母の日

 明日は、母の日でやんすねぇー。

ミナサンのお母さんはどんな方ですか?

 母と子の関係ってのは、一口では言い表せない何かがありませんか?

私はあります。

昨日のテレビで、街角インタビューを放映してたんですが、女子高生たちに向かって、

「お母さんは、好きですか?」と質問していたんですね。

すると、殆どの娘が「はーい、好きでーす」と答えるんです。

「どんなところが?」とか「どうして?」と聞かれると、

「だって、いろいろやってくれるしぃ」とか「心配してくれるしぃ」という答えでした。

「じゃ、嫌いなところはある?」と聞かれると、

「あっ、あっ、うるさい」「お節介」「すぐ怒る」「自分勝手」「感情的なところ!」と口々

に答える。

 因みに、「親が離婚した時、どっちについていくか?」という質問には、

半数以上がお母さんで、6%がお父さんでその他は、どっちともいえないでした。

 

 それらの言葉だけで判断するのは、早計、早まった軽率な判断でしょうが、考えの浅さ

を感じました。

 自分にとって都合のいいことは好きで、都合の悪いことは、嫌いなんですね。

“〜してくれるから”というモノモライ根性(こじき根性)や、浅はかな思考回路による

判断は、その裏にある愛情や事情、悲しみや苦しみを思いやることも出来ず、表面でしか

物事を見ない、というか見えないんですね。

 

 ある俳優が、子供の頃に“雨降り”の歌が大っ嫌いだった。って話しているのを聞いた

ことがあるんですけど、彼は、幼い頃に母親を亡くしたんだそうです。

「それが、何で学校であんな歌、歌わせるかなぁ」と還暦を過ぎた彼が言います。

「雨降りで、お母さんがお迎えにきて嬉しいな、で、その後には、お迎えの来ない子が、

柳の根方で泣いているんだよ!それで自分の傘を貸して、ボクはお母さんの傘で一緒に

帰るってんだ!貸してもらいたくないよ!」って口から唾(つばき)飛ばして怒ってた。

 

 思うんだけど、母親は神様じゃない。

母親も一人の人間として、彼女なりに精一杯生きているんだと思う。

自分の意に沿わないからといって嫌うというのは、自分のエゴだ。

私がその彼の母親だったら、彼に伝えたい。

「私が居ない淋しさを乗り越えて、大きな人間になって下さい」って。

親は子に、子は親に対して、同じ時を生きる、生きた同胞としてただ愛しく思うだけで

いいんじゃないかと思う。

子を残して死ぬことを望む人はいないと思う。

例え自殺したとしても、死にたくて死ぬ人はいないと、私は思う。

子を捨てる母であっても、その心の中に何があるかは誰も分からない。

 生きている間は、間違いだらけ、不完全の塊の人間。

その一人である母親、そして自分。あー、愛おしいなぁ。

 

♪雨、雨、降れ、降れ、母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいな、

ピッチ、ピッチ、チャプチャプ、ランランラン♪

♪かけましょ カバンを 母さんの 後からゆこゆこ 鐘がなる

                 ピッチ ピッチ チャプ チャプ ランランラン♪

♪あれ、あれ、あの子はずぶ濡れだ、柳の根方で泣いている、

ピッチ、ピッチ、チャプチャプ、ランランラン♪

♪母さん 僕のを 貸しましょか 君君、この傘 さしたまえ

                 ピッチピッチ チャプチャプ ランランラン♪

♪ボクならいいんだ母さんの 大きな蛇の目に 入ってく

                 ピッチ、ピッチ、チャプチャプ、ランランラン♪