寿玄夢 はじめに

 

これらを読むにあたってお願いがある。

それは、寿玄夢が何処の誰であるか知っていても、他言しないで欲しいということだ。

その理由の一つは、私が伝えたいことについて先入観を持って欲しくないのだ。

 

今までに書いたものを見せた時、ここに書かれていることが事実であるか否かとか、

何処の誰のことかという事の方に興味関心がいき、伝えたいことから逸れていってしまう

悔しさと、もどかしさを、何度味わってきたことだろう。

ここに書かれていることが事実だろうが、作り事であろうが、それは問題ではないと

私は思っている。

むしろ、私は男を女に変えたり、年齢を変えたり、そのスポーツを違うスポーツに変え

日時を変え、幾つかの話をくっつけて、故意に事実を変えている。

何故なら、私は、事実を書くことによって個人を攻撃したり非難したりしたいのでは

決してないのだ。

 

また、私が男だとか女だとか、未婚既婚、子供のあるなしを知ることに因って、

だから分かるんだとか、経験していないのに分かる筈がないなどとも言われたくない。

そして、繰り返し言うが、自分の思いを伝えるために、誰も何人をも傷つけたくない

ということ、個人攻撃は絶対にしたくないと思っている。

自分の憂さを晴らす為に誰かを何かに恥をかかせたり、思い知らせては絶対に

ならないと思うし、私は、それをするために書いているのではない。 

そういった理由から私が何者であるかを明らかにしたくないのだ。

 

しかし、いろんな人に、これを読んでもらいたいと思っている。

私のことは、明かさずこれを広めてもらいたいと切望している。

 

 私は書き物をして四十年近くになる。

1998年、これらの物を陽の当たるところに出したくなり、知人の紹介によって

ある出版社の社長に会わせてもらったことがあった。

その人は当時二十歳台で、青山で待ち合わせた喫茶店に

「今講演をしてきたところなんです」と白いタオルを巻いて、笑顔で現れた。

私より二十程若い彼に、当時はまだワープロが打てず書きなぐったままのきたない原稿を、

失礼も省みずに見せた 。

すると彼は、

「面白いですね、今こういったものが求められていると僕は思います。」と言い、

熱く語る私に「本、出しましょうよ。ベストセラーにしましょうよ。」と言ってくれた。

それは、社交辞令で言ってくれのであろう、にも関わらず、

その瞬間、私の天邪鬼(あまのじゃく)がむっくりと頭をもたげていた。 

彼は、自分の冒険旅行の本を出すにあたって出版社を探したが、想うところが見つか

らず、ついに自分で出版社を創ってしまったという人だった。

スタッフ仲間も意欲的で、日本中にネットワークがあるということで、

良い本であったならば応援と努力は惜しまないと彼は言った。

 

しかし、その時、これは私の考えている方向とは違うと思い始めていた。 

私は物書きになりたいと、物心がついた時から思ってきた。想い続けてきた。

 それはなぜかといったら、ひとつには面白いことが大好きだったからだ。

何にでも興味津々でふらふらと歩きまわり、本を読み漁り、面白いと思うことがあると

人に話さずにはいられない人間であった。それは、今でもそうだ。

人を吃驚(びっくり)させたり、楽しませることが、私の最高の喜びだった。

それは、今でも変わっていない。

 その点に於いては、本を出してみんなに読んでもらうことになったらとても嬉しい。

しかし、生きていくということは、不条理 不合理 理不尽 葛藤の嵐の中で紆余曲折し

疑り深くなり、嫉妬も出てくる、ひがみも持つ。

まあそうでない御仁もおられようが、私はそうである。そうであった。

そんな私でも贔屓(ひいき)されたことがあり、嫌われ排除されたこともあった。

その時の嫌な気持ちに、つくづく思い、肝に銘じたことがある。

私は、甘い汁を吸うことは止めようと思ったのだ。

ということは、今回のように、運良く誰かに支持され、その助けを借りるということは、

私の本意から離れてしまう。

そして忙しい中、時間をとって会って話しを聞いてくれた彼に、

一度も連絡することもなく、それっきりになってしまった。

それなのに、その三年後に死ぬ目にあった私は、恥も外聞もなく、やっぱり生きている

うちに自分の書いたものを世に出したいと、その出版社に電話を入れたのだ。

するとその頃、宝物を見つけた彼は、社長の座を捨て世界冒険旅行に出ていた。

「前社長は、現在行方不明です。」という電話の声を聞いて、

自分の海に沈没しかけていた私が、心の中で拍手を送った。

そして、話を聞いてくれるというので出かけて行った出版社で、私の話を聞いた

オニイチャンは、「後で必ず連絡します」と言ったが、未だにない。

世の中って、そんなもんなんでしょう。

でも連絡するって言ったら連絡しろよな!

 

私は、幼い時から母に言われ続けてきた。「お前は要領の悪い子だ」と…。 

少し? ずるくて、ちょっと? ケチで、ひがみっぽくて疑り深い。

そのくせまぬけでお人よし、オッチョコチョイで要領が悪く、わざわざ遠回りをする。

それが私だ。

不器用で器用で、強くて弱くて、馬鹿なんだか利口なんだか、さっぱり分からない。

だけど、自分にだけは恥じない生き方をしたいと思っている。思い続けている。

誰を騙せたとしても自分だけは誤魔化せない。

何でも出し惜しみせず、精一杯やっていきたい。

その結果は、勝手に後からついてくると思っている。

そして、それがどういう結果でも、喜んで受け入れたいと思う。思っている。

 

 私のところへは、次から次へと面白い、興味深い話が入ってくる。

その理由の一つは、私がそれを求めているから。

そして、もう一つは、それが私に聞いてもらいたがっているからであると思う。

そして、それが聞いてもらいたがって私のところへ来るのは、

私が失礼な人間でないからだと思う。

それらのことは、人に知られたがっていて、

私はそれを失礼のないように、世に発信する義務があると思っている。

 

もう一つ、私が絶対になりたくない、ならないようにしようと思っているものがある。

それは偽教師(ぎきょうし)である。

知ったかぶりで高みから教えを説く、心の痛みを知ろうとせず、

自分の都合の良いように話しを捻じ曲げ、勝手な解釈をして人を踏みつける。

自分の中に偽教師がいる。だからこそ自分に手綱をつけそれを自分で握りたい。

私にとって考えるということは、書くということは、自分で自分に綱をつける作業で

あり、喜びであり、罪滅ぼしのような気がする。

 

と、まあそんなこんなで、面白い話(私にとって)が、いっぱいあるぞ。

なんせ四十年の積み重ねだもんね。ということで、まあ読んでみてチョ(^−^)

               2004年 節分