朝しゃん

 

 私が洗面所で朝シャンしてたら、すぐ横の台所でご飯の用意をしていた夫が、水を出し

た。

って、突っ込み所満載です。

奥さん朝シャン、旦那さん食事の用意。ってのは、我が家ではよくあること。

 まっ、それはさて置き(置くんかーい)

 

 暖かいシャワーを頭に当てて気持ち良く洗っていたら、急に水になった。

我が家は、色んなトコにクセがある。

ホットカーペットを使っている時は、エアコンが使えない(電気が落ちる)

居間のエアコンと私の部屋のエアコンは一緒に使えない。

 2階にある風呂と洗面所とキッチンのお湯は、何処かが使っていたらその他の所は

使えない。トイレを流すとその3か所の水の出は極端に悪くなり、電気還元水の機械が

「水量が少なすぎます」と騒ぎ出す。

 1階は、住まいとしては使わなくなったが、一畳の掘りごたつの電気量は半端じゃな

くて、せっかく入れた大型のエアコンは同時に2つは使えなかった。

 などなど、その他にもあっても使えない無用の長物、宝の持ち腐れ的なモノが、バブル

時代の思い出みたいになっている。

 

 あっ、シャワーの話だった。

そういう訳で、お湯が水になった。

「チメテッ!」と思ったが、ちょっと待つ。

 それに気がついた夫が、急いで水を使って止めた。

「ワリーね」っと私、

「でぇもさぁ、ここの家って何処を取ってみても満足なトコってないと思わない?

何か使うタメには、何かを止めたり動かしたりってさ」

「そーだな」

「あのさぁ、神津カンナさんの講演で聴いた話思い出したんだけどさ、ベトナムだか

カンボジアだったか、そういう国に行ったんだって。

その時、家の中で子供たちがテレビを見てて、ここに電気来てるんだと思ったら

外でお父さんが自転車についた発電機を回してだったんだって。

そのうちお父さん疲れて足を止めると、家の中から子供たちの叫ぶ声が聞こえる。

そうするとお父さん、また一生懸命発電機のペダル漕ぐんだって。

インドのニューデリーだかのスゴイ一流ホテルに泊まった時も、シャワーが急に水に

なるのなんか当たり前で、シャンプーの途中で水が止まることも珍しくないんだってよ。

まぁ、大分前に聴いた話だから今はもう変わってるかもしれないけど。

 でもね、日本に来たそういう人たちは、『飲める水でトイレ流してる』ってみんな

びっくりするんだって。

カンナさん、日本人は今の暮らしが当たり前だと思っているけどスゴイことなんだって、

そういうことが他の国に行って初めて分かった。って、言ってた」

「そうだよなぁ」

「アタシらの頃はお湯で洗いものするなんてことは考えられなかったけど、4つ下の妹の

頃になったらお湯で洗いものするようになって、自分が水で洗うから勿体ない気がして

妹に文句つけたりしてね」

「あんたなんかいいでしょうよ、オレの頃なんか水道がなくて風呂は水汲んで運んで、

洗濯は川に行ったんだぞ」

「おー、ジイサン川で洗濯かい」

「紅顔の美少年だよ」

「どーこがじゃ」

「でも、川で靴洗いしてると魚が寄ってきて、それどこじゃなくなっちゃうんだよな」

「楽しいねぇ」

「あぁ、だから、靴洗いに行く時は釣りざおとかバケツ持っていくんだ」

「そりゃ、確信犯だな、何しに行くんだか分かんねえべ」

「そーなんだぁ、いー時代だったな」

「だけどさぁ、今もいい時代だよね。こーやって、朝っぱらからお湯で頭洗えるんだから」

「そうだな」

「ムカシもシャーワセ、イマもシャーワセ」(きんさんぎんさん風に)

「みんながそういう気持になれば、世の中がもっと良くなるんだ」

「おっと、そこまでにしよう、『もっと』って言葉が出ると向上心みたいに見えて、

それまでにあった楽しいことが打ち消されるから」

「なんで、そこで文句付けるんだよ。あんたも『そーだね』って言ったらオシマイで

しょうよ」

「アタシは駄目なんだ、そう思えない時はそーだねって言えないんだ」と言うと夫は

面白くない顔になる。という、最後は何時ものパターンになった。

 

 私は、人はというか今の日本人が、なのか分からないが、

何か嬉しいことがあるとそこで喜んでオワリ。じゃなくて『もっと、よくしよう』とか、

『これを逃がさないようにしよう』という執着心。

或いは『どうだ、みんなもそうなれよ』という、自分は知ってるという優越感とか

教えてやるという上から目線になる気がする。

 そうなると、そこにあった「いー、ねぇ」「よかった、ねー」(もう中学生風に)

というホンワカとしたいー気持が、セセコマシイつまらないものになってしまう。(私は)

 

 夫の実家は山の中の宿場町にある。

西と東に高い山があって、南北に通じるその町のメインストリートの中央に建っている。

 その道路を挟んだ斜め向かいに、夫の母の実家がある。

小学生だった夫は、釣りざおとバケツに汚れた靴を入れて祖母の隠居の前を通って東側の

川へと下って行ったのだろう。

 祖母が声を掛けてきて、時に飴なんかを貰ったりして。

川までは2,30メートル、急斜面があって畑がある。 

 石段が川へと通じていて、その時の水量によって石段の高さが変わる。

そこに腰を掛けて靴を洗う。

 なーんてゼイタクなんだろう。

四季折々の風景、風、太陽、流れる水、泳ぐ魚。

 早起きすれば、東の山から登る太陽が目の前に見られる。

西側に連なりそびえ立つ山で、冬は日暮れが早いが、夏は早く日陰になる。

 秋が来てつるべ落としの時期、そこに立つとなんともいえない気持になる。

山はずっと変わらずそこにあり、私が見る風景は夫が見たものと殆ど変わっていない。

 

 なんだか、シャーワセだなぁー。と思う。