンチメンタルになっていた、それから行く所もあった。

そんな私にモモちゃんは自分の近況を報告し始めた。

 まるでお姉ちゃんに向かって、最近自分にあったことや今の気持ちを話す妹みたいに、

途切れることなく次々と話した。

私はその様子を愛しいような危なっかしいような気持ちで見ていた。

「今、急いでいるから」と言ってもモモちゃんは話を止めず、私は

「あのね、自分のことを全部喋らなくていいんだと思うよ」と言った。

「私もオシャベリで、自分のことだったら何でも喋って構わないと思って喋っちゃうん

だけど、自分が納得するだけでいいこともあるんじゃないのかな」と言うと、

モモちゃんは「だって、シャベリたいんだもーん」と高らかに言った。

「でも、相手は、それを聞きたいと思っているかな」と聞くと、

「えっ」とちょっと沈黙があった。

「また、遊びに来てね」と何度も言って別れた。

 人懐こく無防備で人に気を遣いながらマイペース、それは、私の姿だった。

 どーも、その後でモモちゃんは鬱が入ったらしい。

今回、モモちゃんが来て、その話したが覚えていないという。

「きっと、有頂天になってた時だから人の話、聞いていなかったんだよ」

「私って相手の核心を突くことを言っちゃうから、あの言葉がモモちゃんを奈落の底に

落としたってことはない?」

「だから、聞いてないから」

「そうかぁ」と言ったが、半分は落ち込ませなくてよかったと思い、半分は残念と思った。

“相手は聞きたいと思っているかな”というのは、私が話をする時相手の様子も見て

自己嫌悪の落ち込みが来ないタメの“おまじない”で、モモちゃんに教えたいことだった。

 

 モモちゃんは、新しい言葉を作るのが上手だ。

以前に嫌なことは吐き出して、その後は

「キャンセル!キャンセル!」ってすればスッキリするし後に残らないとモモちゃんが

言ったのが我が家で流行った。

「それが今も使われているんだよ」言うとモモちゃんは

「アタシのこと覚えていてくれたのぉー」と目を潤ませた。

 モモちゃんは謙虚なんだか自分が分かっていないんだか、

(あんたのこと忘れるわけないでしょー)、と思う。

 

 そして、“ありがとという名前でモモちゃんから言いたい放題に書き込みがあった。

 3回目の鬱を経験して脱したのだという。

「でもね、もう大丈夫って言わないんだ、そういうこと言うとまたやってくるから。

調子に乗って浮かれてたからあんなことになったんだ」というモモちゃん。

 ここから先は、モモちゃんと、寿玄夢の書き込み。

このまま過ぎて消えてしまうのは勿体ない気がしてここに書き残すことにした。

この他にもいろいろな投稿があって興味深かったのだが、モモちゃんの書き込みだけ

にした。

 

  言いたい放題

 

<ありがとう> 投稿者 ありがとう(モモちゃん)2009年 8月14日5時44分

 8月12日にお邪魔した者です。

 約2年振りの再会なので私のことなど忘れられていたかと思っていましたが

「キャンセル、キャンセル!!」で覚えていて下さりありがとうございました

これからは、「良かった〜、良かった〜」「ついてる!!ついてる!!」

 「ラッキーラッキー」の他に

 「だいじょぶ♪だいじょぶ〜♪」

 「どんまい、どんまい〜」が流行るのが楽しみです

 これからも言葉のキャッチボールを楽しめたらいいですね

 それじゃ、いつまでもお元気で

(と沢山のカラーの絵文字と共に投稿があった)

 

<アリガト>   寿玄夢   8月14日   9時56分

 私はあなたと何処か似ている気がします。

  大丈夫!って言う時は、大丈夫じゃないって思っているからだって聞いたことがあり

ます。

  お化け屋敷で、より怖くなるオマジナイというか言葉が「怖くない、怖くない」なん

だって。

私は理屈を並べますが、それは迷っているからじゃないかと思うんです。

そして、迷いながら進んで行くのもいいなって思う今日この頃。

元気、自分の元の所に気を戻してユックリやっていきたいなぁ。

いろんな人が、いろんな道を一所懸命歩いてる。

みんな健気でステキだと思う今日この頃。

今からお墓参り行ってきまーす。

 

<私は躁鬱病?>    ありがとう   8月16日 6時12分

私はウツに三回もなってしまいました。

最後のウツの真っ最中に「躁鬱病」だろうと言われ、そんなはずはないと反発しまし

たが、治りかけてきた頃、もし今回のウツが治ったら、一度調べてもらおう!

そうすれば三回も繰り返したのが単なる鬱病なのか、躁転しただけなのかハッキリする

と思ったのです。

私は小学生の頃は通信簿の積極性がオールAでした。

自分でも物怖じしなくて明るく元気なお転婆娘と自覚していましたから、まさか子供の

時から躁鬱病だったのでは!?といわれるとは思いも寄りませんでした。

鬱は自覚できるけど、躁病になっているとは自分では分からないので、専門医に調べて

もらったら私が三回も鬱になったのが、性格的に落ち込みやすいだけだったのか、躁鬱

病の繰り返しだったのか判明するので、私自身安心できると思いました。

看護婦や保健婦の友人に頼んで調べて貰ったら2ヶ所見つかりました。

どなたか躁鬱病の診断が出来る病院を知っていたら、教えてもらえたら嬉しいです

心療内科では正しく判断出来ないそうです

2度心療内科を受診しましたが、患者や家族の話と躁鬱のアンケート結果を参考に

鬱病と言われましたが、嘘をついたら誤診もありうるなと思いました。

このコーナーに投稿するには不適切な内容でしたらごめんなさい

 

<何でも>   寿玄夢   8月16日 12時53分

言いたい放題、書いてください。というのが、ここのテーマというか私の想いです。

私が貴方に思うことはありますが、診断や評価は私は好みません。

貴方は貴方であって、それ以外の誰でもないと思います。

 私も分裂症と言われたことがあります。

私は貴方が好きです。(お世辞じゃないよ、好きでない人もいるよ)

 そして、みんなも言いたい放題、言ってチョ。

 

<言葉って>   寿玄夢  8月17日 7時33分

難しい。

 気持ちを伝えようと言葉にすると、気持ちから離れていく気がする。

きっと私が書きながらもどかしく残念に思うように、私に何か言ってきた人も

チガーんだよ。と思っているかもしれない。

 だけど、喋ることや、書くことで、伝わることが必ずあると信じてる。

自分の思う通りの答えでなくても、自分が思う通りに発信出来なくても

発信し続けたいと思う。

 

<この間>     寿玄夢   8月19日 19時48分

 動物を助けている人に向かって

 「スベテの犬猫を助けられないなら、1匹2匹助けたって意味がない」と言っている人

 が居ました。

 完璧でなければ意味がない、見返りのないことには意味がないという人が居ます。

 私は、小さな誰にも認められないことをどれだけやっていくかがテーマのつもりです。

 あと、人を気にしないで自分を生きようと思うようにしたら気が楽になりました。

 でも、自分に関わってくるとやっぱり平常心では居られない。

 生きることって、サイの川原で石を積み上げては崩され、それでもイヤにならないで

 積み上げていくようなもんじゃないかな。  って思ってるんですよぉ。

 

<今>   寿玄夢    8月20日 8時21分

 畑の草を引いて、この春貰って植えた生姜を収穫した。

 プチトマトが真っ赤になってて、明日葉とシソと茗荷は昼の天婦羅にしようと思う。

 バジルも生い茂るブッシュのお陰で日焼けせず、いい香りを放っていたので、鶏肉と

 オリーブオイルで焼いてみようかな。

 毎日、ラズベリーを食べるのが日課で、今年も残り僅かになった。

 まだ残暑はあるかもしれないけど、短い夏だった気がするなぁ。

 

<あー、夜になったら>   寿玄夢   8月20日 20時04分

 太鼓の音が聞こえる。

虫の声、涼しい風。

ビールを飲んで、鮎の塩焼き。

朝、夫と喧嘩したことなんか忘れちゃう。ホント、ゼンゼン忘れちゃうもんねーだ。

 

<生きてるって大変だけど楽しいね>   ありがとう   8月21日 6時40分

 生きるってのは賽の河原で…って、それに似た表現を私なりに感じてる事があります。

 私は13年前に娘が不登校になったり、8年前に両親が病気になるまで、親の傘の下で

 ノホホンと暮らしてきたような気がします。

 でも、両親を診始めてから、三回鬱になってからは、鬱から回復する度人生観について

 深く考えるようになりました。

@     人生はあざなえる縄のごとし

A     人間万事塞翁が馬

B神様は乗り越えられない試練(ハードル)は与えない

Cいくら思い悩んでもなるようにしかならない

D試練は神様から与えられた成長するための人生の練習問題

E幸せは不幸な顔してやってくる

Fすべてのことに意味がある

G人生に無駄はない

H『幸せ』という字は+−=+−で構成される。だから

I「幸せ」という字は「辛い」に−足しただけ。

だから、辛いことがあった後には幸せがやってくる。

など諺や誰かが言ったことを実感しました。

幸せな時は「喜怒哀楽」があるけど、不幸な時は「悲哀辛苦」しかないなぁと思いま

した。

今は3度目の正直で三回鬱になりましたが生還する度鬱になったことを神様に感謝して

 ます。

 だって森羅万象すべてのことに喜びを感じ、美しい物は美しいと感じられるように

なったり、小さなことに感謝できるようになれたからです。

でも、それが時間とともに当たり前のの生活になり感謝や反省を忘れ、自己中心で

わがままで天狗で傲慢で、穏やかさがなくなり怒りを振りかざすようになったら、

神様がまた特別授業で勉強させてくれたんだなぁとしみじみ感じました。

 

<うん>   寿玄夢   8月21日 12時42分

まるで自分が書いているみたいに納得。

ありがとさん、アリガトウね。

ホントウに辛い時、人はホントウの哲学者になれる気がする。

今日のお昼は誰も居ないから何も作らないで、パンを齧りながらインスタントのスープ

と切っただけのソーセージとキュウリにトマト。

一人で本を読みながら食べるのが一番のご馳走って言ったら家族に悪いかな?

 

<鬱が治ったら家族と喧嘩が…>   ありがとう   8月22日 6時

悩みというほど大袈裟ではないけど、なぜか鬱が治ったら家族と喧嘩になりやすいのは

なんでだろう…

鬱の頃は、家族は腫れ物に触るように気を遣っていながら、気うぃ遣わない振りをして

いた。

思いやりに溢れ、私を責める事なく言い方も優しかったけど、鬱が治ったら、タガが

外れたようにきつい言い方をしたり、不平不満愚痴を言い始め、初めての大喧嘩が三回

一度は長女の言いっぷしがあまりにも憎たらしいから、Jホンダから歩いて帰るから、

あんたはТに帰っていいから!!と車を降りた。

それまで、疲れ果て帰りたいと言っていたのに、アドレナリン一気に放出!!

火山の大爆発状態になり、重い荷物など物ともせず、サッサと歩き始めた。

怒りってパワー出すんだなぁと思った。

昨日、いつも長女と私のなだめ役の次女と出掛けたら、時間がないためイライラして

いたのに気付かない私は、八つ当たりされたとは思わず、口のきき方が悪いと怒った。

いくら親子でも言い方は大事だと思う。

親は大人だから広い心で子供のあやまちを許せと言われても、私は譲れない

だって「親しき仲にも礼儀あり」って、親子、親友、上司と部下、医者と患者、先生と

生徒などいろんな人間関係に共通することだと思うんだよね

最後まで「売られた喧嘩は買う」と言い張ったが、今思うともっと違う対応が出来た

かもと反省。

次女から「さっきは時間がなくてイライラしてたからきつく言ってごめんね」とメール

がきた。

「お母さんもそのせいでイライラしてたのに気が付かなくてごめんね」と言った。

家族ならどんなに喧嘩しても、唯一本音で言い合える人たちだから、きつさも思いやり

も一番出やすいんだなと思った。

「雨降って地固まる」で、家族でもたまった膿を吐き出さないといつか大噴火するん

だなと思った

家族だから何も言わなくても分かるっていうのは、傲慢かもしれない

 

<あはは>   寿玄夢   8月22日 13時49分

おっ、笑ってゴメン。

これまた、自分の家族を見ているような状況。

あんた、いいねぇ。(これを読んでいる人、失礼と思うなかれ、ありがとうさんは

ぶっちゃけた人でユーモアを解する人だと私は思っているもんで)

あなたが躁鬱状態だった頃に私が感じたこと、書いてもいいかな?

 

<怖いなぁ…でもどうぞ>  ありがとう  8月24日 0時52分

私が躁状態の時は、今思うと自信に溢れて、自分は間違っていない!!と妙な自信が

あり、正義の味方になったつもりで、友達とも喧嘩したり市役所の無礼な若造の対応

にぶち切れてタンカ切ったこともありました。

その後書類に書こうとしてもアドレナリンが放出されて手が震えてかけなかったです。

躁状態になると自信過剰、地球の未来は自分の手にかかっている位に太っ腹になりま

したね。

まぁ、今でも緑の地球を子孫に残すのが自分たち先祖の使命だと思っていますけどね。

ただ、今回はバカ正直になるのはやめよう、肝心な時空気が読める人になろう、罪を

憎んで人を憎まず、常に謙虚である(難しいけど)、私が私がはやめるなど、反省点

ばかりでござりまする。

どうぞ私に対する感想教えて下さいね。

すべて勉強ですからね。

 

<もー>     寿玄夢   8月24日 9時46分

私とダブリ過ぎですよー。

 でも、これから描くことは、あなたであってあなたではない。

私が描く虚像ですから、参考になればそれもいいけど、それに振り回されないで欲しい

と、念じつつ、さあ、描いてみようかな。

 

それから、何時にも増して沢山の方からの投稿があった。

それはモモちゃん効果が大だと思う。

 彼女には、人の気持ちをオープンにさせる何かがある気がする。

 

 さて、モモちゃんのことを描こうと思ったが、やっぱり本当の所は分からない。と

いうことに気が付いた。

なので、モモちゃんのことはさて置き、私のことを話すことに方向転換することにした。

そーだよ、何時でも違うと思ったら変えればいいんだよ。ね。

私はオープンに見えて、人と付き合うのが面倒臭いといい続けてきているが、

やっぱり人が好きなんだと思う。

 人の役にたちたい。自分を投げ捨てても人を助けたいという気持ちが強い。

そして、運が良い、とても良いと思う。実力以上に認められることが多い。やりたいと

思うことはやり続けていると必ずといっていい程道が開ける。

 それを言うと「頑張ってきたからだよ」と言われる。

が、反面、被害妄想になった私は「なんで自分にばかりこんなことが起きるんだ、私が

頑張って築き上げてきたものを壊すんじゃねぇ!」と蜘蛛の糸のカンダタみたいになる。

 調子が良い時には、誰かの助けになったり良いハタラキをすると、自分の行いも他力

の力であることを忘れ「私ってスゴイ人なんじゃないか」と有頂天になる。

 まあ、自分で言うのも何だけど運が良くて実力以上の力を出すことが多いのよ。

そこで、感謝されたり褒められたりすると照れてぶち壊しの行動をして誰かを悲しませる

ことをする。

 或いは、もっと良いことをしようと、そこで止めときゃいいのに余計なことをして

良かったことをなし崩しにしてしまう。マサに蛇足で蛇にならない。

 私に大事なのは、状況を見ること、コントロール、何処でブレーキをかけるか。

何時、手を出すのを止めるか、止めることも、意思を持って行うことだ。

 

ちょっと自分の良いと思う所も言ってみる。

私は怖がりだ。

調子に乗ると自分が正義の味方になったつもりになる時がある。

そこに、見えない悲しみやそれぞれの都合があるということを忘れて裁こうとする。

 それが怖い。でも、それが怖いと思っていれば大丈夫な気がする。

 

 私は鬱の娘を連れて心療内科に行った時、スイッチが入った直後だったので、自分の話

もした。

すると、その医師が

「お母さんは、鬱というより分裂症ですね」と言った。

 (へー)、と思った。(やっぱり、ねぇ)と思った。

医師は、

「若しどうしても辛いなら薬がありますよ。でも、あなたは魅力的な人なんじゃないかな。

あなた、人気あるでしょ、薬を飲むとその面白さが平凡になってしまいますよ」と言った。

 私は、最初から薬を飲む気はなかった。

その話をすると「最近は精神の分野も日々変化していて分裂症と言う医師は居ない」と

言う人や「失礼な医者ね」と言う人が居て(誰が失礼なんだか)と思う。

躁鬱でも鬱でも分裂症でも統合失調症でも何でも名前を付けたければ、付けたらいい。

何と言われようと、自分が自分であることには変わりはない。

 ただ、生き辛いことが耐え切れないならば病気として治療しなければならないのだろう。

そうでなければ、自分の中で折り合いをつけてやっていけばいいんじゃないかと私は思う。

 折り合いのつけ方は、人それぞれ自分で見つける。

私はそう思っているし、そう努力している。

 

 イヤだと思うことと面白いことはセットになっていて、片方だけに切り離すことは

出来ない。

 甘い汁だけを吸うことは、出来ないんだよねぇ。

 

 そして、苦い汁にはちゃんと甘いオマケが付いてるんだぁね。