営業マン(ムカドン)

 

 今年、ウチの担当になった大手メーカーの新入社員が1,2度営業に来たと思うが、

間もなく姿を見せなくなった。

 最初は、上司に連れられて挨拶に来たのだが、その後1度位書類を持って来た気が

するが、いつの間にか上司直々に来たり、違う人が来るようになった。

 どうしたのか?と聞いたところ、その新入社員は営業に出かけようとすると足がすくみ

無理に車に乗ろうとすると吐き気がして、震え出すようになって、そのうち会社に出勤を

することさえ出来なくなったのだという。

 いずれ仕事に慣れればどうにかなるのではないかと、周りでフォローしてきたのだが、

現在は家からも出られない状態であるらしい。

 

 最近、エリートといわれる人を見て、思うことがある。

まあ、そう一概には言えないだろうが、周りの状況を見て、自分の頭で考えて判断して

状況に応じて臨機応変に行動するということが出来ない。

 そういう訓練をした育ち方をしていないのではないかと思う人が多い。

そして、周りを見て観察出来ると思うと、人の批判や批評ばかりして自分は行動しない

人がいたりする。

 

 営業マンに限らず、仕事をする、生きて行くということに於いて、最も大事なことは

メゲナイ、落ち込まない、クサラナイ、ヤケにならない、自暴自棄にならないことなん

じゃないかと、僕は思っている。

そのシタタカさの上にシナヤカさを持って、自分を大事に周りに対する思いやる心を

持ったならば、イッツァ、パーフェクト!なんじゃないかと僕は思うんだ。

 

 まあ、僕は出来ていないんだけどね。

あっ、出来てると思った?残念でした、ゼンゼン出来てません。

 だけど、努力はしてる。

僕は、気が小さい。すぐに不安になる。

心配性でクヨクヨ考え出すと気持ちが落ち込んで、面倒くさくなって、生きてるのが

嫌になっちゃうんだ。

でも、自分の都合や言い訳の世界に入ってしまうと、そこには地獄の世界が待ち受け

ている。

それならどうしたらいいのか!?

そこで出た答えが、“しなやか”に“したたか”に“思いやりの気持ち”なんだね。

 

 いいとこの家庭で大事に育てられた人が、大学を出て会社に、社会に入る。

なに不自由なく育ったのであろう人程、そこで壁にぶち当たる。

 最初は、外回り営業をすることになることが多い。

初めての営業、そういう会社を興して経営している社長ってのは、案外叩き上げの苦労人

といわれる人が多いようだ。

 そういう社長が居る会社に、挨拶して、営業に行く。

「こんにちは」と、そのドアを開けると、皆それぞれの仕事に一心不乱で振り向く者も

殆どいない。

 それまで、親に話しかけられてもろくに返事をしないできた者が、自分が無視されたり

チヤホヤされることのない状況、自分から動かなければならない立場になったのだ。

 親に洗濯も食事の用意もしてもらって当たり前のように生きてきた人間が、

初めて自分の頭で考えて行動することになるのだ。

 自分の会社でも、皆が忙しそうにしている中で何をしたらいいか分からない。

そればかりか、人の邪魔になる所にボーと(そう見える)立っていたりする。

 最近の子供は、大人の話に口を出したり、邪魔な所に陣取って自分の持ち場を弁

(わきま)えない子供が多く、そのまま育ってしまった若者が多い気がする。

 昔からそういう子供は多かった、私なんぞもそういう子供の代表だった。

だけど、親や大人から思いっきりやっけられてきた。

 やっけられた時は、子供ながらに恥をかき、プライドがずたずたになって悔しかった。

しかし、今、考えると本当に有り難いことだったと思う。

「周りを見て行動しろ、邪魔になるな、大人の話には、人の話には、口出しするな」と

いわれ続けて育った。

最近は、子供をチヤホヤしすぎる気がする。

しっかりと、人の迷惑や邪魔にならない教育がされていないように見える。

 そういう若者は、悪気はないのだろうが、人の迷惑になる所に立っていても平気と

いうか、気が付かないみたいだ。

 でも、何かを感じているようで、邪魔だなぁと思って見ていると睨んできたりする。

気配りや気働きがなく、鈍感なのに敏感で、繊細さはないのに脆(もろ)い。

 

 僕の所にそういった人が、度々やって来る。

急に雨が降り出し、外に出ていた品物をまるでアリがエサを運ぶように皆で、大慌てで

運んでいる出入り口に、一人の営業マンが立った。

「あのー、ご挨拶に伺いました!今、お忙しいですか?」

って、(見たらわかるだろ!)と思う。大体が、そこに立っていたら邪魔だ。

皆がバタバタしていると、何の挨拶もなくいつの間にかその営業マンが居なくなっている。

 あー、後味が悪い。

自分の子供くらいの若者が、ひとりよがりの子供の世界から成長出来ずに、彼なりに

一生懸命頑張っているのだろうが、人の役にも立たず、立つ術(すべ)を知らず、

自分の居場所を作る術を知らず、挨拶もせずにいつの間にか居なくなってしまった。

 彼はどういう気持ちで立ち去ったのだろう?と思う。

そういう時に、彼が傷つかない思考回路としては、

「あの家の人間は最低だよ、人のこと客じゃないと思って邪険にして、ロクなもんじゃ

ねえよ」となる。

「客だったら、あんな態度はとらねえべ」と言ったりするが、そういう彼こそ自分の立場

を分かっていない。

 そうだよ、君は人からモテナサレル客じゃない、人をモテナス立場を、得たんだ。

それまで、客でありゲストであることが主役だと思って生きてきた人間が、脇役や

縁の下の力持ち、ホストとしてゲストをモテナス、ホントウの意味での“主役”になっ

たんだ。

 

 営業マン君に秘訣を教えよう。

ドアを開けて

「こんにちは」と、腰を据えて、頭をきっちり下げたら、そーっと、周りを見回す。

そしたら、カシャカシャとデータの入力を行う。

何人の人が居て、どういう配置で、その人たちがどういう様子で働いているか。

どの人に声を掛けるか、忙しそうでテンパッテル人には声を掛けるな。

 人を見抜く目が出来ていないうちは、先ずは観察だ。

人が歩いてきたら道を譲れ。荷物を持っている人が居たら手を出して手伝うんだ。

 但し、慌てて失敗するなよ。

相手が手助けを求めているかどうかを見極めろ。

肝を据えて、落ち着いて、何事も自分をアピールするために行ってはならない。

 損得で、計算で行うことに良いことはない。

但し、計算の出来ない人間であってはならないんだ。分かるかな?

 

 そして、一番大事なことは、メゲナイことだ。

失敗したり、どうしていいか分からなかったり、不安になると気持ちが落ち込む。

その時こそが、勝負だ。

自分に“カツ”を入れるんだ。

辛い時に、不安な時にどれだけ元気を出せるか、そして、山を乗り越えるんだ。

登らなくてもいい山もあると思う。

でも、そこに用意された山は、登るタメにあるんだと僕は思う。

         少し休んだら、自分の山を見つけて欲しいと思う。

 

 これを、家から出られなくなっている彼に読ませたいなぁ。

シナヤカにシタタカに思いやりの気持ち(見返りを求めずに)を持ったら怖いものはない。