母と子(後編)

 聡24歳、母律子50歳。

聡は、昨年まで順風満帆(じゅんぷうまんぱん)で生きてきた。

一流大学を卒業、一流企業に就職、月9万円のマンションに住み、彼女も出来た。

 それが、去年の初めに仕事で失敗し、同僚に迷惑をかけたことに耐えられず、退職した。

みんなに引き止められたが、自分のプライドが許さなかった。

 それから、バイトをしようと思ったのだが上手くいかず彼女に振られ、事故も起こした。

生きる気力を失い、食事も満足にしていない状態だという。体重は、50キロを割った。

 

 律子は、そんな息子が心配でならない。

しかし、律子も結婚した2,3年後から上手くいかなくなった夫と、最近、別居に踏み

切っばかりで、夫からの慰謝料も生活費も出ず、友人の所で働き出したが、自分の生活で

精一杯なのだという。

 

 聡は、貯金も底をつきマンションの家賃が払えなくなっている。

律子は、早く安いアパートでも見つけて引越しなさいと口をすっぱくして言ってきたが、

聡は、何をどうするでもなくグズグズと暮らしている。様に、律子には見える。

 そう、律子の目には、そう見えるというだけで、聡の心の中は分からないのだ。

律子は分からないということに気が付かないでいた。

 

「前のあの子は、あんなじゃなかったのに、今は、何も話してくれないの。

あたしだって、苦しいのにあたしの話は、聞いてくれないの」と彼女は言った。

「あなたのタメに彼は話すの、あなたのタメに彼は聞くわけ?」

 

「前は色々“話してくれた”のに…」と、彼女は言う。

「何故、今は“話さない”んだと思う?」

「自分の生活がタイヘンだからかしら?」

「んー、生活がタイヘンだったら余計、話す相手が欲しいと思うけど?」

「分からないわ」

 

「私の考え聞きたい?」

「ええ、教えて」

「私が思うのは、今のあなたは、彼と会話していない気がする」

「どういうこと?」

「今のあなたは、一方的に彼に質問して、要求を出して、答えを求めている気がする。

それに、あなた中心に世界が回っているように感じる」

「そんなことないわ、息子を助けてあげようとしてる」

「キツイ言い方をするけど、話してくれないんじゃなくて、彼は話さないんだよね。

彼は、彼の意思でもって、今のあなたに話したくないから、話さないんだよね。

彼は、今のあなたに、話したいけど、話したくないんだと、私は思う」

「どうして?」

「あなたも、今、タイヘンな時期かもしれないけど、彼もタイヘンな時なんだよね」

「そうなの、だから分かってくれてもいいと思うんだけど」

「だーかーらー、分かってもいいと思うのであって、分かって“くれても”っていう

コジキの物貰いの気持ちが、彼の負担というか、嫌なんじゃないかと私は思うのよ」

「よく分からない」

 

「この間息子のマンションに行ったら逃げたって、言ってたわよね」

「そうなの、もうマンションの立ち退きの期日が迫ってきていて、マンションの整理や

手続きどうするのか話し合いたいのに、電話には出ないし、

だから、突然行ったら、窓から逃げたのよ。それも二階から飛び降りて…」

「失礼だね」

「息子が?」

「ううん、あなたが、息子の今の状態が何であれ、息子の縄張りに突然入っていくって

ことは、ルール違反だよね」

「だって、電話にも出ないし、あのままだったらマンションにある荷物処分されちゃうの

よ。だから、お母さんが片付けてあげるって言ってるのに」

「それは、彼がすべきことなんじゃないの?」

「私は、手伝ってはいけないの?」

「ううん、そういうことじゃなくて、

何をどうするかを決めるのは、彼の権利と責任だってこと。

それは、彼がお願いしますって頼んできてから手伝うんであって、あなたが先走って

勝手に何かしようとするのは、順番が違うと思う」

「でも、早くどうにかしないと荷物処分されてなくなっちゃうのよ。

じゃあ、私は何も言ってはいけないの?」

「そんなこと言ってないでしょ、言いたいことは言ったらいいでしょ。

但し、領域を侵さないでね」

「どういう風に?」

「私はこう思う、こう感じている、こうして欲しいと思っている、あなたはどうですか?

ってね。

でも、こうに決まってる、こうしなさい、こうしてあげる、って一方的に決めてけて

やっちゃうてのは、領海侵犯だよね」

「んー、でも、もう何ヶ月も家賃払ってあげているのよ、保証人になっちゃっているから

マンションの方からの電話も受けなくちゃならないし、文句も言われているのよ」

「私が息子だったら、悲しい」

「何故?」

「あなたの言い方は、保証人になったことを後悔しているように聞こえるし、

助けてやりたいって言ってるわりには、〜しなくちゃならないっていう言い方が多い」

「…」

「本当は、息子のことが心配で、何とか助けてやりたい気持ちでイッパイなんでしょ?」

「ええ、息子が元気になって暮らせるようになったら、もう何にもいらない」

「そう伝えたらいいでしょ」

「でも会ってくれない」

「もう、息子に下駄を預けたら?」

「どういうこと?」

「彼を一人前の人間として認めて、対等に付き合うのよ」

「どういう風に?」

「携帯は使えるんでしょ?」

「携帯だけは、生きてるわ」

「じゃ、携帯で事務的なことは伝えたら?

マンションは何時までに立ち退きだと連絡があり、それまでに荷物を整理しないと処分に

なるそうです。ってね、それを読んでどうするかは、彼が決めて彼が行動するでしょ?

そこに、何か手伝ってほしいことがあったら言ってください。って入れておけば、

それから先は彼が考えて決めることでしょ。

親は頼まれてから行動するくらいでいいんじゃないかって、私がしてきた山のような失敗

から思うようになったの。必ずしもそうだとは限らないだろうけどね」

「息子は、もう放っておいてくれって言ってる。もうホームレスにでもなるから放って

おいてくれって…」

「そう、辛いねぇ」

 

「今度、メール入れたら」

「何て?」

「用事があってそちらに行きますが、一緒に食事しませんか?美味しいもん食べない?

オゴっちゃうぞ。で、ハートマークなんか入れてさ」

「そんな場合じゃないでしょ」

「そんな場合じゃないから、そんなことするんでしょ、辛い時に平気な顔して、冗談の

一つも言えなきゃ大人じゃないでしょ。

そんでもって、息子と恋人みたいに食事するのよ」

「前はそうだったのよ、親子じゃないみたいだって友達にも言われて」

「その関係をまた作ればいいじゃない?

前は苦労知らずの、その関係で、これからは、苦労を乗り越えての大人同士の関係、

カッコイイんじゃなーい」

 

「でもって、アドバイス」

「何?」

「その時に言ってはいけないこと」

「何?」

「あなた、痩せたんじゃない?ちゃんとご飯食べてるの?

マンションの手続きはちゃんとやったの?荷物の整理はしたの?

仕事は見つかったの?これからどうする気?」

「ふふ、言いそう」

「でしょ、だめだよ言っちゃ、息子はあなたに話したいんだと思うよ。

でも、あなたが、つまらないことばっかり聞いてくるから、っていうのは俗っぽいことで

責めてくるから、大事な話ができないんだと思うよ。

ちょっといい雰囲気の処でゆっくり食事でもしてごらんよ、

あなたもゆったりした気持ちでさぁ。

絶対、彼、今の気持ちを吐き出してくると思うよ。吐き出してくれるんじゃないよ。

あなたは、嬉しいから〜してくれるって言っちゃうのかもしれないけど、

彼は、彼の土俵で、彼の思いで吐き出すんだからね」

「分かった。前は、あんなに話してくれた、じゃなくて、あんなに話した息子なんだから」

「そーだよぉ、子どもも進歩して、母親も進歩するんだ。一緒に進歩!」

「エイエイ、オー!」

 

 子どもの幸せを思い、良かれと思ってすることが、必ずしも子どもの幸せとは限らない。

でも母親は、子どもの幸せを思って、ある時は子どもを苦しめ追い詰めていることに、

気付かず大真面目で間違いを仕出かす。

 その時、間違いであっても、その時、それは必要なことなのだと思う。

そして、大真面目で間違うことで、一緒に成長している。進歩しているんだと思う。

                   ガンバレ、負けるな、エイエイ、オー!