どんぐり山

 

 美咲は若かりし頃、子供の面倒をみる仕事をしていた。

30歳になる年に辞めたが、その頃の子供や親と会うことがある。

 

 この間、「ずっと会いたかったんです。覚えていますか?」と一人の女性が訪ねて来た。

「私、顔、覚えないタチで」と美咲は言ったが、「マリちゃんママ」と勝手に口から出た。

「やだ、先生、覚えていてくれたんですか?」

「覚えてた、っていうか、マリちゃんの顔が出て来たのよ」

「お久しぶりです、何年振りですかね」

「んー、マリちゃん何歳になったの?」

「もう30になります」

「じゃ、29年振りってことよ。そんなになるんだぁー。

お母さん、老人ホームにお勤めだったよね」

「やだ、先生覚えてるんじゃないですか、じゃ、私と本の話したことも覚えていますか?」

「えー、何の本?」

「先生本が好きだって言って私が読んでる本を教えたら、先生は森瑶子の本読んでるって

本交換して読んだじゃないですか」

「あー、そういうことあった気がする。森瑶子かぁ、読んでるもんも若かったんだね」

「私、先生にすごく刺激受けたんですよ」

「何かやらかしたかワシ」

「ええ、しょっちゅう」と、マリちゃんママはイタズラっぽい目つきをして言った。

「私、人と群れることが出来ないんですよ」とママは言った。

「へー、私と同じだ」と美咲が言うと、

「この話何回もしましたよ」

「そうかぁ」

「保育所って幼稚園程ではないらしいけど、何だかみんな群れてるでしょ」

「そうだね」

「そうすると、先生、必ずそれを壊しにかかってましたよね」

「そうだった?」

「一番印象に残っているのが、親子遠足でドングリ公園に行った時」

「あー、あそこは景色が良くて見はらしが良くて、気持ち良かったねぇ」

「桜が咲いてたんですよ。満開に。

お昼になったら、そこの一本の木の下にみんな集まって座ったんですね。

そしたら先生が『こんなに広いのに、何で固まって座ってんの?』って言って

一人で違うトコに行っちゃったんですよ」

「へー」

「そしたらみんな夢から覚めたみたいにバラバラになって、あちこちに散らばってお昼に

なったんです。覚えてませんか?」

「んー、そうね。そういうことはよく言った気がする」

「公園の芝生の上とかで、ごろごろしたりして。子供たちが喜んで真似してましたよね」

「いや、私が子供に自由を教えてもらったよ」

「いやぁ、先生は子供以上に子供でしたよ。

あの頃、私、本当は職場についていけない状態でもう辞めちゃおうかなって思っていたん

ですよ。

それが、先生に会って。っていうか、先生見つけてこれでいいんだって思えたんです。

それで頑張れたんですよ」

「えー、それ程のもんだったかぁ」

「ええ、先生も職場ではぐれてて、でも、見る度に何か面白いことしてましたよ」

「そうなんだ」

 

 というような話をして思い出した。

 

 仕事を辞めて次の年、やっぱり元父兄の岸本が訪ねて来たことがあった。

その時もドングリ山の親子遠足の話だった。

「どう思います?

この間、親子遠足に行ったんですよ。

そしたら先生と親が固まって座っちゃって、誰も子供なんか見てないんですよ。

親が来た子供はいいでしょけど、コウちゃん覚えてるでしょ。

あの子だけが一人でポツンと離れてご飯食べようとしてたんですよ」

 コウちゃんは、親が居なくなって祖父母の家で育てられている大人しい子だった。

「みんなワイワイ浮かれちゃって、

私『マコちゃん(岸本の子)、コウちゃんと一緒にご飯食べようか』って息子連れて

コウちゃんと一緒にご飯たべたんですけど、保母さんってそんな程度なんですか」

「仕方ねぇなぁ」と美咲は言ったが、黒いカサカサの小さい顔の、細い指をちょっと

曲げて話すコウちゃんを思い出した。

その時のコウちゃんの気持ちを考えると美咲は涙が出そうになった。

 

 美咲は人と食事をするのが苦手だ。

学生の時は、一人だけで違う所に行って食べたかった。

 保母になってから職員が集まって持ち寄った弁当を食べる時が一番の苦痛だった。

人の作ったモノを褒めあいながら、作り方なんぞを聞きあい教えあい、やったり貰ったり

それが、嫌だった。

 そういうところがマリちゃんのママと共感したらしい。

 

 そんな美咲だが、みんなで食べるのが嬉しいと思ったことがあった。

一度は、成人した娘の集まりについて行った時、持ちより弁当のお昼を食べていけと

誘われた時だ。

 いや、自分は何も持ってきていないからと断ったが、何度も誘われ、よばれることに

した。

 それが、スマートだった。

さまざまな惣菜が、色んな入れモノに入って次々と並べられる。

取り皿と箸が配られ、自分の食べたい物は自分で取る。

「これ美味しいから食べな」と人に取ってやったり「これ、誰が作ったの」などと聞く

人は一人も居なかった。

美咲は思わず「ウマイ!」と言ってしまったが、そういう感想を言う者も居なかった。

黙々と食べていると、一言「あと5分で終わり」と指導者が言っただけだった。

そして、その時間になるとパタパタと器の蓋が閉められアッという間に片づけられ

なくなった。

あの時のヤツは、どれもこれもみんな美味かった。と美咲は今でも忘れられない。

 

 もう一度は、今の職場で行った花見で食べた持ちより弁当だ。

その日、花見には早くて花はまばらだったが、ヤケに浮かれたみんなは笑ってばかりいた。

 お昼になってみんなの得意の弁当が取り出された。

美咲は飲み物係、料理が苦手な娘は果物係になっていた。

 あの時、楽しかったんだなぁ。と美咲は思う。

何だか嬉しくて笑いがツボに入ってしまった美咲は、弁当をほおばっていて思わず吹き

出してしまった。

 みんなが、半分ほど食べた所だった。

アッチャーと美咲は青くなった。

 でも、誰も気にする様子を見せず笑いながら食事が終わった。

あの時の弁当も美味しかったが、本当に楽しかったと美咲は思う。

 弁当も美味かったが、みんなの気持ちが美味かったんだと思う。

 

 美咲が、人と食事を共にするのが苦手になった原因を考えた時、一つには食べろ食べろ

と勧められることへの拒否拒絶の気持ちがある。

そして、食べていると「どうだ、美味しいか?」と聞かれることへの面倒臭さがある。

作った人の美味しいモノを食べさせたいという気持ちが、押し付けと自己アピールに感じ

た時、美咲は食べる気をなくす。

 そして、弁当に自信がなかったこと。

 

 そんな美咲も家庭を持ち、人に食べさせたいという欲を持つようになって分かった。

相手にどう思われても作りたいという気持ちに。

 

 どうか、コウちゃんが、みんなで食事することが苦手になりませんように。

と、美咲は祈った。