ほくろの毛

 

「お久しぶりー」とニコニコ顔で近づいて来る人が居た。

「あっ、どーも―」と笑い返す。その人の顔に見覚えはあるが、どういう人だったかが

今一つ思い出せない。

「元気だったぁ〜」と、その人は満面の笑顔で私の目の前に立った。

 居るんだよな、こういう距離感のない親しげな人って、と、思った瞬間やられた。

 

私は、顔(顔に限らず)身体が近づく、腕を組まれる、身体や頭を触られる、

といったことが苦手だ。

そういう人のやりがちなことって、人の洋服のゴミを取る、人の襟を直す、から、人の

髪を直す人も居る。

 そういう人は警戒しなければならない。ということは、今までの経験で覚えた筈だった。

でも、その人の接近の仕方は急で身構える余裕がなかった。

親しげなニコニコ顔で目の前に立ったその人は、私の親がよくしていたように、私の顔を

舐(な)めまわすように見た、かと思ったらその指を爪を万力のような形にして、私の

アゴのホクロに生えている毛をピシッと抜いた。

「え!やめて!何するの!」

「え、どうして?」

「どうしてじゃないよ、何してんの!?やらないで!」

「え、どうして」とその人は、キョトンとしている。

「どうしてじゃないよ、何すんのよ。コレ大事にしてるんだよ」と、アゴに手をやったが、

もう時すでに遅し。

何時も手をやるとサワっと、小さくプリッと指にくる感触は無くなっていた。

気持ち悪くツルリとしたホクロだけを感じた。

「なんだよぉー」

「え、どうして?そんなモノいらないでしょ」

「どうしてって、私のモノでしょうが、これタカラモノで今お願いをしてるんだよ」

「何を?」

「そんなこと言えないでしょうよ。言ったら叶わないでしょうよ」と言ったが、あ〜あ、

もー、ざんねーん!とガッカリする私に、

「そんなこと、あるんだぁ」と彼女は言う。

「そんなことも、こんなことも、自分には分からないことで成り立ってるんじゃないの

人も世の中も」

「分からなかった」

「もう、こんなことしないでね」

「うん、分かったわ」

「あたし、人の家の草一本勝手には抜かないよ」

「そうかぁ」と彼女は言ったが、分かっただろうか。

 

立ち話をしていると、大体そう言う時、私は仕事をしていることが多い。

草を引いていたりすると、横に来て或いは中途半端に腰を折って草を引き出す人がいる。

その一本目で「やらなくていいよ」と言う事が多い。

草の頭だけをちょん切る人が多いのだ。

「やらなくていいよ」は優しい言い方で、本当は「やんねえでくれろ!」と言いたい。

草引きをしていてヤブカラシは抜かずに置いておく、何故なら根っこから取る為の目印に

するからだ。

それを勝手に取るヤツが居て、止めてくれろー!と思う。

草引きに限らず、誰かに頼んだ時は、自分のやり方と違っても、何も言わないし手を出

さないことにしている。

でも、自分がやっている時は勝手に手を出さないで欲しい。

「手伝って“あげる”」と言う人は要注意で「どうやればいいの?」と聞きながら、

「こうやって」と言うと、「どうして?」とか「こうした方がいいのよ」と言い出す人が

多い。

 

勝手に人のホクロの毛を抜いて、謝りもせず

「分からなかったわー」を繰り返す彼女に、

「良かったね、分からないということが分かって」と最後に言った。

 

その話をすると

何でそんなことするのかな、わー、怖い怖い、恐ろしくてサムイボが立った、ムカつく、

馬鹿みたい、サイテ―、などの反応があった。

 

 でも、彼女は特別特殊な人ではない。

その彼女の行動を否定している人の、どの人の中にもその部分がある。

「どうして、その人がそんなことになっちゃったのか、そこが知りたい」と言う人が居た。

彼女は、言われたことを黙ってやらず、経験しないうちに意見を言おうとする所がある。

「ブァッカ(ばか)」と言った彼女は、一見突き放すように見えて面倒見がいいお母さん

タイプで、蚊に喰われて腫れたのを見せると、そこに爪でバッテンの痕を付ける。

それが彼女は快感で、人にもやってやりたいらしい。

 

私は、蚊に喰われたら触るな、かくな、叩いて痒い気を紛らわして皮膚を刺激

するな。バイ菌が入る、咎(とが)めると皮膚組織が壊れシミが出来る。と教わって来た。

ホクロに至っては刺激すると癌化(がんか)する。突いたり傷つけたりしてはならない。

と聞いてきた。

ホクロの毛を抜くのは、傷付けると一緒だからは、抜いてはならず、逆に金運になるん

から抜かないで元の所で切る。としてきた。

それを、何で勝手に抜くかなぁー。

と、思ったが、そういえば自分も…。

 

 私は気を付けてはいる“つもり”ではいるが、人の領域に入ってはいないか?

まぁ、

「“人の領域に入ってはならない”と人に言うことも、人の領域に入っているんじゃないか」

と言う人もたまに居られて、それは違うと思うが、

私のコダワリは、鏡となってその人の裏側を映す気がする。(きゃー、カッコイイ)

一面だけで物事を見たり解釈している人(自分も)の見方、考え方に、合わせ鏡を置く

ことに寄って違う一面が見えてくる。

 それは、見たくない人にとっては、大きなお世話、領域侵犯になりゃしないか。

 

 私は、場違いなことをしでかす傾向がある。

普通のひと?が言わないことをペロッと言う裸の王さまに出て来る子供みたいな所がある。

それは、わざとじゃなくて、何だか自然に言ってるんだよなぁ。(言っちゃってるんでは

ない。意志をもって、何かに言わされ、言っている)

そんな自分に不安を感じる時もあるが、いた仕方ない。

思い上がらず、落ち込まず、気を付けて、自分を生きる。

 

私は、どんな人(自分)にも、ここは敵わないな。と思う所があり、どんなに優れて

尊敬する人にも、何でここはこうなんだろう?と思う部分がある。

 

人は変わっていく。

人の領域にズカズカと入り、独りよがりだった人が、人の話に耳を傾け、周りの動向に

目をやるようになる。

自分の思い込みだけが全てだった人が、それぞれの人にそれぞれの想いがあることに

気が付く時が来る。

自分のことだけでイッパイイッパイだった人の心の目が開き、心が解放される。

 

それは、病だったり、人との諍(いさか)いだったり、大事な人、モノをなくす

本気の苦しみの中から現れる。のかもしれない。