ハガキ

 

 昭和8年生まれのキヌが、小学生だった頃の話だ。

「松雄が、兵隊にとられた」

父ちゃんはそう言った。

赤紙が来て、キヌの一番上のあんちゃんである松雄が軍に徴集(ちょうしゅう)された

のだ。

 それからの父ちゃんは心配で居ても立ってもいられず、夜も眠れなくなった。

 

 松雄は猿田家の長男に生まれたが、母方の実家(カミ)が裕福で松雄の叔母が3人も

居て可愛がり手放さない、両親が忙しいこともあってそっちの家で育てられた。

 中々授からなった子が、松雄が生まれた途端子宝の道が開通したようで乳を呑ませて

いる間は生理がなくて出来ないが、生理を1回か2回見ると次の子が出来て4番目の子を

生まれて間もなく亡くして3つ開いた他は、律儀に2つ違いの子供が7人そろっていた。

 

 父ちゃんは、「ウチは子供が余ってる。弱い子共を助けてなんぞいられねぇ。

みんな自力で生きていけ!」が口癖の人だった。

 キヌはそれが怖くて(あー、弱かったり、頑張らなかったりすると見捨てられっちまう

んだな)と思って生きてきた。

 「松雄は自分たちで育てていないから愛情が湧かないんだ」と母方の叔母たちの見解

だった。

その松雄が、徴集されて宇都宮に行ってから、殆ど一緒に暮らしていなかった父ちゃん

が夜も眠れないことになったのだ。

 松雄は、叔母たちに可愛がられ甘やかされ、その辺りには珍しい優しい都会的な雰囲気

の落ち着いた子で育った。

 徴兵から軍隊ではどういうことがあるかという噂を聞いて、それはそれは怖がり受から

ないようにするために醤油を飲んだりした。

 醤油を飲むと顔色が悪くなり、痩せて病気のように見えて不合格になるという噂が

あったのだ。

 しかし、その甲斐もなく、背が高く体格の良い松雄は、甲種合格になった。

近所の悪ガキシンちゃんは、兵隊に行くのが夢で志願したが年齢が低いことと身体が小

さいことからか不合格で悔しがっていたが、松雄は出来たら交代して欲しかった。

 身体は大きいが喧嘩も満足に出来ない松雄。腹っぺらしで何か美味しいものがあると

嬉しそうに大事に食べる松雄。

 そして、父ちゃんは思いついた。

(どーせ眠れねぇでいるんなら、夜っぴで歩いて松雄のとこさ行ってみっぺ)

 

 そこで翌朝、餅米を水に冷やした。うずら豆も水に冷やして塩で煮させた。

それから餅をつき、つきあがった餅の中に塩で味付けしたうずら豆を入れて団子にした。

 風呂敷に餅を入れ背中にしょって出かけようとしていると、本宅のオバアサンが話を

聞きつけてやって来た。

そして、

「おめぇさんは、何言ったってきく人じゃあんめ。これ貸してやっから履いていきな」と

クツガケ(とび職などの履く裏がゴムで出来た足袋のような物)をさし出した。

 そこで押し問答している場合じゃない。

父ちゃんは頭を下げると家を後にした。

 

 宇都宮の駐屯地は、猿田家のある常陸太田の馬場(ばんば)からは、車でだって2時間

以上は掛かる場所にある。

 昭和19年当時は、山道で満足な道路もなく、ましてや舗装道路なんて見たこともない

時代だった。

ドンドン暗くなる山道を父ちゃんは歩いた。

父ちゃん(おじいさん)は身体は小さかったが、足の速い人だったらしい。

「夜も寝ねぇで、どーやって歩いたんだかなぁ」とキヌは言う。

クツガケは少し履いて歩いたが、底が減っちまうからと間もなく脱いで裸足で歩いたと

いう。

 

 翌朝早くに駐屯地に着いた。

まだ暗かったので近くの林で休んで待った。

 駐屯地に入って行って「息子に会いに来た」と言うと、「何処からか」と聞かれた。

「常陸太田の馬場だ」と言うと、「よくもまあそんな遠くから来たもんだ」と感心された。

 しかし、「特別に面会は許すが、持ってきた物は持ち帰ってくれ」とのことだった。

「分かりました」と、父ちゃんは松雄と会う。

 そして、帰りがけに「下駄箱の裏に荷物を置いていくからな」と耳打ちをして帰って

来た。

 

 それから何日かして一枚の葉書きが届いた。

印を付けて風呂敷の中に入れて置いた葉書きだった。

 それは「お国の為に元気で頑張っております」といった検閲に引っ掛からないような

ありふれた内容だったが、父ちゃんは無事に風呂敷が松雄の手に渡ったことを知って喜

んだ。

 あんなに子供に厳しくて、何かあると「死んじめぇ!」と怒鳴り、殴り、

「おまえを殺して俺も死ぬ!」と日本刀を振り回す父ちゃんにあんな部分があったんだ。

と初めてキヌは知った。

 

「キヌ、おめ、あんちゃんに葉書きを書け」と父ちゃんに言われて、尋常高等小学校の

5年生だったキヌは葉書きを書くことになった。

 キヌは妹1人と弟2人の守りと家の中のことをやらされて満足に学校に行っていない。

よって、満足に字が書けなかった。

 (ひらがなばっかりじゃミバが悪いから、少しは漢字を書くべ)と思って本宅から辞書

を借りてみたが、その見方が分からない始末。

 それでも一週間かかって葉書きを書いた。

 

「あんちゃん、元気ですか、うちのみんなは元気です。

父ちゃんは夜もねむれないほどあんちゃんのことをしんぱいしています。

 あんちゃん、どーかからだに気をつけてやってください。

うちのみんなはなんとかやっていますから、しんぱいしないでだいじょうぶです」

 それを父ちゃんに見せると、

「おー、上出来だ」とニコニコした。

 

 戦争が終わって帰って来たあんちゃんに聞くと、餅は便所の中で食べたそうだ。

「便所は臭かったが、そんなの気にならねぇ程美味かったぞ」とあんちゃんは言った。

 

 長男の松雄あんちゃんは、字や絵が上手い。

二男の菊次あんちゃんは、研究家だが字が下手。

 三男の寅あんちゃんは、身体に彫り物をしたり行方不明になってたりするが、絵も字も

上手い。

 次のキヌは、下手組。

キヌの2つ下の勘太は下手。

 その2つ下の鈴江も下手。

末っ子の光男はどうだったかなぁ。

 同じ親から生まれたのに才能も性格もみんな全然違う。

面白いもんだなぁ。とキヌは思う。

 一度、筆不精の菊次あんちゃんから手紙を貰った松雄あんちゃんが、

「あの手紙はキヌが書いたのか」とキヌに言っているのを聞いて

菊次あんちゃんは、益々手紙を書かなくなった。

 

 

<自転車>

 戦争が終わって、松雄は高萩に住みこみで働くことになった。

でも、優しいがカミで甘やかされて育った松雄にとって人間関係で揉まれることが何より

苦しく、寮を抜け出して逃げて帰って来たことがあった。

 夕方の闇に自分の家の灯りがこぼれるのを、あんちゃんは、どんな気持ちで見ていた

んだろう。

大きな身体を縮めるみたいにして、あんちゃんは井戸の柿の木の下に立っていた。

 

 そこでまた、本宅のオバアサン登場。

「一晩でも停めたら里心がつく、このまま高萩まで送っていけ」と父ちゃんに言った。

そして、その頃は希少価値だった自転車を貸してくれた。(前の時にはなかった)

父ちゃんは、あんちゃんを自転車に乗らせて夜中まで掛かって高萩まで送って行った。

そして、(帰りは急ぐワケでもねぇし、タイヤが減っちまうから)と、自転車を押して

帰って来た。

 

 ウソみてえな話だが、本当だ。

 

 一枚のハガキの映画を観た時、同時にこの話も思い出して何時か書いてやっぺと思って

いたんだ。

 やっとこさ、書けたさ。