ハゲ (ムカドン)

 高校生の娘が、友達と話しているのが漏れ聞こえた。

「あのハゲが!」

その言い方は、情け容赦がなかった。

 

 電話が終わった所で娘に言った。

「あの言い方はないだろう、ハゲてる人は自分の責任でなった訳じゃないだろう」

「だったら、何故ハゲという言葉に反応するの?

ハゲに偏見を持ってるのは、お父さんの方じゃないの?」

「いや、あの言い方には尊敬のカケラもなかった」

「だって、尊敬してないもん」

ハゲと呼ばれていたのは、娘の先生だった。

 

「お父さん、あのハゲって言われている人(先生とは言わなかった)は、授業に対しての

誠意も熱意もなくっていうか、私は全く感じられなくて、更に生徒を馬鹿にした言い方

をする人なの。

『お前らは分からないだろうけど』、とか、『どーせ、言っても無駄だろうが』とかって

必ず失礼な事を言って、黙って勉強だけ教えろ!って感じ。教え方も下手だし」

「だからってハゲって言っていいわけじゃないだろ」

「ふふん、その人よりもっと剥げてる先生がいるんだけど、誰もその先生のことは

ハゲって言わない。

その先生は、生徒に対して失礼なところがないし、教え方も上手だし、先生は勉強教えて

ナンボだよ、教える気がないなら先生やんないで欲しいよ」

「はぁー」

 

 それを聞いて思い出した。

ある大会社の二代目が、幹部の集まりで「社長が座るまでは、座ってはならない」というキマリを作った。

それは、父親が社長の時には、社長が椅子に座るまで誰一人椅子に座らなかったのに

息子が社長になって、自分が座る前に椅子に座っている者がいるのを見たからだ。

 先代社長は、一代で会社を興し築き上げ大きくしてきた会社だったが、その社長が

60代で亡くなり息子が後を継いでいた。

 先代の社長は、カリスマ的信頼があった人だった。

その社長のためだったら何でもするという仲間が集まって会社を大きくしてきた。

 社長もその者たちを大事にし、「私が座らなくても座っていなさい」と言う人だった。

でも、誰も座る人は居なかった。

 まあ、息子の人間性もあるだろうが、息子を弁護すると、幹部諸君も年をとって立って

いるのが大変だったんだろう。

 だったら息子は「いいから、座っていていいよ」と言うだけの器量があったらカッコ

良かったのに。

そしたら逆に座る人なんか居なかっただろうに、と思う。

 

 安倍前総理大臣が入廷した時に、座っていた議員大臣がいて、それを注意した者が

いた。

一つには、安倍前総理がそれだけの権威を持っていなかったということがあるのだろう。

そして、また、彼が自分の派閥を持っていないことによって後ろ盾がなかったのか。

 しかし、自分の仲間身内だからといって敬意を示し、自分の身内でない自分に得が

ないからといって一国の長に対して敬意を払わないような人間が、議員大臣になって

いいのだろうか。と、思う。

 人を馬鹿にし、敬意を持たない人間は、自分の人間性の低さを露呈することになる。

その時、安倍総理は、気弱な笑みを浮かべていた。

私だったら「いや、そのままで結構、形だけの敬意は示して欲しくない。

逆に、私に対する感情と扱いがはっきりするし、その人の人間性の観察にもなりますから」

と言いたい。

 

まあ、安倍さんも大変だったと思う。

就任中は、総理を辞めろコールが鳴り響き、辞めれば無責任の声が鳴り止まない。

 でも、自分の部下がした失敗に頭を下げない彼に、私は信頼は感じられなかった。

自分がやったわけではない、という子供みたいな彼の距離間に薄ら寒い思いをした。

 

国が親だとしたら、大臣は兄姉、国民は弟妹子供みたいなもんじゃないだろうか。

先ずは、親は責任を持つ、そして、みんなが良くなるために努力を惜しまずまい進する。

 大臣も同じ、みんなのために努力するのであって私利私欲のために頑張る訳じゃない。

貴族社会から戦国時代、そして権力金力、戦争の時代を経て、また権力金力の社会。

いつになったら人々は目覚めるんだろう?と思う。

 公金を横領し、年金を盗み、賄賂、ピンはねに明け暮れる日本。

「お代官様、それはご無体な」と働いて出来た米を取り上げられた時代となんら変わっ

ていないではないか。

 大体が、金を盗んでも返さないというのはオカシイ。

先ずは、金を返す。それから刑に服し、反省して第二の人生を送るのだ。

責任を取ればいいんでしょ!じゃなくて責任を持って生きるのが先決。

間違いや失敗は明らかにして、同じ間違いや失敗を犯さないよう努力する。

 

 あー、ハゲの話だったのにまたムカドン節が止まらなくなった。