瑛子

 

 その日、どういう訳か継母の話題になった。

すると、「実は私、もらいっ子なのよ」と、瑛子が言った。

 そこで、“カーネーション”の話を読ませた。

そして、この話になった。

 

 瑛子は、一歳半の時、両親に先立たれ里子に出された。

その時の記憶はないので自分が実子でないことは、大きくなって知った。

 彼女は六人兄弟の末っ子だった。

身体も丈夫でなかった瑛子をもらい引き受けた両親は、彼女を大事に育ててはくれたが、

育ての親の実子である兄より思われる事は、一度としてなかった気がすると瑛子は言う。

 兄が店を出して苦労していた時、当時中学生だった瑛子に向かって母は言った。

「兄弟なんだから、助けるのは当たり前の事だ」と、そして進学は許されず、

中学を出て兄の店を手伝うことになる。

成績の良かった瑛子を、担任の先生だけが、勿体ないと惜しんでくれた事が嬉しかった。

 父も「学校は、行った方がいいのになぁ」と瑛子に言いながら、気丈な母には

何も言えないで終わった。

 瑛子は自分がもらいっ子である事には、いつの頃からか薄々気づいていた。

口さがない近所や、親戚の者達の話からもれ聞き、

おかしいおかしいと思ってきたのだという。

 だから、それを知った時は、「やっぱりなー」と思っただけで、

大したショックを受ける事もなかったという。

 

 四十三歳の時、今から二十年前、育ての親を一人で面倒を見て、看取った。

いろいろあって所在が定かでなかった兄とも縁を切ったその頃、生き別れになっていた

六人の兄弟が、急にお互いを捜し合い、終結することになった。

 そして、自分達の両親の墓参りをしたいと皆で捜したが見つからなかった。

しかし、両親の葬儀をしたらしいという寺が見つかる。

 六人で寺に行ったその日に、両親を送った寺の住職が、亡くなっていた。

「今日、住職が急逝して取り込んでおりますので、一ヶ月後においで下さい」と

奥さんと後をとっている息子に言われた。

 その一ヶ月後に六人は集まり、その寺で両親の供養をしてもらうこととなった。

寺に墓はなかったが、記録は残されており、その寺で葬儀をされた事は分かった。

 法要が終わったその夜、兄弟の一人の家に全員が集まり宴となった。

その時の瑛子は、まだ酒に口をつけていなかった。

 しかし、後で聞いた話しでは、瑛子の様子は只事ではなく、

言ってみれば酒乱の様だったと言う。

 その時、瑛子は、目の前に小さな穴があるかの様にそこだけが明るく、

その他は真っ暗だったのだという。

暗くて誰の顔も見えなくなった。

そして倒れた。

 二階に運ばれ布団の上に寝かされた。寺では、両親の棺が見えた気がした。

そして布団に運ばれた時、自分がその棺の中に入っていた。

 小さな棺桶の中で、全く身体は働かない。

「救急車を呼ぶか?!」という夫の声が聞こえ、動かない身体で、必死で首を横に振る。

それが分かったのか「大丈夫の様だから、今夜一晩様子をみよう」と夫が言った。

「これでは寒いだろうから、こっちの布団に移そう」と誰かが言って

別の厚い布団に動かそうとしたが、瑛子の小さな身体はあまりに重くなっていて、

皆で持ち上げようとしても全く動かす事が出来なかったという。

 瑛子は幼い頃から親戚の誰かが亡くなったりすると、

その人が、彼女の所へ来るのだという。

 そして、その時に、今、その人が亡くなったと分かるのだという。

不思議なことは、いろいろあってきたが、あの日のようなことは初めてだったという。

「でも、次の日には何事もなかったようにケロッとしてしまったのよ」と瑛子は言った。

 

瑛子は、「タッ、タッ」と、舌を鳴らして

「こういう音が鳴るでしょ」と言った。

「うん、ラップ音ね、鳴るよ」と私が答えると、

「それって、自分の中の申し訳ないとか、悪かったとかと思う気持ちで、自分が鳴らして

いるんで、亡くなった人が鳴らしているんじゃないって何かで読んだわよ」と言った。

(あぁ、そうか)と私は思った。

「でも、自分では何も思っていないし、知識もないのに身体が重くなったその場所で

何かがあったっていうのは、何だと思う?」と、私が聞くと

「それは、成仏していない仏さんだから、南無阿弥陀仏って唱えればいいのよ」と

瑛子は言った。

  生きているものには南無妙法連華経、

亡くなったものには、南無阿弥陀仏と唱えると聞いたのは、その頃だった。

 

 思うんだけど、生きているものにしか動かせないことがあるような気がする。

それは行動だけでなく、気持ちによって動く気がする。

 思う心が、悼む心から、晴ればれとした浄化へと導く。

はて、さて、生きているものは、動かしているのか?動かされているのか?

 

    おまけ

 瑛子の実の兄弟は、記憶も思い出もないのに何処か似ていて、

それが最初は懐かしい気がした。

 が、同じような性格でも、生きてきた経歴経験によって、

その人なりに固まり偏屈になる。

似ていることが逆に鼻に付き、法要が終わると、誰とも連絡を取らなくなったという。

「でも、あの時の兄妹全員の引き合う気持ちと結束は、何だったんだろう?」と

瑛子は言った。

       ピンクのカーネーションと、白いカーネーションの話