偶然 4月18日(金)

 

 先日の花見で一緒になったSが、Kを連れてきた。

その時、私が親鸞好きなのを知っているSが、

「麻子さん、道元って知ってますか?」と聞いて来た。

「あぁ、あの求道(ぐどう)只管打座(しかんだざ)の道元、好きだ」と言うと、

「じゃぁ、今度道元が好きな友達、連れて来ますよ」と彼は言った。

 その道元好きKが、仕事の途中お寺の前の道が混んでいて横道に入りSの家にと立ち

寄った。

普通だったら平日に家に居ることなどないSが、その日はたまたま居た。

そして、私の所に行ってみようかという話になった。

私はその日仕事を休むつもりでいた。

しばらく休んでいないので疲れていた。

 でも、何だか仕事場に来ていた。

だから半分遊び気分で気持ちに余裕があった。

 そこへ、SがKを連れて現れたのだ。

何だか進路を変更し、居ない筈の者が居たり、居る筈のない者が居たりして3人が揃った。

 

 親鸞の話、仏教、釈迦、道元からキリストまで話は盛り上がった。

まだまだ話したいことはあったが、その話だけはしないでおこうと思っていたことを私は

話し出した。

 何故かと言うと、自分が大好きだの尊敬しているだのというのも実はオコガマシイと

思っている親鸞聖人の入滅の日と自分の誕生日が同じだなんて私にとっては凄すぎるのだ。

 でも、そこから話は始まるのだ。

 

 そして、河和田の唯円でない歎異抄を書いたトヨバミの唯円のお寺である西光寺に、

そこがそうだとは知らずに物心付いた時から私は通っていたなんて。凄すぎる。

 ※親鸞聖人との対話から歎異抄(親鸞が自分が言ってる事と、間違った解釈が出回って

いることを嘆いた)を書いたとされる唯円は二人居る。

 水戸市河和田の元大工だった人と、徳川家の流れで子を亡くし生きる希望をなくして

いたが、夢のお告げから親鸞に出逢い出家した今は谷河原に寺があるトヨバミの唯円。

 

 親鸞が笠間に居を置いて太田の方も足を運んでいたことを知ったのが2007年だった。

2001年3月18日に何と言っていいか分からない体験と感覚に会い、もういいよ。と

 何かに許された同6月18日。

あの時も何回目か分からない歎異抄を読みながら必死で生き延びていた。

 

その6年後2007年4月11日、親鸞が身近に暮らしていたことを初めて知った私は、

花見がてら両親を連れて枕石寺へ行った。

 入口で親鸞聖人が枕石寺に訪れた時の説明を読んだ。

『偏屈偏狭で島流しされた日野が親鸞との出逢いによって改心する。

 その時に親鸞聖人は「あの海のような広い大きな心になれよ」と言われ「大海心」と

書を書かれた。

 それが、親鸞入滅の日の前後11月末に公開展示される。』とあった。

その書を見てみたいが、自分の誕生日の頃だから忘れないだろう。と思った。

 そして、11月28日が入滅の日だったと知る。

 

その日2007年6月6日(水)、私は、母を習い事に送りがてら西光寺に行こうと決め

た。

母の家に寄って車に乗せ出掛けようとすると、そのすぐ横の家に停まっていた車のナ

ンバーが、729、長女の誕生日と同じだった。

何となく向かいの家に停まっていた車を見るとそのナンバーが1125二女の誕生日

と同じだった。

 その自動車が停まっていた所の土地の持ち主だった人が天国に旅立った2012年、

今の仕事場となる土地750坪を譲り受け、沢山の人が集まれる憩える場所を作りたい

という念願の夢が実現に向かうことになる。

 

 で、西光寺に着いて感無量の気持ちで門の前に立った時、隣の家から車が下りてきた。

その車のナンバーが1128だった。

 

 その1週間後、友人が訪ねてきた。あの1128の車が出てきた家の人だ。

私は感じたり聞こえたりするような気はするが、本当に見えたり聞こえたことはない。

なのに、何故か彼女は修道女のように見えた。

彼女に「偶然、親鸞聖人入滅の日にちと、私の誕生日と、車のナンバーが同じだった」

という話をした。

すると、「兄の誕生日も11月28日だったのよ」と彼女は言った。

だった。というのは、前年の9月に兄があの車を購入した時、ナンバーを見て何だか

不安になった彼女が、

「何だかお兄ちゃん死んじゃう気がする」と言ったのだという。

「大丈夫なんだよ」と兄が言ったのは、死なないよ。という意味だったのか、死んでも

大丈夫なんだよ。だったのか。

翌年になるその年の4月18日、兄は突然死していた。

その直後、姉が歩道橋から落ちて意識が戻らないまま、4月28日この世を去る。

 姉が亡くなる前に兄が夢に現れ「生きて行くのも大変なんだよ」と言ったという。

家族を捨てた父親の面倒を、彼女だけが最後まで看た。

 父親の命日は、4月8日。お釈迦様の誕生日とされる日だ。

 

「不思議だよね」と私と彼女は長く話し込んだ。

 その翌日だったと思う。

彼女から電話が掛かってきた。

「麻子ちゃん、西光寺に行くって言ってたでしょ」

「ん?言ってないよ」

「ウソ、言ってたわよ」

「そぉけー、でも、私面臭がり屋だから行く気ないよ」

「それならいいんだけど、私そう聞いた気がしたもんだから。

でも、明日の土曜日と日曜日は大谷派の偉い人達が水戸に来るので住職さん、そっちに

行っちゃってて、西光寺に行っても会えないからね」

「そうか、アリガト」と電話を切ったが、何だかとてつもなく行きたい気持ちになった。

 その頃は、月曜日が仕事休みだった。

よし、月曜日に行くぞ。と決心してカレンダーを見たら、6月18日。

 あの、「もういいよ」と、何かに言われた日だった。

そして、アジサイを胸にお寺に行き住職に会った瞬間、訳の分からん涙に溺れた。

 

 という話をした。話をしている時Kが何度も首を傾げていたが、

Kの誕生日は、11月28日だった。

「18日と28日ってのが、自分にとって何かキーワード的な感じで一番強い影響を受け

たと思う祖父の命日が11月18日だったんだ」と言うと

「僕の祖母の命日は10月18日です」とKは言った。

信心深い人だったという。彼がそう言った途端、暖かい春の陽を感じた。

 

 Sが携帯をいじりだし、「あれ?今日って」と言うのを聞いて

「あー、4月18日だぁ」と3人の声が揃った。