電車

 

 1月31日、用事があって東京へ行った。

最近、友達になった清美さんと一緒に行った。

 というより、清美さんがあるお寺に行くという話を聞いて、私が一緒に行きたいと

連れていってもらった。

 その空き時間に、私の仕事の手伝いを頼んだ会社に寄ることにした。

 

 先ず、清美さんという人は、私の29歳になる子供が中学卒業の際、PTA代表で

卒業の挨拶をした。その挨拶が私は気に入った。

それは、今までに聞いたことのないノンビリした暖かさと希望を感じた。

こういう人と友達になりたいな。と、その時思った。

 それがひょんなことから知り合いになり、こうして東京に一緒に行くことになった。

大きな会社の社長で、沢山の従業員を持つ。家庭もあり年老いた両親も居る。

まあ、規模は違うが私と似たような状況で周りに助けられながらも、孤軍奮闘の感は

否めない。

 

清美さんとは、初めてのお出かけであったが、やっぱり良かった。

思ったことや考えていることを、一々口に出さないし領域を侵さないからウルサクない。

 黙っているからウルサクないとは限らない。

黙っていても自己アピールが強く人の領域に入ってくる人間はウルサクてウットウシイ。

 彼女は、ノンビリしていて忙(せわ)しくない。

長女のお姫様気質と、さり気ない世話焼き加減が心地よかった。

きっと、いい子でなければならないという気負いを持たずに育つことが出来た人なの

だと思った。

 

 最初に私の仕事を依頼した会社に行ったが、彼女は私が話しているところに入って

くることがなかった。

 私は、そこで会った人に彼女の名前すら紹介しなかった気がするが、彼女は気を悪く

する様子もなく、私の話に入り込んでくることもなかった。

 大抵の人は、こういう無視された形になると不安になったり不機嫌になり、

それを大丈夫だよと示すために、人の話に口を挟んでくる。

 私にとって隣に居ても邪魔にならない人というのは、数少ない。

今、隣に居てもいいかなと思う人は、塚石とヨー君くらいかな、あと夫。

それに、清美さんも加えるかなって、別に加えて欲しくないよね。

 

 そこから、次の現場に向うタメにタクシーに乗った。

「あの人、麻子さんの気持ち、分かっていないよね」と、清美さんが言った。

「仕方ないよ、今日初めてあったんだから」

「そう、でも、分かる人は分かるわよね」

「分からないことは、分かるタメに存在するんだから、いいと思うよ。

あのTさんの後にSさんが入ってきたでしょ」

「あー、あの人は麻子さんの言いたいことが分かってる気がした」

「そーなんだ。あの人は最初に話した時から何かピンとくるものがあったんだけど、でも

それって、お互い過大評価つうか、言わないでも通じるってことになっちゃうと、

分かるようにする努力をしなくなっちゃって、

結局、私のやりたい仕事にはマイナスなんだよね。

私のやりたい仕事ってのが、私の言いたいことを理解出来ない人に伝えていくってこと

だから、彼が最初っから分かってしまっては、逆に分かるようにまとめていく妨げに

なると思うんだ」

 私は、今まで私の言っていることを分からんやつは読まんでよろしい!と切り捨てて

きた気がする。

それを、ようやく(どーぞ、読んでください。私の言っていること、分からなければ

分かるように如何様にでも、何度でも説明しますから)という気持ちになったのだ。

 

「それに、TさんがSさんのこと、力を持ってる人だって言ってたけど、あの業界で

認められてるってことは、ある意味、常識を持ってるってことだから、言うことが薄く

なちゃうのは仕方がないんだよ。

だけど、Sさんってサンカを書いた作家を知ってて、その人の講演も聞いたっていう

のを聞いて嬉しくなっちゃったんだ」

「サンカって何?」

「サンカって、漂泊の民って言われていて、定住地も決まった職業も持たない人たちで

士農工商エタヒニンの下というか、人別帳にも乗らなかった人のことで」と話し始めると、

タクシーの運転手が、急に後ろを振り向いた。

「僕、大學でサンカについて研究してたんです」

「えー、ウソ。面白い」

「本当です。サンカは、日本人のルーツだっていう話もあるんですよね。

〜の派出所でサンカを保護したことがあるっていう人にも会いに行ったんですよ」と言う。

「おー、それは面白い。

サンカは戦前の大衆小説で書かれてそれから有名になったらしいんだけど、今はもう

サンカとして暮らしている人は居ないらしいよね。

でも、私が20歳になる時だから33年前に教護院で実習したことがあってそこに

保護されていた子が居たよ」

「そうすると、今、幾つ位ですか?」

「私が20歳の頃に中学生くらいだったんだから」

「40代後半ですね、その人は何処で暮らしているんでしょうね」

「そうだね。何処でどうして暮らしてるんだろうね。

サンカって自由の民で文盲だから確かな文献は残っていないし、場所によって暮らし方

が違うらしいし、厳しいキマリごとがあったらしいけど、よく分からないんだよね。

だけど興味本位の小説じゃなくて、追跡調査みたいなのをした人が居るよね。

私、去年“漂泊の民サンカを追って”っていう本を見つけて、これは良かった」

「えー、誰が書いたんですか?」

「忘れちゃったよ。私のブログに書いてあるから読んでみてよ」

「どうすれば見られるんですか?」と聞いてきた所で、丁度駅に着いた。

「コトブキにゲンカンの玄にユメ、寿玄夢で探してみな」

「ちょちょ、待ってください」とその青年は、メモ用紙を取り出した。

「じゃ、見たら見たよって一言入れといて」と言い残して、私たちは駅に向かった。

 

 そのあとで、お寺に行っていろいろ面白い経験をして、夕飯までご馳走になったが、

今日は泊まらずに帰ろうということになり、夜10時半の特急に乗った。

 

 自由席に座った二人は、何を話すでもなく黒いガラス窓に流れる人工の灯りを見ていた。

少しすると清美さんは、眠ったみたいだった。

 その電車は特急だというのに止まる駅が多い。

私たちの座った席はデッキを向いた左側4列目、私は通路側でデッキがよく見えた。

 隣の車両から便所にでも来たのか、急にドアが開き細い50歳代後半の男性の姿見え

たが、足を滑らしドアの方に倒れた。

 その後ろに車掌の姿が見えたが、倒れた男を見ているだけで助け起こそうとする様子

はなかった。

 男は何かに捕まろうともがきながら、ねずみ色のコートでデッキの床を拭いている。

ようやく立ち上がった男は便所のドアにもたれかかって、かろうじて立つとデッキの

ドアが閉まった。

 なにやら男が怒鳴っている。

「出て行けとは、どういうことだ!」

「いや、〜」車掌の声は小さくて聞こえない。

 そのうち足元が定まらずふらつく男が、ドアの近くに立つもんだから、ドアが開いたり

閉じたりし始めた。

「どー、いうことなんだ!オマエは!」

「出て行けって言ったよな!出て行けって!」

「ここは、自由席で指定席じゃないんだ!」

「いや、私は出て行けじゃなくて、ここから出てお話をと」と、まだ20代と思える

車掌の声は小さい。

「いや、ここから出ろとオマエは言った!客に向かってその言い方は何だ!

 その言い方は何だ、その言い方は何だ、その言い方は!」

その男は、自分の話の収まりがつかなくなっていた。

 

 私は、その車掌のお兄ちゃんも可愛そうだったが、その酔っ払いも可愛そうになって

きた。

それより何より、ムカムカしてきた。

「何時までイチャモンつけてる気なんだ? あれは、イジメだな。

車掌は、ボクサーと同じでコブシ使うわけにいかないのを知ってて絡んでんだな」

などとブツクサ言っていたのだが、これは助けに行くしかないと決め、

「ナーニを何時まで調子こんでんだぁ。ちょっと、一発食らわすしかないな」と私が

立ち上がりかけた時、それまで、眠っていると思っていた清美さんが、

「一緒に行って来ようか」と言った。

「えー、ホント?

アタシ一人で行こうと思ってたんだけど、あなたが一緒に行ってくれるんなら心強い。

隣に居てくれるだけでいいから、よし、そんなら行こう」と二人は、立ち上がった。

 清美さんは、座席にバックを置いたままだ。

 

 閉まっていたドアが開いた。

車掌に向かって食って掛かっている背中が目の前にあった。

 私はその肩から背中にかけて、手の平で渇を入れるようにバンバンと2度叩いた。

私の手は大きい。和田あきこの手の平ってのに合わせてみたことがあったが、

158センチの身長の私だが、殆ど同じだった。

因みに私の握力は40以上あった。(若い頃の話だが)

 このコブシは使う気はないが、本気を出したらちょっとしたもんだと思っている。

 

「どうしたんですか?」と静かに言った。

ナニっと振り返った男は、悪酔いした者特有の青白い肌で目は据わっていた。

「どーしたんですか!?」ちょっと静かにドスを効かせてみた。

「何だ、オマエは!」

「ちょっと、ウルサイですよ。他のお客様の迷惑になりますよ」

「ウルサクなんかねえ!」

「いえ、隣の車両にまで聞こえてますよ」

「聞こえてなんかいない!」

「いえ、聞こえてますよ」と私が言ったのに重ねて清美さんが、

「聞こえてますよ。

私、いい気持ちでウトウトしてたんですけど、ウルサクて目が覚めてしまいましたもの」

と、上品に言った。

「ほら、あたしだけじゃなくて、他の人もそう言ってるでしょう。

静かにしてください」

 怒った男は鼻息を荒くして、私を睨み付けた。

「お願いしますね」と言い残して席に戻ろうとすると、男は再び車掌に何か言い始めた。

それまでは、開いた扉の向こうにいる乗客を意識していた私だったが、

「オイ! 若い兄ちゃんイジメルのもいい加減にしろよ!」と、本気でドスを効かせた。

男は、ちょっとおとなしくなった。

 しかし、私たちが席に戻ると、また車掌に何か言い出していた。

どうしようかな、と思っていると、デッキのすぐ前の席に座っていた若い男が、立ち上が

った。

 そのお兄ちゃんは震えていたが、酔っ払い男の横に立ち

「もう、いい加減にしろ!」と怒鳴った。

それで、ようやく男はおとなしくなった。

 お兄ちゃんは席に戻ると再びウォークマンのイヤホンを耳に入れたが、その手は激し

く震えていた。

可愛いなぁ。そうやって、修羅場を潜って肝が据わってくるんだぞ。と思う。

 

 清美さんは、何事もなかったかのように窓の外を見ていたが、

「あの子も私たち見て勇気出したんだね」と言った。

しばらくして車掌が回ってきて、そのお兄ちゃんに

「どうもありがとうございました。助かりました」と言っていた。

私たちの所にも「ありがとうございました」と言いに来た。

「あの人おとなしくなった?」と聞くと、

「はい、大丈夫です」というのを聞いて

「よかったね」と二人でニッコリした。

 

 その話を翌日、家族や塚石などに話す。

フーンと何時もの反応の夫。

塚石は面白がって聞くので、話していて楽しい。

そして、「麻子さんて、幸せな人だね」と嬉しいコメント。

 

次女が「お母さん、本当にそんなことしたの?」と言う。

「したに決まってるでしょうよ」と長女。

「でも、何かあったらどうする気だったの?」

「大丈夫、そのタメの証人がお客さんで、ワザとドアを開けてやったから。

それに、一人だったら違う方法でやるし」

「えっ、一人でもやったの?お母さんって危険」

「だから、違う方法でやるんだってば」

「どういう方法?」

「そういう時はな、便所の前で騒いでいるんだろ、『あ、痛てててて』って腹を押さえて

行くんだよ。ウンコ漏れそうって。腹が痛いって。

そして、『車掌さん、私、何だかお腹が痛くてヤバイんです』って、

『もし、トイレに行ってもダメだったら救急車呼んでください』って言うんだよ。

で、男に『便所に入ってる音聞かれたくないんで、何処か他所に行ってください』って

言って、車掌さんだけ残ってもらうんだよ。

そしたら後はどうにかなるさ」

「お母さんって、そういう人だよね」

「へっへ、そういう人だよ。

でも、今日これからお母さんの手伝いをしてくれる人に『私は危険人物ですからね』

って言ったんだけど、私の危険さはそういうトコじゃないんだよな。

その車掌さんを助けに行く時に、『みんな、寝たふりしてんじゃねえぞ』って言いそうに

なるんだよね」

「あー、それは危険だわ」

「そうなんだぁ、チョコチョコってやってそこで終わりにすれば良いことなんだけど、

味方や関係ない人にまで噛み付いちゃうトコがあるんだよねぇ」

「そうだよね。誰にも彼にも噛み付いて、結局どうしたいの?ってなるときがあるよね」

「そうそう、分かってるつもりなんだけど、時々バカになっちゃうんだよ」

「時々かな?」

「そういうことにしてくれ」

「はいはい」

 

 まあ、そういう人間だぁもんで仕方ないねぇ。