ハサミ

 

 良く切れるハサミ(鋏)ってのが、売ってた。

隣に居た知人に声を掛けた。

「どーよ、あんた。何でも切れるハサミってのが売ってたら、買う?」

「ん、ん? どーゆーこと?」

「例えば、腐れ縁とか、この世のシガラミだとかが切れます、っていうハサミ」

「買う買う、いいねぇ。そういうハサミ、何処かに売ってないかな?」

「幾らだったら買う?」

「そーだねぇ、3万円!」

「ダーメだこりゃ、お金では買えませーん」

「だったら聞かないでよ」

「そういうモンは気持ちで買うんだよ。気持ちだけでもケイとかガイとか言ってみなよ」

「とっさに思いつかないんだよ、そんなこと」

と彼女は頬をふくらませた。

 

 4月末、その時の私は、腐れ縁だかシガラミだか、色々なことがあって、本当に蒸発

したい位疲れていた。

3日後の月曜日は休みになっていたが、その前に爆発するという予感があった。

私の様子を見ていた周りの者たちも「休みを取りなよ」と口々に言う。

私を心配しているというより自分たちに余波がくることを恐れていた。

私が暴れだすと手が付けられない、らしい。

 

 翌日の土曜日、夫が山小屋で蕎麦を打って知人たちにご馳走するという。

「あんたは、何も手伝わなくていいからね」と夫が言う。

「仕事も休んで2階で休んでいたら?」それでも蕎麦は食べさせてくれるという夫。

どんだけ私が恐いというか、厄介なんだか。

 

何日か前に現在ドイツに住んでいる友人からパソコンにメールが入っていた。

(私は携帯電話を持っていない)

 メールの内容は、講演会と彼女の仕事の都合で東京に来ていて、そこで講演会を

聴きがてら会わないかということで、講演会は土曜日の午後だった。

 よし、彼女に会って、講演を聴き、東京のマンションでユックリしてこよう。と

気持ちが決まった。

 あっ、その時私の本を持っていって彼女にあげよう。

そう決まったら早い。友人に「行くよ」とメールを入れると、

「楽しみに待ってる」と返事がきた。

 でも、やり残した仕事が見える。

夕方6時の電車に乗ることにして、それまで仕事をすることにする。

合間にiポットに充電をしておく。

3時のお茶も飲まず働く私に「ちょっと休んだら、出掛ける準備は出来たの?」と周りの

人たちが言ってきた。

「ダイジョーブだぁ」と時間ギリギリまで仕事をした私は、リュックに財布とパンツだけ

放り込むとiポットを胸ポケットに入れ、駅まで夫に送ってもらう。

「ゆっくりしてきな」「何なら帰ってこなくていいよ」と夫が言い、

「これで、お別れかもしれないね。世話になったね」と、ニコニコ顔の私。

 

 4月の夕暮れは日が伸びてきていたが、その日は、小雨模様で薄暗かった。

シャッフルして何が出てくるか分からない音楽を聴きながら、腕を組んで電車を待つ。

 あー、もう何も考えたくない。マンションに着いたら酒でも飲んでグダグダしよう。

近くの銭湯もいいな。でも、今日は疲れているから銭湯は明日にしようか。

 あの通りにある寿司屋は狭いが、色々あって安い。明日にでも行こうかな。

娘をマンションに住ませていた頃、娘と一緒に銭湯と寿司屋に行ったことを思い出す。

 あの時はあの時で辛いこともあったが、楽しかった。

でも、娘たちが結婚してそれぞれの家庭を持って歩き出した今、肩の荷が下りるとはこう

いう気持ちかと思う。

 電車に乗り込み指定席を探す。

2001年に倒れたあの日まで、幾度となく通った東京。

車窓を流れる灯りの点いた風景は、あの頃の私の感覚を呼び覚ます。

あー、シアワセだなぁー。

 東京までの所要時間は特急で約1時間半、その半分を過ぎた頃だった。

何だか、イヤーな気分になってきた。

 ちょっとトイレに行ってみる。

何かが落ち着かない。

 そこで気が付いた。(プレゼントする本を忘れた)

東京の本屋で買って渡せばいいかと思うが、少ない配本、何処の本屋に行けばあるか

分からない。

 後で送ればいいやと思うが、ドイツじゃどれだけ送料が掛かるか、マッタクどうしよう

もないヤツだ。と自分に呆れる。

 金と手間暇が掛かるのは、だらしない自分への罰だと自虐的な気持ちになり、金が

掛かかっても送ればいいんだ。と気持ちに決着をつける。

でも、何だか何かの治まりがつかない。

そして、もうあと幾つかの駅で東京という所で気が付いた。

マンションの鍵を、普段使っているバックからリュックに移していない。

キャー、ということは、マンションに入れない。外は真っ暗になってきている。

どーすんだよぉ。

私は面倒臭がりで、ホテルを探すなんていうのは以ての外、ホントは電車で移動する

だけでもイヤなのに。

 次の駅で降りて夫に向かえに来てもらおうかと思う程不安になる。

ミンナにあれ程「忘れ物はないの?大丈夫?」って言われていたのに、この始末、参った。

 迷っているうちに上野に着く。

公衆電話を見つけて自宅に電話するが、留守。夫の携帯に電話するが圏外。

 明日会う予定の彼女の携帯がメモしてあったことを思い出す。

電話すると、彼女に繋がった。

 事情を話すと、今駒方橋の近くのホテルに泊まっているので空き室を聞いてくれる

とのこと。5分待って再び電話すると、オッケーだった。

 

タクシーを拾って駒方橋に行き、ちょっとすれ違いはあったが、彼女と久し振りの再会。

それから二人でホテルの近くにあったファーストフーズ店っていうのかな、24時間営業

のレストランみたいなとこに行った。

 彼女は相変わらず大きくて暖かくて、私は甘えが出て愚痴が出る。

私に親との葛藤があるように、彼女にも家族へのジレンマがあった。

話していたら何だか彼女が、ヨーロッパの司祭さんっていうのかな、そういう感じが

してならなくなった。

知性と理性に裏打ちされたちょっと断定的な感じ、と同時に、そういう自分を変えよ

うとしているようにも思えた。

彼女は、以前にある先生の講演を聴いた晩に普通ではない不思議感じの夢を見たことが

あったという。

その中での彼女は、修道院の女性に囲まれていたという。

そして、彼女が今住んでいるのがカソリックの教会の中のような所なのだという。

 それを聞いた瞬間、やっぱり彼女は司祭さんだった。と思った。

「あなたは、司祭さんだったのね」と私が言うと

「私は、あの夢でてっきり自分も修道院の女性だと思っていたんだけど、その後で

チャネリングが出来るとかいう人に『あなたは、男性だった』って言われたの、

それまで、見えてる人はみんな女性だったから自分も女性だと思っていたんだけど」

 何だか、あーと思った。

私は彼女と会うとホッとすると同時にイラつきを覚える。

 それは、生まれ育ちに感謝しているのだが、忸怩(じくじ)たる想い。ちゅうのかな、

納得のいかない腑に落ちない気持ちがあり、それが私とリンクする。

 と、同時に尊大な、ってまあ言ってみれば偉そうな感じも、人を助けようとする責任感

それは信頼出来る優しさを感じるものなんだけど、そこのトコもリンクする。

 何か、どこかが、同じレベルで戦っているという感じがする。

夜中過ぎまで夢中で喋った。

明日も用事のある彼女を疲れさせやしないかと思いながら、止められなかった。

「もうホテルに戻ろうか」と二人が言い出したのは2時を回ってからだった。

 その頃には、私の気持ちはスッキリしていた。

「あっ、それで明日の講演会、行くの止める」

「えー、どうしていいお話なのよ」

「うん、あなたと話しただけで十分。っていうか、あなたと話したくて来たんだ」

「そうなの、でもあなたも疲れていたみたいだし、明日はゆっくりするのもいいかも

しれないわね」

「うん、ありがと。ゆっくりする」

 翌日は東京をブラブラして、夕方にでも帰ろうと思う。

外に出たら雨が降り出していた。

 ビニール傘を買って、黒く濡れた歩道のネオンをまたいでホテルに戻った。

 

熱い風呂に入ってベッドに横になるといつの間にか眠っていた。

遠慮がちにドアを叩く音で目が覚めると、9時だった。

 彼女が外国のチョコを渡して出掛けてから、また風呂に湯を溜める。

何だか元気が出てきて、よーし、久し振りに服でも買うか。と思う。

 そして、フロントで清算をしようとすると、

ジャジャーン、財布に1万円札が1枚もない。

千円札が1万円札の振りをして並んでいる。

ホテル代6千円。帰りの電車代が約4千円。残りは何千円もない。

 私はドジでオッチョコチョイ、なのでカードは一切持たない。

お金がなくても楽しむ方法は幾らでもあると思っているのだが、何だか家に帰りたく

なった。

 でも、早く帰ったら山小屋にお客が居て、そこで挨拶しない訳にもいくまい。

店もやっている。私はミンナが働いている時に休んでいられない体質だ。

帰らないで何処に行くかなー。と考えて、

結局、仕入れ、つまり仕事をすることにした。

 久し振りの仕事は、面白かった。

なーんだ、仕事も遊びも面白いことに変わりはなかった。

 

 そして、疲れていると言いながら、もっと疲れることを起こし、疲れることをする

私なのでありました。

別に、やろうと思ってやってる訳じゃないんだけどね。

何処かに、こんな自分に見切りをつける。切れるハサミ、ありませんかねぇ。