ぎっくり腰2

 前回の話は、分かっただろうか?

娘(夏子)のアパートに私が泊まった時は、そいつは鳴りを潜めていたが、押入れから

北側の吹き抜けの非常階段の方へと通り抜け、歩いていた気がする。

 2001年に私が死にかけ、娘が家に戻ってからもそいつは娘を欲しがり、東京に引っ

張ろうとして大変だった。

 家族で食事をしていても、娘はなんでもないことに怒りが込み上げ、悲しくなり、

淋しさの虜(とりこ)になって喚(わめ)き出したり、駅に向って走り出した。

 私は美樹を連れて夏子の後を追った。

駅の構内に隠れた夏子は、美樹にだけは話しをした。

美樹が反抗して暴れる時もそうだが、彼女達は私を恨んで憎んでいた。

そのクセ、離れて暮らしていても一緒に暮らしていても二人は私に、総てを話したがった。

二人からは、毎日のように電話がきた。

私が師であると思っているバリ島に住む佐々氏に、夏子がアパートに住んでいる時、

隣に誰か添い寝をするんだと言ってきたことを話した。

佐々氏は、夏子の横に寝ているのは女の人ですね。と言い、夏子さんが愛おしいんですよ。

と、言った。

 それを聞いたとき、私は、それは自分の生霊ではないかと思ったが、帰郷してからも

それは夏子に取り憑いて離れなかった。

 夏子は、育った故郷の灯りが暗くて淋しくて居たたまれないと言った。

何も楽しくなく、面白くなく、将来の希望など全くなくなったように絶望し、自暴自棄に

なった。

 東京で暮らしていた時も、現(うつつ)を抜かして浮かれ、はしゃいで危険なことを

してきたが、帰郷してからは自分の力のなさに打ちひしがれ、失敗したことや駄目な自分

ばかりを思い出し絶望していた。

 そうなった彼女には、何を言っても通じなかった。

良い所を誉めると、「誉められたくない」と言って怒る。

黙っていると、「お母さんは、私を認めたことがない」と言って怒る。

話し掛けると、ウザッタがっているのをひしひしと感じる。

黙っていると、孤独になって涙を流す。

少し距離を置いていようと思うのだが、私の行動が気になって傍を離れられない。

私のやることや、話すことが気になるらしく、一々文句を付けてきた。

仕事も、自分でやるから手を出さないでくれという。

だから、黙って見ていると失敗し最後まで出来ず逃げ出す。

忠告は聞かず、教えようとすると聞きたくないと怒り、失敗してから、こうするんだと

教えようとすると、何故最初に教えなかったんだと怒る。

「失敗はこうすると、こうなるよという教えなんだから、この次から気をつければ失敗

じゃないと思うよ」と何度も言ったが彼女の耳には届かなかった。

 その頃、私はヨーガの教室に通っていた。

一緒にやろうと誘って、毎週金曜日の午前中に出掛けた。

「娘さんと一緒でいいね」と何人の人に言われただろう。

 しかし、それまで何事もなかったのにヨーガ教室の駐車場に車を停めると夏子が動かな

い。

「どうしたの?」と問うと「お母さん一人で行ってきて」と言う。

夏子は、歯を食いしばって何かを耐えていた。

天気のよい日だった。青い空を見上げると涙が出そうになった。

崩れ落ちそうな気持ちを建て直し、

「どうせ、ヨーガをやる筈だったんだから、海にでも行くか!」と笑ってみせた。

海は煌(きら)めき、風が吹いていた。

 

 夏子の気持ちが急に落ち着き出したのは、それから1年してダンスを習い始めてから

だった。

強くて優しくて、筋の通った先生夫婦に巡り会えたことが、彼女の人生を変えた。

元々は、我慢強く曲がったことが嫌いで一本気で、人のことは言わない子だった。

妹の面倒をよく見て、親や人に求めず自分で頑張る夏子が戻ってきた。

 

 ぎっくり腰の話しに戻ろう。

ある夏の日、東京の知人と居酒屋に行った。

その日は、夏子のアパートに泊まるつもりだったので夏子とその仲間も居酒屋に呼んだ。

居酒屋では夏の定番、肝試しのような怖い話しになった。

 その時、「こういう話をすると、私、体調悪くなるんだよね」と自分で言いながら、

その流れは変えられなかった。

 夏子の友達でレイラという娘がそこに来ていた。

レイラはアメリカ人のクオーターだということで、透き通ったような光る瞳を持ち、手足

が長く、くびれた腰は違う生き物を思わせた。

最初はその容姿から生意気な娘なのかと思ったが、怖がりで繊細なことが分かった。

だが、今刺青(タトゥ)を入れている最中なのだという。

「へー、痛くないの?」と私は感心して聞いた。

「和彫りは痛いらしいんですけど、私のは、洋彫りで電気で刺すから、そんなに痛くない

んですよ。でも、こことか、骨の上はちょっと痛いですね」と首を下げて背中を見せた。

彼女のうなじの下には、パステルカラーの花と蝶が描かれていた。

「わー、キレイ」

「こっちは、掘ったばかりだから触るとまだ痛いんですよ」とブラウスをたくし上げると

腰骨のところにも花が咲いていた。

それは、肌理(きめ)の細かいミルク色の肌にとても似合っていた。

「素敵だねえぇ」と感心した私は、彼女が怖がりなことを知って、怖い話しに熱が入って

しまったのだ。

 考えてみると私は、子供の時から怖い話しをすると金縛りになり熱が出た気がする。

短大生の時、山中湖の保養所で50日程バイトをした。

 その時も、私を慕ってくる高校生と中学生相手に怖い話しをして聞かせた。

私は気に入った観客が居ると、調子にのるクセがある。

山中湖で話したのは、実家の近くのデパートが火事になったことがあったが、その時

逃げ遅れて死者が出た。

その後デパートを建て直すことになったが、最初は風の音かと思ったが、風のない日で

もすすり泣く声が聞こえると評判になった。

それを話した晩から寒気がして、身体が動かなくなって2、3日寝込んだ。

 山中湖で私たちが寝泊りするために貸してくれた別荘は、そこの保養所を持っている

大手企業の奥さんが使っていたものだったという。

箱入り娘だった奥さんは人間関係の煩雑さからノイローゼになって湖に入水自殺した。

 その話しをしていると、レイラが本気で怖がっているのを感じ、こいつはヤバイぞ

と思いながら、私は話すのを止められなかった。

レイラの本気で怖がっている姿が、あまりに色っぽく美しかったからだ。

 

 友人は、知人の姉が、盲腸手術の時に麻酔がかからずそのまま手術することになったが、

その時地獄を味わい、それから普通の人には見えないものが見えるようになって学生の時

に傷めた腰を心配して亡くなった祖母がいるとを言われ、容姿や特徴まで言い当てたのだ

という。

 その人は本当に普通の人で、どうして見えるのだろうという話になった。

 

 そして、その晩は何ともなかったが、帰宅したその晩、体中が痛み金縛りのようになっ

て腰が立たなくなって何日か寝込んだ。

 こんな私が言うのは何だが、こういう話しは遊んだり面白がってはいけないのだ。

でも、見えない何かがあるということは、忘れてはならないのかもしれない。と思う。