ブラックベリー

 

 その地域(あたり)は、ブラックベリーが、枝もたわわに実る場所でありました。

土地が良かったのか気候風土が合ったのか、その時期になると、どうしたんだい。という

位にとブラックベリーがなりました。

 昔から、その地域ではジャムやジュースを作ったりしてはきましたが、なるに任せて

地面に落ちる物も沢山ありました。

 

 その中のある村、そこには、“頭がいい”と評判の男が居ました。

男は、「こんなに“イイモノ”を無駄にするのは勿体ない。あるモノは最大限に利用しなけ

ればならない」と言い出しました。

 そりゃぁ、近年マレにみる頭のいい切れ者の男が言うことです。

更に男は「モノを無駄にするのは、神に対する冒涜だ」とまで言いました。

 そして、ブラックベリーのなる頃になると、村中総出でブラックベリーをもぎ取り、

ブラックベリーのならない村まで出かけて行って売り始めました。

 その村の人達は、それまでブラックベリーのなる村に知り合いが居なければ、ブラック

ベリーを食べることが出来なかったので喜びました。

 お金さえ出せばブラックベリーを食べることが出来るのですから。

そして、ブラックベリーを売り出した村はお金持ちになっていきました。

 その村の大人たちは喜びました。

そして、頭のいい男の指導のもと、ブラックベリーだけでなく色んなモノを最高利用する

ということを知り、行っていくようになりました。

 でも、みんなが身を粉にして働き、みんながお金持ちになり、村が豊かになった時、

何かがオカシクなったのです。

 いつの間にか、その村の習慣であった歌を歌ったり、踊ったり、お祭りや、お花つみ、

川遊び、山遊びが、姿を消していました。

 昔は働くことを楽しんで、喜んでいた女子供は勿論、男達も機嫌が悪くなりました。

働けなくてもみんなに大事にされていた年寄りや障害のある者たちが、一所に集められ

ました。

 そして、働かない者、働けない者が自分を否定するようになりました。

それだけではありません、幼い子らも働く間は一所に集められるようになりました。

そこにはやっぱり泣く子も沢山居ましたが、みんながやっていることです。

家でお母さんと居ることは許されません。

昔みたいに集まって遊ぶお母さんも、子供の仲間も、年寄りも居ないのです。

 

 頭のいい男の最大限利用と効率と合理主義は留まるところを知りませんでした。

「あっ!虫に食われている。こんなことでは、商品にならん」と、防虫剤を使い出しま

した。

「もっと効率よく沢山出来るようにするんだ!」と、化学肥料を使い出しました。

 そして、よく、違う村のことを引きあいに出して笑いました。

「見てみなさい。あの村人たちを。

ボロを着て、ボロイ家に住んで、部屋がないから大人も年寄りも子供も一緒でグチャ

グチャ暮らして、要するに怠け者なんです。よりよくなろうとする努力が足りないんです。

あんな風になったらミットモナイと思いませんか?」

 それを聞いた村人は、「本当にミットモナイ」と笑いました。

 

 でも、笑われた村人は笑って暮らしていました。

その村には掟(オキテ)があったのです。

 欲張らない。今を大切に生きる。感謝の心で生きる。人間だけでない生きものは全て

家族。出来ることを一所懸命行う。不器用に生きる。天衣無縫で居る。

 合理的でない彼らを怠け者と言う者もおりますが、彼らはよく働きます。

本もよく読みます。話し合いをよくします。

 そして、みんなが納得する形で答えを出してきました。

一人だけ突出して頭がいい、という者はこの村にはおりません。

 トツトツと話す者がおります。みんなは、急がずその者の話に耳を傾けます。

幼い子供が何か言い出しました。

それにもみんなが耳を傾け、その子が何を言おうとしているのか聞きとろうとします。

みんなよく話します。よく聞きます。

だからでしょうか、争いがありません。

土地の自然の恵みは人間だけのモノではない。

必要なだけ採って少し蓄えたら後は動物や自然に“お返し”するのが道理だ。人間も

自然の一部なんだから。

 そういう時、村人はお返しすると言って、与えるという言葉を使いません。

自らも与えられているのだ。ということを知っているからです。

 土に帰された種は新たな芽を出します。土は固めてはいけない。と村人は思っています。

子供たちは、犬や猫たちと裸足で走りまわっていますが、危険なことはありません。

 土を汚してはならないということを大人が知っていて、大切に守っているからです。

 

掟にある“天衣無縫(てんいむほう)”とは「天から頂いた衣は、縫う、取り繕う必要が

ない」ということです。何故ならその衣は縫ってないから綻(ほころ)びることがないの

です。

 天衣無縫は、特別の人にしか天から与えられていない。と思う人が多い中、その村の

人は、全ての人にその衣が与えられているということを知っています。

 そして、それがどういう衣かを知り自分の努力で着ているのです。

それは、着ると言っても、着ないということです。

 自分に正直にありのままを受け止めること、背伸びしたり見栄を張ったり、認められ

ようとする気持ちを捨てて身軽になること。

 それは、水の中で力を抜くように容易ではありません。

でも、習慣と訓練によって誰でも出来るようになることです。

 

 勤勉で楽しむことを大事にする村人は、笑って暮らしています。

 

 そうそう、あんまり言いたくないんですが、合理主義で最大限利用の村。

蜂が居なくなって作物が採れなくなったらしいですよ。

 蜂って化学薬品でダメになるらしいですね。

土もカチカチになってミミズも居なくなったみたいです。

 だもんで工場を造ってガンガンやってるみたいですが、煙で空が汚くなって

病人がドンドン増えてるみたいです。

 病人は身体だけでなく心を病む人が増えて、身体の病気がなくても自ら命を絶つ

人が後を絶たないそうです。

 

 それを聞いたボロイ家に住む村人たちは、心を痛めています。

それは、決して地球が一つで自分の村にまで汚染が来るからではありません。

 分かりますよね。

自分さえよければ、自分に何もなければ関係ない。と考えることの悲しみ。