段差

 

 店の段差に気付かず転倒した50代女性が、憤慨して叫んだ。

「どうしてこんな所に段差があるの!」

バリアフリーがさけばれる昨今。

自分の前に障害があることはいけないことだと皆が思い込み出した。

自分の目で確かめ、自分の耳で聞く、そして注意を払い、自分の意志で決断する。という

当たり前のことをしなくなってきている。

 

 アメリカで、マクドナルドだかケンタッキーだかを、

「あなたの店が出来たせいで肥満になった」と訴えた女性がいた。

その時は、却下された。

 当たり前のことだ。

「簡単に安価で手に入り、高カロリーだから自分は肥満になったのだ」とその人は訴えた

らしいが、それを買ったのは自分の意志で、無理強いされてそれを買い、食べたわけでは

ない。

 ところが今回、同じ訴えがあり、それが、勝訴したのだという。

アメリカ特有のパフォーマンスによって、そこまで面倒をみる企業だというアピールか

肥満になっても我慢できない程美味しい商品だという宣伝の為であるかは、知らない。

 しかし、勝手に買って、勝手に食って、肥満になり、それに文句を付け、それが通って

しまったのだ。

恐ろしいことだと思う。

 

「そこに段差があるのを、下を見ていなかったので転倒してしまった。

こんな所に段差があるのは許せない」という自己中心の論理は、何時からこんなに

蔓延し出したのか。

 自分に注意力がないことを、何かのせいにしようとする注意力欠如の人間達。

 幼児に危険がないように注意を払うことは、大切なことだ。

だが、危険を防止しようとするあまり体験する機会を与えない、身を持って知ることが

激減しているのは、少子化の現代では仕方のないことなのだろうか。

昭和20年代、子供が身体を預けてしまっても転倒しない、“歩行器”が流行しだした。

当時は、金持ちしか持っていなかった歩行器が、50年代には何処の家庭にも当然の様に

存在するようになった。

 保育園にもブランコが必要遊具としてなければいけないように、3歳未満児を預かる

場合、歩行器の常備が義務付けられた。

 しかし、一部の保育者達から、歩行器を使用している幼時は転倒した時に手が出ない。

そのため、顔面から転び危険である。という報告がなされた。

 私はあの頃が、始まりだったのではないかと思っている。

 

 店で2、3歳の幼児が商品を持って、遊ぼうとしていたので、

「すみません、子供さんに商品は、持たせないで下さい」と言うと

「子供の手の届く所には、置かないで下さい」とその母親は言った。

 

やはり、2,3歳の子が商品を弄っているので、絵で説明してある張り紙を指差し、

「ここに、子供さんは触らないで見てねって、書いてあるんだよ(^−^)」と子供に言い

「ねー、お母さん」と隣に立つ母親に同意を求めた。

すると、その母親は、

「子供は、字が読めませんよ!」と吐き捨てるように言い、

「こんな子供に説明したって分かりませんよ」と続けて言った。

字が読めなかったら、母親が読んでやったらいいだろう、

そして、分からなくても教えるのが親、大人の役目。

いや、分からないからこそ教えなくてはならないのだ。

 

あーそういえば、店の商品で遊んでいる子が居たので

「触らないで見てね」と、何時もの台詞を言ったら、隣にいた母親に

「子供は触って覚えていくんです」と言われたことがあった。

オイオイ、触って覚える経験は自分の家でやってくれよなー。

 

 まったく、いろんな人が居るもんだねえ。