分(ぶ)を弁(わきま)える

 

美咲のファンみたいなその人(タミコ)は、最近、週に1回は電話してくる。

 

 電話が鳴った。

「はいっ、はーい」

「あっ、美咲さん?」

「そうだよ〜ん」

「何時も元気ですよね、いいですねぇ、美咲さんの声ってステキです、」

と、タミコは、毎回美咲を誉める、誉めまくる。

「カラ元気だよ」

「カラ元気だって、ステキです」

「あっそう」

「美咲さんは、元気がない時ってあるんですか」

「んなワケねぇえべ。ワシだってカイブツなわけじゃないんだから」

「そぉですか、アタシが電話したり、お会いした時に元気がなかったり不機嫌だった時が

一度もないものですから、若しかしたら、美咲さんは落ち込んだり元気がない時が、

ないんじゃないかと思って」

「それは、タミコさんの過信。不機嫌はあんまりないと思うけど、よーく怒ってるだろう

よ」

「でも、不機嫌なのと怒るのは違いますよね」

「あっ、うん、そうだね。

ワシ、何か面白くないことがあるからって仏頂面したり、不機嫌なのを見せたりするって

のは、自分のプライドが許さないんだ」

「美咲さんって、カワイイですね」

「そーかぁ、旦那にはお前みたいに可愛くないやつは二人と居ないって言われってっけど」

「それは、愛情表現ですよ」

「いいよ、愛情なんて気持ち悪りいから」

「美咲さんにこんなこと言ったら嫌がるかもしれませんけど、色んな人に可愛がられて

大事にされてますよね」

「んー、違うって言いたいけど、そうねぇ、色んな人に助けられてるってのは事実だな」

「旦那さんも美咲さんのこと大事に思ってて、守ってるって感じるんですけど、

あの、こんなこと言ったら失礼かもしれないですけど、塚石さん、ツカちゃんって

美咲さんが呼んでる彼女、彼女も美咲さんのことが大好きですよね」

「さぁー?」

「美咲さんがどう思ってるか分かりませんけど、アタシはそう思います」

「あっそう」

「あの方、良い人ですよね」

「うん」

「それに頭が良いですよね」

「うん、頭いいねぇ」

「アタシ、ツカさん見てるとスゴイ!って感心してしまうんです」

「なにが?」と言いながら、統合失調症で病院に運ばれたことのあるタミコが、観察眼

などというものでない普通の人には分からない何かを感じる力があると美咲は思う。

「あのぉ、ツカさんってずいぶん長いこと麻子さんの所で働いてますよね」

「んー、そうだね」と、言いながら、塚石が誰より長く自分と時間を共にしてきたんだと

改めて気が付いた。

 

 美咲は、変わっていると実際に言われたり、相手がそう思っているだろうと感じること

がある。

筋が通っていなことを嫌い、言葉の端はしに文句を付ける美咲と話したり付き合って

いくのは大変だろうと美咲自身でさえ思う。

よくこんな人間と長いこと一緒に仕事をしているなぁ。と美咲は思った。

「でも、ツカちゃんのどういうトコがスゴイと思う?」と聞いてみた。

すると、「ツカさんって、分を見極(みきわ)めるっていうんですか?

ゼッタイに美咲さんの前に出ばりませんよね」とタミコは言った。

それを聞いて(分は見極めるじゃなくて弁(わきま)えるじゃろが)と一瞬思ったが、

うん、と心の中で大きく頷いた。

 塚石は、美咲の財産や力に対し『いいなぁ』だとか、『アタシも欲しかった』などと

物欲しげだったことがない。

 お客と話している時、横から口出しすることがない。

なのに、話を振った途端ちゃんと乗ってくる。その間合いが絶妙で美咲に恥をかかせる

ことがないのだ。

毎日来ている塚石に美咲の家庭はまる見えの筈だが、どんなに酷い状態でも忠告をする

ということがなかった。それが、美咲にはありがたく、大いに気に入っている。

 でも、それは、無関心で関係ないということではなく、親身になって話を聞いたり心配

していると美咲は感じている。

 我がことのように考えるとか親身になるというのは、我がことではないということを

知っていなければ出来ない。と、美咲は思っている。

 “人間関係は、距離感と風通し”とある友人が言っていたが、美咲もそうだと思う。

旅館に泊まると、挨拶にきた女将(おかみ)がお客との間に扇子を置いて挨拶する。

 それは、お互いの分を弁え、しゃしゃり出ない。不埒(埒から出るよう)なことを

しない。という約束の結界なのだと聞いたことがある。

 普段は誰にも負けたと思うことのない美咲だが、調子に乗ると人の領域に入り込むクセ

があると自覚している。

この分を弁えるという事においては塚石に負けていると美咲は思う。

それは、ちょっと悔しい気もするが、それは手本にして見習えばよいのだと納得する。

 

「ツカさんって、どの位居るんですか?」

「んー、平成元年からだから、23年か」

「そんなに長く居るんですか、私が美咲さんのお店に行くようになったのは、25歳に

なる正輝が小学生の頃だから、それより後ですね」

「そんなになるんだぁ、タミコさんも」

「ええ、でも、何でツカさんはそこで働くことになったんですか?」

「それがね。

ツカちゃんって、意地っ張りで泣きごとを言ったり、弱音を吐くってことをしない人なん

だよ」

「そういう感じ、分かります。

いえ、根性が悪いとか突っ張ってるとかっていうんじゃなくて、だってユーモアがあって

楽しい人だし、親切だし。何ていったらいいかなぁ、毅然としてるって感じですか」

「そうだね、何があっても自分の中で納めて他人の所にケツを持っていかない。って

言ったらピッタリかな。

それが、23年前のあの時は、お店のお客でウチに来てたんだけど

『あの、何かやれる仕事ありますか』って自分から言ってきたんだよ」

「へぇー」

「で、『縫物出来る?』って聞いたら『パッチワークで座布団、作ったんですけど、

1枚がやっとで、もう1枚は中途半端で押入れに入ってます』って言ったの」

「へぇー」

「それが気に入って、『じゃ、何か頼むかな』って、丁度その時に店の建て増しがあって

ツカちゃんが来て助かったー」

 美咲は、自己評価をわざと低くしている人も、見栄を張って自慢している人も苦手だ。

以前『手伝ってあげるわよ』と言って働きに来た人を使ったことを失敗したと思っている。

何か仕事を頼むと『やってあげるわよ』と必ず言うのを聞く度に

(だったら給料もらうなよ!)と思った。

その人は『やってあげる、教えてあげる』と同時に『やってくれない』が口癖だった。

美咲は恩着せがましいことが、何より嫌いだ。

そして、やって“もらう”ことを求める意地汚さを嫌悪する。

 

塚石には、そういうものが、最初っからなかった。それを塚石に言うと、

「美咲さんがウルサイから感化されたんじゃないの」と言うが、

栴檀(せんだん)は双葉より芳(かんば)しで、その人の根本にあるものはそう変わる

ものではない。

 良い意味で意地っ張りで、物欲しげでなく、頑張りやで、見栄っ張りでない、なかなか

居ない人と巡り合ったもんだと美咲は思う。

「だけどねぇ、私とツカちゃんが一緒にここで仕事することは、運命で決まっていたの

かもしれないんだよ」

「えー、どうしてですか」

「だってね、

ツカちゃんが結婚して愛知県からこっちに来たのが、38年前になるのかな、ウチの店

から10キロんとこに家を建てたのが23年前で、在宅で仕事をすることになった旦那

さんと毎日二人きりで居るのに耐えられなくなって『何かやることありませんか』って

私に声を掛けたらしいんだけど、それからカーテンとか縫物をすることになって、工業用

糸が1本2千メートルで、使った糸の数が10本20本じゃきかないから何万メートル

縫ったのかって感じだよね」

「スゴイですね」

「それが、二十歳でこっちに来る直前にツカちゃん、お母さんと2人で道歩いてて、大塚

撚糸っていう会社の奥さんに会ったんだって」

「ふーん」

「その人は、普通の人の分からないことを言うってか、教えてくれる人で、ツカちゃんを

心配してたお母さんが『この子は将来どうなっとるやろ、何をしとるやろ』って聞いたら

『頑張ってみんなに可愛がられて義理張りは多いけど、幸せにくらしとる。

でも、なーんやろなぁ、マースグ、マースグ縫っとりゃーす、なーんやろなぁ、

着物でもにゃあし』って言われたんだって、それまで、ツカちゃんって満足に縫物したことなんてなかったのにだよ」

「へー」

「それから15年後にウチに来て、そんなことしないツカちゃんが自分から声掛けてきて

マースグ、マースグ何万メートルも縫うことになったんだねぇ」

「不思議ですね」

「不思議だけど、何だか道は決まっていてある程度出来てるのかな、って思うと嬉しいね」

 美咲は、塚石が居なかったら人生が変わっていたような気さえする。が、なるように

なり、なるようになっていくのだと思う。

 だから、こうだったら、ああだったら、ではなく、こうなるようになっていたのであっ

て、そこで自分がどうしていくのかを見つけ実行していくことが、自分の分なんだと思う。

 

知り合い、縁が繋がれる人というのは、何らかの縁で結ばれているんじゃないかと美咲

は思う。

 塚石が来て何年もしない頃、そういったテレビが流行った。

西郷輝彦が出ていて、前世で侍だったと言われていた。

 その時、一緒に戦った仲間が今の仕事にも関わっていて彼を助け後押しし、その時は、

行方が分からなくなっていた。

 二人は自決していて、墓があるということで行ってみると山の中に朽ち果てた墓が見つ

かった。

 まあ、やらせかもしれない。そういう風に考える人も居る。

だけど、実際に今世の問題としてだけでは理解のしようのないことがある。

 敵同士のような夫婦、片方が逃げたくても逃げられず、片方が執着している親子兄妹。

友達になる人も、どうしてこんなに相性が悪いのに離れられないのかという人が居る。

 

 タミコは、夫婦の問題を抱え、そこから子供の問題に繋がっていた。

美咲にも自分を乗り越えていかなければならないことがある。

 その話から、どうして、そういうことになったのか。という所で立ち止まったままで

いるのを止めて、これから何をしていくかに心を向けて行こう。という話になった。

 そして、取り敢えず、次にやるべきことが見えてきた。

それは、美咲もすべきことで、次への希望が湧いてきた。

 

「ありがとうございます。私、美咲さんとお話すると元気になるんです」

 以前は、ごめんなさい、すみません、ごめんなさいと謝ってばかりいたタミコが、最近

明るくありがとうと言うようになった。

「いや、私、あなたの為に喋ってるつもりはないんだ、何でも解決の糸口が見つかると

次に進めるんだな。それって、私自身のことでもあるんだな」

美咲は、誰と話す時でも教えるつもりはない。ただ思うことを話していると色んなこと

と符合し、自分が教えられていたことに気が付く。

「美咲さんと話してると、自分が近所に人に仲間はずれにされて陰口言われてみじめだなんてこと、どうでもいいことになるんです。それくらい生きる勇気が湧くんです」

「そりゃよかった。でも、ここで、直し」

「何ですか?」

「近所の人に“仲間はずれにされた”っていう被害者の話し方は、なし。

あなたとは関係ない人なんだから、その人は自己責任において仲間はずれをしてる、

悪口を言ってる。かもしれないけど、“言われた”“やられた”って、自分で自分を縛ら

ないこと」

「はい!そうですよね」

 そう言った後で、タミコは必ず復唱する。

「言われた、やられた。じゃない、その人はそう言っただけ、そういうことをしただけ。

その人の行動は、私には関係ない」

 

 彼女は、以前玄関の前に猫の死骸を見つけた。

近所のその人が置いたようだという。

「猫の死骸を置かれたんですけど私ってオカシイですか?」と電話口で震えるタミコの

声を聞きながら、「先ずは“〜された”っていう言い方を辞めようよ」とその時、美咲は

言った。

「その人は、他所のお宅の玄関に猫の死骸を置いた。あなたと何があったか分からない

けど、そういうことをするということが、オカシイことだと私は思う」

「やっぱりそうですか。そういうことをされる私がオカシイのかと思ってしまうんです、

私」

 タミコは、人を責めないようにする為に自分の心身を責めるということをしてきた。

そして、どういう訳か、職場でも近所でも集団の中に入るとイジメに合ってきた

 

 タミコは、以前病院で鬱と診断され薬を呑んでいたが、辛いことがあって眠れないから

と睡眠剤を呑んだ後の記憶がなくなった。

その時、救急車で運ばれたが家族には分からないことを言って暴れ、統合失調症の診断

をされる。

そういう人達のグループホームに“行かされた”ことがある。とタミコは言う。

「本当は行きたくなかったんですけど、そこはイヤな所で、でも私が何か言ったらもっと

オカシイと思われるから我慢して黙っていたんですけど、

『だいじょーぶぅ、だいじょうぶよぉ』なんて猫なで声で話し掛けられると、

こんなこと言ってはいけないんでしょうけど、蟲ず(むしず)が走る程気持ち悪かったん

です」とタミコは言った。

「何かにつけて大袈裟に『わー、よかったねー』なんて拍手されると気分が悪くなるん

ですけど、ニヤニヤして我慢してたんです。

あそこは、人を一人前に扱わない所なんですか」

「んー、分かんねえ。

でも、何かにつけて猫なで声出す人って居るね」

「そういう人って偽善者なんじゃないでしょうか」

「んー、それが良いことだと思っているからやってるんだろうね」

「私、美咲さんにいくら怒られても」

「ちょっと待て、ワシ怒ってない、思ったことを言ってるだけ」

「すみません。間違えました。

『自分のことばっかり話す気になってないで、人の話を聞きな、ちゃんと最後まで聞いて

それについてちゃんと考えてるか?』って美咲さんが言った時、そんなことを私に言った

人は、親も含めて一人も居なかったよなぁって感激したんです」

「あー、あれは怒ってたって感じだった」

「美咲さん、色々正面からバシバシ言いますよね、でも、私ちっともイヤじゃないんです。

バカにされてるって思ったことないし、気持が良くなって、自分に自信が持てるんです」

「あー、そりゃあ、良かったね。そしてワシ、嬉しい」

「美咲さんにウソがないから、お店にあんなにお客さんが集まるんですね」

「んー、どうだかね」

「そうです。私、分かるんです。

私が美咲さんのお店に行くようになってからも、沢山新しいお店が出来ましたよね。

でも、なくなったお店が沢山ありますよね」

「そうだね」

「そんな中で残っているっていうのは、品物だけじゃない何かがあるからだと思うんです」

「そうかね」

「そうですよ!」と、このあたりからタミコの話し方に力が入ってきた。

 そして、ずっと通っている店に活気がなく品物も死んだようになっていてオーナーが

一人でぼんやり座っているんだという話を始めた。

 すると、美咲は、そこに居る人の居場所のない悲しみみたいなものを感じ、

「居場所がないんだねぇ」と言ってしまった。が、すぐに、

「あのね、この話止めよう。

この話をするのは失礼だよ。

人の領域に口出ししたり、人の状況でも、気持ちでも覗いちゃいけない」

 タミコが、その店の話を始めた瞬間、カチーンと小石が落ちた音がした。

3月の地震で壊れた屋根の補修にと張ったシートの上には、土嚢袋が置かれてある。

 そこの小石が美咲の部屋の前にあるサンルームに落ちてきたのだ。

でも、それまで小石が落ちる音を聞いたことはなかった。

 次のカチーンという音は、これから先のことは話してはいけない。と疚(やま)しい

気持ちになった美咲の心に響いた。

「そうですよね」とタミコは言いながら

「でも、やっぱり、分かりますか?」とタミコが言い、

「だから、おしまいにしよう!」と美咲が言った瞬間だった。

 美咲が飼っている二匹の室内犬が、電話をしている美咲の部屋に吠えながら突進して

きた。

 と、同時にバラバラと小石が突然の雨のように落ちた。

 

「ねぇ、私達がもう一つ気を付けなければならないことが分かったよ」と美咲が言った。

「何ですか?」

「見えても、見ないこと。分かっても知らん顔をすることがある」

「あー」

「分を弁えるって、大事なことで、基本なんだね」

「そうですね」

 タミコは、亡くなった人が見えることがある。

その人が何か訴えてくることがあるらしい。

そういう時は、見えてもいいんじゃないかと美咲は思うのだが、見ようとしては

いけないことがある。そんな気がする。

 それは、美咲も同じだ。

 

 電話を切って間もなく、また電話が鳴った。

タミコからだった。

「あのぉ、私、美咲さんとお話すると、毎回不思議なことが起きるんです」

「へぇー」

「聞こえますか?

触っていないのにガラスみたいな音が聞こえるでしょう」

「んー、ちょっとね」

「これ、美咲さんと話し始めた時からずっと鳴っているんですよ。

前にお話ししましたよね」

「何だっけ」

「ある人に勾玉をいただいたって」

「んー、聞いたような気がするかな」

「勾玉って二つなんですね。それに紐を通して首に掛けてるんですけど、それが

ほら、何もしないのに鳴ってるんです」

「あっ、そう」

「あのぉ、それだけなんですけど。何だか嬉しかったので、また電話しちゃいました」

「よかったね」

「はい」

 

何がよかったんだか分からないが、美咲は、何だかよかったような気がした。