弁当箱(ムカドン)

 

 お母ちゃんの二つ下の弟、kおじちゃんは僕が二歳の時におばちゃんと結婚した。

その頃の結婚は式場など借りず、自宅で親戚と近所の人たちを呼んで行うのが、ごく一般

的であった。

僕は二歳の時に、今の家に引っ越して来たが、その前に住んでいた家の横にあった

坂と、そこに並べられていた盆栽は覚えているのに、kおじちゃんの結婚式は、覚えてい

ない。

 式の時に僕は、三々九度の酒注ぎをやったらしいのだが、その時がどんな様子だったか

覚えていないのが、残念だ。

 

kおじちゃんは、面白い人で沢山の武勇伝を持っている。

普段は借りてきた猫のように大人しいのだが、酒を飲むと気が大きくなり陽気になる。

優しくて照れ屋で、そのくせ調子に乗るととんでもないことをやらかす。

飲み過ぎると黒目が瞼の上に半分隠れてしまい、他人を睨む様な目つきになる。

そうなったらもう酒を飲むのは止めろという合図である。

それは周りの者たちからは一目瞭然なのだが、本人だけが納得しないから困る。

 kおじちゃんとおばちゃんはお見合いをして、一緒になった。

おばちゃんの方が先におじちゃんを好きになったらしいが、真意の程は明らかではなく

いずれにしても、あのおじちゃんと仲良く?暮らしているおばちゃんには敬意を払う。

 

その日は陽も伸び始めた春の夕方だった。

僕のお父ちゃんとお母ちゃんは届け物があって、kおじちゃんの家へ行った。

kおじちゃんは、まだ仕事から帰っておらず、おばちゃんだけが居た。

「もう帰って来る時間だから、にいさんもねえさんもゆっくりしてってよ。」と言われ

二人は、茶の間に上がり込み、お茶を飲んでいるとkおじちゃんが帰ってきた。

kおじちゃんは玄関を通らず、庭の方から直接茶の間のほうへ向かって来た。

そして、茶の間のガラス戸を勢いよくガラリと開けると

そこに、お父ちゃんとお母ちゃんが居る事など目もくれず

「てめぇ、このバカヤロー、弁当箱、弁当箱って、そんなにこの弁当箱が惜しけりゃ、

くれてやるわぁ!」と言うや否や

 風呂敷包みの中から、アルマイトやタッパーの弁当箱をおばちゃんに向かって投げ出し

た。

「このやろう!このやろう!」と野球選手になりそこねた、ペンキ塗り日本一になった事

のある大きな身体が、おばちゃんに向かって次々と弁当箱を投げつける。

「その時、おばちゃんどうしたと思う?」とその時の様子を実況中継していたお母ちゃん

が僕に聞いた。

「うーん、わかんねぇな、おばちゃん怒ったのか?」

「それがぁ、やっぱりkと一緒に暮らしているだけはある、おばちゃんは大物だよ。

流石のお母ちゃんも、ああはなれねぇな。」とお母ちゃんは言った。

kおじちゃんが渾身の力で投げる弁当箱から、「アーレー、アーレー」といいながら、

お膳の陰に右へ左へと身を除け、七つ八つもあった弁当箱が投げ終わるのを待って、

お膳の下から顔を出し、ニッと笑って言ったという。

「お父ちゃん、あたし、よけんの上手でしょ。」

「その時のお父ちゃんてば、ただびっくりして目を丸くして部屋の隅の方へ行って、

ちゃーん とお座りしちゃってんだよ。」とおかしそうにお母ちゃんは言った。

 僕は、kおじちゃんにも似ていると言われる。

忘れっぽくて、傘を持っていけば忘れてくる。

弁当を持っていっても、弁当箱は持ち帰らない。

曲がったことや弱い者虐めが何より嫌いで、案外怖がりだ。

そんなおじちゃんに、おばちゃんは弁当箱を持って帰ってくれと再三言っていたらし

い。

そう言われるその度に、おじちゃんは捨てたとか、乞食が持っていったとか言っていた

らしい。

しかし、度々、弁当箱と言われるうちに自分が持ち帰らない事は棚にあげ、

腹が立ったので、仕事場に忘れて置かれてあった沢山の弁当箱をかき集め、

帰りに一杯ひっかけて勢いをつけて家に戻り、弁当箱投げとあいなった次第である。

そこに居合わせたお父ちゃんとお母ちゃんは、面白いものが見られ、こうして僕の耳へと届いたのだ。

 その後、シラフに戻って大人しくなったおじちゃんは、おばちゃんに

「あれ?弁当箱、捨てたり、乞食に持っていかれたりしたんじゃ、なかったのけぇ?」

と聞かれていたという。

 

 春の夕暮れ、白く飛ぶのは弁当箱。