ハーブ

 

「暖かくなって、春っていいですね〜」と、麻子が子供を抱いた母親に声を掛けた。

「ええ」と答えた母親は、その店に何度か来ているお客。

4,5歳になる女児は、母親にベッタリとしがみ付き、麻子が「こんにちは」と声を

掛けても母親の胸に顔をうずめたままだ。

「ねぇ、あのこと、相談してみたら?」とその横に居た母親の友達が言った。

その人は、子育てや姑との確執、友達とのもめ事の話を麻子にしては麻子の考えを聞いて

きた。

最近では学校でのイジメが続いている話で、麻子なりの考えを話したばかりだった。

「相談してもいいかなぁ」と、母親は誰に聞くでもなく言った。

「いいでしょうよ、相談しちゃいなよ。違うもんがみえてくるよ」とその友達が後押して

いる。

「なに」と麻子が言うと、

「相談してもいいですか?」と母親。

「ん、いいけど、私、情け容赦ないよ」

と言った麻子は、今まで人の相談に乗ったことはない。と思っている。

話を聞いて自分が考えたことを言っているだけで、それは相談に乗る。というのとは

違う。と思っている。

「お願いします」と母親が言うのを聞いて、

「はいよ」と麻子は言った。

 

それから、「大事にしてたのに」とか、「きっと、親切でやってくれてるつもりだった

んでしょうけど」「私に断りもなしに」「私が気が付かないうちに」「悪気はなかったんで

しょうけど」「もーどうしたらいいか分かりません」「やられちゃって」「田舎の人だから」

「いつもそうなんです」「わざわざ買ったものなのに」「いやんなっちゃう」で、

「またやられたらどうしたらいいですか?」という長い話をまとめると、

 『自分が居ない間に、近所に住む夫の両親が、家の周りの草引きをして行った。

その際、植木鉢に植えて置いたハーブを、分からずに抜いて捨てていった』ということ

だった。

 

「ん、余計なことばっかりしてんじゃねえよ」と麻子。

「え!? 余計なことって?親達が?」

「ちがーよ、あなただよ」

「え!私?何か余計なことしてますか?」

「うん、やるべきことしないで余計なことばっかりしてる」

「何をですか?」

「余計なことってのは、やられちゃったという被害者意識、また、やられるんじゃない

かという疑いの心と予期不安を持つことね。」

「あ〜」

「次に、草引き、やらせてあげてる。っていう思い上がり。喜んでやってるのに、文句

言ったら可愛そう。つったよね。人のこと可愛そうっていうヤツが可愛そうな人間なん

だよ。

そして、自分がすべきことをしないで、『あなたどうにかしてよ』っていう旦那に八つ当

たりする」

「え〜、見えるんですか?」

「想像」

 

「で、先ずあなたがすべきことは、正直、真直ぐ、礼儀、先ずは草が引いてあることを

知った時点で『草引いてくれたんですね、ありがとうございます』とお礼を言いに行く。

家、近所なんでしょ」

「はい、でも滅多に行かないから」

「行かないからナニ?!

失礼なやっちゃな、何かして貰ったらお礼を言うって、教わらなかった?

あと、言いたいことは自分の口で言う。

あなた、親が間違ってハーブ抜いたこと旦那に言わせるつもりだったでしょ」

「何で分かるんですか?」

「その何でも人のせいにして、更に人を手先に使おうとする、感謝の何たるかを分から

ない思考の構造こそが不幸せの構造。

そこに気が付いたら、一気に幸せに向かって変化していくよ」

「どうしたらいいですか?」

「めっちゃ、簡単。

さっきも言った素直。気が付いたことを一つ“自分が”やる。草が引いてあって気持ち

良かったでしょ」

「草引きしなくちゃって思っていた所だったから、キレイになっててビックリしちゃい

ました」

「そしたら、すぐに走って行ってそのまま言えばいいのよ

『やだ〜、草引きしなくっちゃって思っていた所だったから、キレイになっててビック

リしちゃいました〜』って『アリガトゴザイマスぅ』って、さ」

「でも、ハーブ、抜かれちゃったんですよ」

「そしたら、これも『や〜だ〜』だな『あの植木鉢に草みたいなヤツ、ハーブだったん

ですよ、でも、大丈夫です。知り合いからまた貰いましたから』って言いに行く」

話しの途中で麻子の家の庭にそのハーブがあることが分かって、あげることになって

いた。

「でも、そんなこと言ったら関係が悪くなりませんか?」

「だから、それが余計なことなの。こう言ったらこうなるか、こうしたらこうなっちゃ

うか。って、あなた自分の都合ばっかり気にしてて、人のこと考えてないでしょ。

先読みばっかりしてると、ちゃんとやるべきこと、例えばお礼を言うとか、助けの手を

出すとかが、出来なくなるんだよね。

気を回すヤツ程、気が効かない。って定説なんだな」

「それって、私です」

「やっだぁ、あと、人を手先に使わない。

言いたいことや言わなければならないことは、自分の口で言う。

あなた、旦那に言わせようとしてたでしょ」

「はい」

「それって、最低で最悪だからね。

旦那に言わせたら『お袋、余計なことすんなよ』位しか言えないからね。

そしたら、近所に住む親達が辛いことになるの、知ってる?

もう草引きに来れなくなっちゃうか、来づらくなっちゃうんだよ。

草引きって、自分から頼んでもやりたい人はやりたいんだよ。

あなたも草引きして貰って助かってるんでしょ?」

「子供も小さいし、すごく助かってます」

「だから、それを真直ぐ伝えればいいんだよ。簡単じゃん」

「何話していいか分からないから、あっちの親とは殆ど話さないんです」

「口下手な親なのかな」

「そうです」

「じゃあ、あなたと相性いいね。あなたも口下手じゃない?

でも、どんなに話が下手でも心を伝えればいいんだから、簡単よ。

そして、心を感じる。

大事なのは、自分がどういう心を持とうとしてるか」

 

「あとね、この娘がこんなにイシカイ(良くないの方言)のは、簡単に良くなるよ」

「イシカイ?」

「あ〜、不出来ってこと」

「不出来ですか?」

「不出来じゃないの?いつもブスくれてて、誰かに話しかけられても返事もしない、

何か誘ってもやる気にならない」

「そうですね」

そう話している時も、抱っこされてる母親の尻を靴の踵で蹴って、口も利かずに自分の行

きたい所へ行かせようとする姿は、暴君のようだった。

 

「ね、この子が明るくて元気で、色んな事に興味を持って生き生きしたら嬉しくない?」

「それは、もう、理想です」

「それも、簡単だよ」

「教えて下さい」

「勿論、教えるさぁ。

あ、その前に問題、父親はどっちのタイプが良い父親でしょうか?

一番、自分のやりたいことに夢中になるタイプで、自分のやりたいこと優先の男。

二番、子供優先で自分のやりたいことは我慢するタイプ。

さー、どっちだ」

「子供優先?」

「ママはその方が助かるよね。

『あなた、自分の好きなこと“ばっかり”してないで“たま”には、子供の面倒みてよね』

とか、『父親だったら父親らしく休みの日“くらい”は子供と遊んでやってよ』って、

言ってない?」

「もー、まるっきり我が家のセリフです」

「へっへー、実は私も子育て中はそう思って、思いまくってました」

「やっぱりー」

「はい、でも年を重ねて少し分かったことが、一番ムカつく人を大事にすることが、自分

を大事にすることなんだ。ってこと」

「どーゆー事?」

「どういう訳か、一番大事な味方の筈の夫が、一番ムカついて八つ当たりしちゃう。

でも、それは絶対自分を楽にはしない」

「楽にはしないか…」

「うん、でも、大事にするってのは、上げ膳据え膳でチヤホヤするってことじゃないんだ。

これまた簡単なことで、話しかけられたら返事をする。

話して来たら聞く」

「やだぁ〜、また見えてるんですか?」

「もー、見えてるとかじゃなくて、どこの家も夫が蔑(ないがしろ)にされて、失礼な

目に合ってる。ってのがキマリなんだな。

でも、その点こそが、家庭の、ホームの良くなる鍵のような気がするんだな。

昔、ママコイジメ(実の子でない子供を苛める話)ってのが、小説のネタだったけど、

家や社会に疎外されたり居心地の悪い人を作るということは、そこに居る人そのものが

未熟で不幸であって不幸なんだ。

そして、疎外されていない人が、居場所がなくなることになるんだ。分かる?」

「分かるような気がします」

「父親ってのは、やりたいことがあってワクワクしてれば、子供はその背中を見て自分も

何かやり出す。っていうんだな、でも、ここで重要なのは見せる為の背中じゃないって

ことなんだけど。

子供のやりたいことが嬉しいという父親に育つ前に、

『あんたばっかり好きなことしていいよね』とか『私ばっかり損してる』って攻撃して

たら、未熟ではあるけど魅力的なワクワクが消えてしまう。ってこと、覚えて置いて。

あと、どういうお母さんだと子供は安定するでしょーか?」

「いつも笑顔?」

「出来るだけ笑顔でいたいけど、いつもなんてそんなのウソの笑いにならない?」

「じゃ、包容力」

「まぁ、あったらいいね。

答えは、

台所に立った時に鼻歌を歌う。でした」

「えー、歌ったことない。だって、私、家事嫌いなんですもん、面倒臭―い」

「そりゃ、よかった。やったことない。ってことは効果が期待出来る。

よく、楽しむとか前向きにとか具体性のないこと言うけど、たーだ、鼻歌歌えばいいん

だから、文句言わないでやればいい。

そんで、今までしたことないんだったら、やったらどういう効果が出るか、チョー楽しみ。

脳ミソって騙されやすいんだってよ、悲しくても辛くても笑顔を作るとセロトニン出し

ちゃって、気持ちが明るい方向に向かうんだって。

よく鼻歌を歌う母親の子供は、安定して色んな能力が高くなる。ってデータが出てるら

しいんだけど、どうせエネルギー使うんだったら、疑いだの予期不安だの他との張り合

い戦いじゃなくて、何か面白くて、ワクワクするものに向けたいよね」

「でも、難しいですよね」

「簡単じゃん、たーだやればいいんだもん。

為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬな人の為さぬなりけり。って

人事を尽くして天命を待つ。って、知ってる?

やった結果は神様が決めるんだけど、やるのは自分。やることは何時だって出来るんだ」

 

「ハーブ抜かれてよかったね。

一回こういうことがあると、これから草を引く時、草のようでも植木かもしれないって

気を付けるようになるね。

あと、台所で鼻歌、やってみな。

旦那の話もちゃんと聞く『何か、オマエ、最近いい感じじゃん』って言ったら大成功。

そしたら、娘が変わるぜ。次に娘に会うのが楽しみだな」

「あんまり、期待しないで下さいよぉ」

「いや、期待しちゃうね」

 

帰りがけに母親の友達が「ね、話してよかったでしょ」と言っている声が聞こえた。

 

誰かが、鼻歌を歌っている。

誰かに聞かせる為でなく、誰かを安心させる為でなく。

ただ、鼻歌、歌ってる。

その人に、嬉しいことがあったのか、悲しいことがあったのか。

ただ、鼻歌を歌っている。