ボタン

 

 麻子の店、ティンカーベル(何時からそういう名前だったかは、68を参照)は、

2012年に広い所に移転した。

移転の話はいずれ書くことにして、兎に角、新しい広い店に移ってから、明らかに

新しい型の、新人類っていうんですか?が、現れた。

 以前の店は、狭くて入り組んでいたが、新しい店は60坪120畳だから、前の店の

3倍も大きくなったわけだ。

 駐車場も何倍も広くなり、店らしい店になると同時にそれまでのフレンドリ−なお客

とは違うお客が来るようになった。

どいういう風に違うのかというと、何となく覚めてるというか、心が通わない感じで、

そういう人が、店っていうのはこういうものなんですよ。と“ご教授”してくる。

 

 それは、半年に1回位の割合で指導が入る。

どういった指導かというと「店員の声が大きい」「無駄話が多い」

「ディスプレーの勉強をしてみたら」「マニュアルを作ってみては」など

麻子が目指している「仲間でやってる普通じゃない店」とは違う道を教えようとする。

 麻子の店に対するコンセプト。ちゅうんですか?理想としているのが、先ずは

“働く者が楽しんでいること、真剣に働いていること”

“誰(お客、仲間)に対しても本当に親切であること”と“信頼”で、その基本の柱は

“リスペクト”だ。

麻子は、マニュアルを作らない。

何故ならマニュアルを作るとそれに頼ってしまって目の前のことを自分の目で見て

考えなくなるからだ。

 店に限らず、「生きることは常にライブ。目の前にあること、起きていることをちゃんと

自分の目で見て、自分の頭で考えろ!と麻子は言う。

事態は常に変化している。だから、常に変化しているということに於いては変化しない。

これを無常、生々流転。という。と、そういった話になると、麻子の話は長い。

 

 で、またこの話があった。

 

 麻子が店奥でお客と話していると、慌てた様子の塚石が電話の子機を持って走って来た。

「あのー、お客様が買った洋服のボタンがなかったって」

余程慌てているのか、

「何だか、怒っているみたいで」と保留になっている受話器の話口を両手でしっかりと

押さえている。

 塚石は、ゴステ(身体)はデカイが、気が小さい。

普段は明るくて、いざとなったら腹をくくる潔い所もあるが、何かあるとすぐにドキドキ、

バタバタして麻子を頼ってくる。

 麻子は、それまでお客と話が盛り上がっていた勢いで

「はいはーい。

どぉーもぉー。何、ボタンが取れてたんですって?すみませーん」と電話に出ると、

「だから、何なんですか?」と、静かな声。

「えっ、何がって、ボタン取れてたんですってね。どーもすいませんでしたねぇ。

来ていただくのは申し訳ないんですけど、一度店の方に来ていただいて、交換でも

返品でもさせていただけますか?」

「あなたは、オーナーさんですか?」

「いやー、オーナーって程のもんでもないんですけど」

「だから、その言葉づかいはなんですか?」

「えっ、ウチの者が何か失礼なことでも言いましたか?」

「あなたですよ」

「えっ」ワシ?

「なまってて失礼ですよ」

「えっ」なまってて。って言われても。

「どうにかなりません、その話し方」

「どうにか、って言われてもこれで生きてきちゃたから」

「開き直らないでください」

「いや、開き直るもなにも」

「隣のオバチャンと話してるワケじゃないんですから」

「…」 あのぉ、この間メダカで一緒に遊んでいた小学生が夢中になって何回か

『オジチャン』って呼んだ後、オバチャンって言い直してたけど。

「社員教育、ちゃんとしたらどうなんですか?」

「…」 あのぉ、なまってる自分に出来るでしょうか。

 と、そこいらで、気が付いた。

こりゃ、反論してはならない人種だ。

「お幾つなのか分かりませんけど、私より年だけは取っているみたいですけど」

「はい、今年還暦になるんですが勉強不足で、申し訳ありません。

どーも、すみませんでした。はい、これから気を付けます」と電話を切った。

電話の主は最後まで声を荒げることもなく、静かな、静かな声だった。

 

 塚石の話では、75%オフで、500円で売ったエプロンにボタンが付いていなかった。

という電話だった。

「これはボタンが付いてないのを売っているんですか」

「いや、違います。たまたまボタンが付いてなかったみたいで、何時もは点検してから

お渡ししてるんですけど、申し訳ありませんでした」

「そうですよね。ボタンがないような物、使い物にならないでしょ」

「どうも申し訳ありません。

それで、返品でも交換でもどちらでもいいんですけど、させていただきますので、

お店の方に来ていただけますか?」

「来ていただけますか。ってことは、そちらが交換に持ってくることもあるんですか?

それに、『来ていただけますか』って何ですか、来ていただけますかはオカシイでしょ。

普通は『ご来店いただけますか』でしょ。あなた、日本語の勉強、し直した方がいいん

じゃないですか」と言うのを聞いて、そのあたりで麻子の所へ走って来たのだ。

 

「“なまって”て失礼。って言われてもなぁ」と、麻子。

「あたしは、今さら日本語の勉強し直す気持ちはないですから」と、塚石はむっとして

いる。

 

「そうです、私が年だけ食ってる変なオジサンです」と麻子はおどけて見せたが、

 ちょっと落ち込んだ二人は、どーしたら良かったんだろうかねぇ。と考えた。

で、結論を麻子が出した。

「この間、陳健一さんがテレビで喋っててさ、

『お店を流行らせるの?簡単だよ。自分が行きたいと思う店にすればいいんだよ。

僕は、働いている人が明るくて楽しそうな所に行きたいな。真面目にピリピリしてて

厨房からどなり声が聞こえてくるような所は幾ら美味しくてもいやだな。

それで、面白くて美味しい所がいい。ウチなんて中華なのにメニューにないパスタなんか

出しちゃうんだぜ。そこいらにある蟹でクリーム作っちゃってさ。こーれが評判いいの。

そういうの邪道だっていう人は格式高い店に行けばいいんだよ。

自分が行きたいと思う店を作っていけば、自然と同じ好みの人がファンになって集まって

くるから、自分が求めることをぶれずにやっていけばいいんじゃないか。って僕は思うよ』

って、言ってたんだ。

私は、キサクで気取らない、心のこもった、面白くて、安くて、商品がイッパイある店に

行きたいな。

いつまでもウロウロして遊んでいても気がねしないで居られる店、買いたい物がなくても

閑な時にちょっと遊びに行けるような店があったらいいな」

「それって、ここの店じゃないの」

「えへへ、そぉかぁ。

いいよ、ウチはウチのやり方でぶれずに頑張っていこう。

そうだ!これから、“近所のオバサンが居る店”って、キャッチコピーに使うかな」

「近所のオジサンじゃないの」と、塚石のツッコミが出た。

 

 店で子供に何か(飴とかオマケ)配ることがある。

嬉しそうな子供が照れながら「ありがと」と言う。

 すると、「ありがとじゃないでしょ!ありがとうございましたでしょ!」と言う親が

たまに居る。

 そこで「ありがとうございました」と言い直した子供の顔から笑顔は消えている。

 

 形に囚われると、大事なモノが消える。ことがある。

 

 でーもなぁ。と、麻子は思う。

自分は正しいと思う人が争いを起こす。という。

 

 あの電話の人は、どんな生まれ育ちをしてきたんだろう。

そこで、何を見て、何を感じ、何を思い、何を考え、今の彼女になったんだろう。

 大きなお世話なのは分かっているが、彼女に家族は、友は、居るんだろうか。

彼女は、自分を愛し許す人だろうか。

 

 答えってあるのかなぁ。ないのかなぁ。

あるとしても、一つじゃない気がする。