下血(げんのしょうこ)

 

 あれは何年前になるだろう、昭和天皇が下血をされたって聞いた頃だから20年は前に

なるのか。

 

 夜11時頃に電話があった。

スキー仲間のスーちゃんからだった。

 スキーが上手で外国の山に滑りにいったりする人だった。

彼女は金持ちの一人娘で親戚もお金持ちが多く、その一族は都会的な匂いがした。

 

 そのスーちゃんの従兄弟に当たる人の息子が、川で亡くなったのだという。

その時、スーちゃんの叔母さんにあたる人、つまり亡くなった子のお祖母ちゃんが、

傍について居た。

 男孫二人を連れて近くの川に来ていて、一人が川に落ちた。

お祖母ちゃんは、流されていく孫を追いかけ助けを呼んだが、孫は亡くなった。

 彼女はその葬式に行ったが、従兄弟夫婦の顔も叔母さんの顔も痛ましくて見ることが

出来なかったという。

 お祖母ちゃんは、「自分が変わりに死ねばよかった、出来ることなら今すぐ死にたい」

と泣き崩れ、周りに居た人たちはどう声を掛けていいか分からなかったという。

スーちゃんは、整理がつかない気持ちを吐き出すみたいに話していた。

 

その時、私は生理が終わりかけの時でナプキンを当てていた。

秋も終わりの頃だった。

 冷えて腹が痛くなってきたが、スーちゃんの話を中断することは出来なかった。

孫は知らなかったが、叔母さんはちょっと知っていた。

 上品で穏やかで優しそうなあの人が、その家族が、どんなに心を痛めているか、

亡くなった子はどんなに冷たく苦しかったかと思うと寒気がした。

 それじゃ、と電話を切ってトイレに駆け込むと堪えていた下痢便が漏れた。

便器に座って用を足し、当てていたナプキンを見ると血便だった。

 生理かと思ったが、明らかに血便だった。

 

 スーちゃんから聞いた話と血便のショックで、その晩は眠れなかった。

翌日、手のつけられないほど臆病な私は夫に付き添われて病院に行った。

 力が抜けて口も利きたくない状態だった。

医者に血便が出たことを話し「直腸癌の可能性はありますか?」と聞くと

「はい、ありますね」と事もなげに医者は言った。

 マサにガーンとなった私は、帰り道でとった遅い昼食も喉を通らなくなっていた。

 

 その話を、げんのしょうこにした。

「若し、癌だったらどうしよう。それに、友達のカズオちゃんが腸の検査をしたんだけど

マッパにされて薄いガウン一枚で、腹を空っぽにしたり尻の穴から空気を入れられたり

あれは、子供の時に蛙を虐めたバチが当たったとしか思えないって言ってたし。

そんな検査するようなのかな。癌じゃなくても何かの病気だったらどうしよう。怖いよー」

 私は本当に医者が怖い。歯医者に行くだけでも気持ちが落ち、気絶寸前になった。

そこにスーちゃんから聞いた話が加わり平常心を失っていた。

それを聞いていたげんのしょうこは不思議そうに言った。

「まだ何も決まった訳じゃなにのに、何をそんなに騒いでいるの?

そうだったらそうなった時のこと、その時に考えればいいんじゃないの?」

 それを聞いて私はムカついて思った。

(だって、怖いんだもの。どうしようもないんだもの。どうしたらいいんだよ!)

 あの頃の私は、自分の気持ちを今以上に野放しにしていたんだね。

辛くて怖くて、食事が喉を通らず、検査の結果が出る一週間だか二週間だかで5kg位

体重が減った。

 

 げんのしょうこは、頭痛持ちで酷くなると吐く。

最近は更年期障害のためか、喘息持ちになった。その為か嗅覚がなくなっている。

 でも、弱音を吐かない。ゲロは吐いても弱音は吐かない。

喘息の発作が起きると一晩中横になれず、布団に寄り掛かって夜を明かすらしい。

 でも、それを理由に仕事を休んだことはない。

綺麗好きというよりはそれを通り越して貴賎病(きせんやみ)なげんのしょうこは、臭い

に敏感だったが、ここ一年ほど嗅覚がなくている。

 花が好きで一緒にタイサンボクを見に行って、「これは天国の匂いだね」と言い

「あー、この匂いを嗅いでいるとしあわせだぁー」と言い合ったのに、嗅覚がバカに

なっている。

 でも、それを愚痴ることはない。

辛いことがあると一人で解決しようとせず、大袈裟に騒いで

「だって怖いんだもん。誰かどうにかしてよ!」と、その頃の私は言っていた。

 げんのしょうこは、私を非難することはなかったが、不思議だと言った。

「なるようにしかならないんだから、何か起きてから考えてもいいんじゃない?

でも、何でも、どうにかなるようになってるんだよねぇ」とげんのしょうこは言う。

 彼女は、片親で育ったが不自由を感じたことはないという。

私より二つ上のたつ年生まれの彼女は、腹が据わっていて面倒見が良いので姉のように

思える時と、一緒にウハウハ騒いだり私とは違った臆病な面があって、そういう時は

妹のような気がする。

 私のわがままを聞き、私がふざけると喜び、

「麻子さんって幸せな人だねぇ」と笑う。

 

 私は、友達は居ないと思っていたが、げんのしょうこは友達かもしれないと思う。

 

 あっと、下血は異常なしだった。

あの時、少し私は変わった気がする。

 「だって、出来ないんだもん、怖いよー」と頑張ろうとしない自分に嫌気がさした。

自分に手綱を付けないと、灰の中に隠れている火種を熾すみたいに、自分でフーフー

して不安や恐怖を大きくしてしまうのかもしれない。

 げんのしょうこと話すことがある。

「これは、なかったことにしよう」って。

何でもかんでも騒いでオオゴトにしなくてもいいのかもしれない。

                               って。