花見の前に

 

何故、急に両親と花見に行くことになったかというと。

 

 3月30日、母親を病院に連れて行った。

9時半に予約が入っていた。病院まで、道路が混んでいなければ30分で行ける。

 でも、心配なので8時半に両親の家に行く。父はダンスの日で居なかった。

母は、「早く出かけようよ」と急かしている私に冷蔵庫の中の説明を始める。

 やっと車に乗り込むと、嬉しそうに曾孫(ひまご)の話になり私が産まれた時の話に

なる。

何時もの、何度聞いたか分からない私が産まれた時の話と、母の実家で私がどんなに

可愛がられたかという話。

 耳にタコが出来るくらい聞いてきた話は、車の運転をしている時は都合がいい。

何故ならいくら聞き流しても全部分かっている話だから、適切に適当に相槌が打てる。

 そうこうしていうちに左折するべき交差点が、何処だか分からなくなった。

「ここで曲がるんだっけ?」と、母に聞いたのが間違いの元。

「うん、そうだ!」

その自信たっぷりの言い方に、ついウッカリ乗ってしまった私。

 母は、筋金入りの方向音痴。そして、それは、私も同じ。

 

何時も渋滞している国道を避けバイパスで出来るだけ進み、国道沿いに建つ病院に近い

交差点から国道に出る。のが、一番なのだが、ついウッカリ母の言葉に騙され、その大分

手前で国道に出てしまった。

 やっぱり、渋滞していてノロノロ運転。

「なんだ、麻子間違ったのか?!」って、オメーのせいだよ。と思うが、信じた私がバカ。

 私と出かけると遠足気分になるらしい母は、ニコニコ顔で喋り続ける。が、私は予約の

時間に間に合うかと焦ってきた。

 だが、不機嫌な顔をすると心配そうな顔になるから、笑いながら適当に話を合わせる。

病院にはギリギリに着く。

 で、焦っていた私は、玄関前で母を車から降ろすのを忘れて駐車場に入ってしまった。

ちょっとの距離だから歩いても大丈夫だろうと思った。

 車から降りても喋り続ける母は、ゼイゼイしている。でも、少し黙ったら、と言うのが

悪いような気がして勝手に喋らせながら受付だけでも先にしてやろうと、母の先を行った。

 後からゆっくり来な。と言おうとしたが、言わないでしまった。

そして、病院の玄関に入った時「麻子、麻子、何だかおかしい」という声がした。

「えっ」っと振り返ると、丸々と太った母が、後ろから私にしがみつくような形になり

回転し床に倒れた。

 慌てて頭の下に手を入れた。

「麻子よ、何だか暗くなっちゃったんだ、時々こうなるんだ、この間も」

「いいから、黙って」と、倒れても喋り続ける母に言う。

 そういえば最近、起き抜けに倒れたり、洗濯を干していて倒れたと聞いてはいたが、

単にそそっかしくて転んだのだと思っていたことを、思い出した。

 病院の人が車椅子を出してくれ、緊急待合室みたいな所に母は寝かされた。

午前に行う予定だった採血検査は、そこで横になったままでやってくれた。

 午後からは担当医から話を聞く予約が入っていた。

何をするでもなく寝ていた母の腹が「グー」となって、

「あのぉ、お昼食べてきてもいいですか?」と看護師に声を掛けた時は、すでに1時を

回っていた。

 予約は午後3時、「どうぞ行ってらっしゃい」と言われ、病院内にあるレストランに

行った。

 おい、何処が病人なんだー。という感じで、母はオムレツを平らげた。

 

 毎月何回も病院に行くことになる母、そこについていくのが私の役目、というか、それ

をしないと私の気が修まらず、面倒だと思う時もあるが、やれるということが嬉しく

誇らしくもある。

 

 結局、その日は何事もなく済んだ。

 

 私は、正月に休んで以来、自分の仕事と母の病院通い、そして2月1日に娘の出産、

産後の世話と続き「もう限界だから明日だけ休ませてくれ」と、娘たちを帰したのが

20日。そして、その翌日、どうしても抜けられない仕事が入ることになる。

そして、21日に母が入院し、22日が食道に出来た靜脈留のケッサク(縛る)手術

をした。

母はその前に検査で鼻から入れた胃カメラがなかなか入らず難儀をし、その後も鼻血や

痛みがあり、その報告の電話が度々入っていた。

って、何がなくても電話は毎日のように掛かって来るんだけどね。

 

 内視鏡手術は、鼻からでなく口から入れるからと安心していた母だったが、手術は

痛くて苦しく大変だったらしい。

手術してから一週間入院し、一週間後に胃カメラを覗いてまだ静脈瘤が残っていたら

手術しちゃいましょう。ということになっていた。

 手術が終わって2日目だった。

母は耳が遠いし、イビキも掻くので大部屋でなく個室に入っていた。

病院に行き部屋に入っていくと、

「麻子よ、ユンベはヘーンな夢みたんだ」と例によって待ちかねたように母が話し出した。

「なに、どういう夢?」

「それがぁ」と話し出したのが、亡くなったお祖母さんや病気の母の兄達が夢に出てき

たんだという。

「お母ちゃん、アッチに行くのが近いのか?!」と言うので、

「うるさいから、まーだ来んなって断られるよ!」と言ってやった。

夢の中で、以前にあった兄妹との面白くないことを思い出して喧嘩になった。

怒った母は、その人たちを「怒鳴って、やっつけてやったんだ」という。

そして、

「ここの病院、お祭りでもやってんのかな。

夜になっと、そこの廊下で色んな人がウタ歌ってんのが聞こえんだわ」と言う。

「へー」

「それに、夜になっと、ここのガラスにテレビが映んだわ」

「へー、どういう風に何が映ったの?」

「何だか、チーラチラしてて、お母ちゃんだって眠いし何をやってんだかは、ハッキリは

分かんねえよ。でも、何だかやってんだ」

「へー」

「ヨソの部屋のテレビでもガラスに映ってんのかな」

「そうだねぇ」と言ったが、何かあったな。と私は思った。

  そして、母が部屋から出て大部屋を歩き回り、歌を歌ったり、何やら怒鳴ったという

話を看護師から聞く。

普段は大きなことを言っているが、実は気の小さい臆病な所のある母が、どんなに不安

だったのか、と思う。

母は不安と痛みで昼間は起きているようにと言ったのだが眠ってしまい、夜が眠れなく

なって精神安定剤か睡眠導入剤を貰ったらしい。

 それで、眠りと覚醒の間をさまよってしまったんじゃないかと私は思った。

翌日、どうしても家に帰るという母を、父と一緒に迎えに行った。

 

 母は、最近急激に車の乗り降りが大変になっている。

転んだ、寝ぼけた、という話もよく聞く。

「麻子よ、お母ちゃん、ボケが始まったのか?」と言う母に

「そうかもしんねえね。でも、ボケたら今より優しくしてやっから楽しみにしてな」と

言うと、

「そぉかぁ、じゃあ楽しみにしてべ」とニコニコ顔になった。

「同じボケるんなら、明るい面白いボケにしてね。でも、お母ちゃん明るい性格だから

ダイジョウブだよ」

「そぉか、ガンバッペ」

と、話しながら、桜の花が咲いたら、何処かに連れて行ってやろうと思った。