インナーマザー

 

 間もなく9カ月になる孫がつかまり立ちをしている。

べたつく手をテーブルに張り付かせ、腰をフラフラさせながら。

 片方の足は床をつかんでいるが、もう片方の足は裏返しのまま。

今にも尻もちをつきそうだが、絶妙のバランスで立っている。

 (ここで膝が折れるとテーブルに顔をぶつけることになる)と思う。

支えてやりたい、足を真直ぐに直してやりたい、という気持ちと戦う。

 孫に触らないようにしながら尻の後ろに手でガードを作る。

すると、何をしているのかと私の手を見ようとした孫がバランスを崩して尻もちをついた。

 また立ちあがりフラフラカクカクしている孫の尻に手をやると、やっぱりバランスが

取れなくなった。

 こんな赤ん坊のバランス一つでさえ、その本人が自ら取るのだ、余計な手出しは無用。

どんな幼い子供でも自分の力で生きているんだ。

 

 “母と子の関係”先日<インナーマザー>の放映があった。

 40歳代の母と娘の関係について、アンケートの結果3割が、仲良しだと答えた。

でも、その裏に嫌悪感を抱いている者も少なくない。

 何故40歳代の女性に視点を合わせたか。

戦後のどう子供を育てるかがイコール自己実現だった母親に育てられた第一世代が

現在の40歳代なのだという。そして、その母親と娘の関係にその問題が凝縮している。

 子供と仲良しで物分かりが良い母親、姉妹みたいに仲が良くちょっと間抜けなお母さん

は、私が面倒みてあげる。という娘のプライドを保たせてくれる関係となる。

しかし、それが「共依存」となった時、問題が起きると信田さよ子氏は

“一卵性母娘な関係”の中で語っている。

 それが、支配的な母親に育てられた子供が、母親が自分に望んでいることを先回りして

察知し自分をそこに当てはめていく(インナーマザー)となり、いつか違和感を覚え出す

という母と娘の話は、 やはり信田氏の“母が重くてたまらない・墓守娘の嘆き”の

中で語られる。

その臨床心理士でありカウンセラーの信田さよ子氏がテレビに出る。

 

 最初の人は、40歳代女性、子供2人。

強い母親に育てられ母親の言った通りに、理想通りに育てられた。という。

洋服は母の手作りでペアルック。習い事は母親の希望で行かされた。「行きたくない」と

言うと「私はやりたくても出来なかった」と言って彼女の希望は聞き入れられなかった。

 そういう母親に最初に違和感を覚えたのが、高校から上の学校を選ぶ時だった。

短大に行ってОLになりたいという彼女の希望に対して母親は四大を出て教職に就く

ように。と、それは命令だった。

 その時、「あれ?私の人生なのに、何故母親が決めるの?」と、それまでの言いたい

ことを言ってはいけないと思って生きてきた自分に初めて気が付いた。

 24歳で結婚した時、これで母親の支配から脱出出来る、自分が育った家庭とは違う

家庭を作ろうと思った。

 しかし、母親と同じ道を歩くことになる。

3歳で娘を塾に入れ、幼稚園受験、小学校受験、それは失敗に終わった。

 その時思っていたことは、完璧な子育てをして母親をあっといわせたいという対抗意識

だった。同時に「よく頑張ったわね」という言葉が欲しかった。

 その娘が大学に合格して、部屋の掃除をしていて箪笥の引き出しに大量の吐しゃ物を

見つける。摂食障害だった。

 それから、怒ったりなだめたり、「お願いだから食べて」と頼み込んだりしたが、娘の

状態は悪化するばかりだった。

 彼女は、母親に打ち明けることは出来なかった。

娘に太って見えるだぶだぶの服を着せ、年に一回正月に会う時は薄氷を踏む思いで隠し

通した。

 そうして43歳の時、台所に立っていた時、突然パニックが訪れる。泣き叫び倒れた。

病院でうつ病と診断される。

 その時、「母に叱られちゃう。一人の子供もちゃんと育てられなかった」と彼女は

自分を責めていた。

 そんな彼女にきっかけが訪れる。

2002年、44歳の彼女は、ワラにもすがる思いで摂食障害自助グループ“やどかり”

に行く。

 そこには、同じ悩みを持つ親たちが居た。

そして、みんな自分の子供のことだけでなく、自分が子供だった頃に母親との間にあった

ことを涙ながらに話していた。

 ある人は言った。

「私、お母さんが大っキライなんです。それが、娘の病気と繋がっていたなんて…」

 そこに通って4年目、彼女は今までのことを自分の母親に話してみようと気がつく。

そこの取りまとめをしているリーダーも「打ち明ける事自体に価値がある」と言った。

 そして、彼女は6年間隠していたことを母親に告白しに行く。

「車を運転する手はブルブル震えて汗でびっしょりでした。

でも、話を聞いた母は泣きました。

『そんな子供を持って辛かったでしょ』『よく一人で頑張ってきたわね』って」

でも、「あなたの子育てが私に連鎖して娘がそういうことになった」と言った瞬間、

突然母の態度は豹変する。

怒りだし『私は精一杯可愛がってあなたを育てた。あなたには感謝してもらいたい』

と、聞く耳を持たなくなった。

 しかし、帰りの車の中で、彼女はすっきりしていた。明らかに何かが変わったという。

それが、インナーマザー(絶対の母)との決別になった。

 現在、娘さんはアルバイトをしながら一人暮らしをしている。

母親が祖母に告白をしたことは知らなかったが、その頃に明らかに母親の何かが

変わったと娘は言う。

 以前は何を言っても「塾に行きなさい」と言っていたのが、

「やれることからやってみれば」と言うようになった。

娘は、母の為でなく自分の考えで自分の為に自分らしく生きられるようになった。と

いう。

 母親は介護ヘルパーの資格を取って働き出した。

「生まれた時から面倒を見てきた子供に何でも知ってるつもりで、子供の中に踏み込んで

いたんですね。

 でも、踏み込んではいけない部分を大切にしていきたい」と彼女は言った。

 

 思いを伝えるだけで、ただそれだけで連鎖を断つ。とさよ子氏は言う。

その時、相手を責めないように、自分の思いだけを伝えることが大事だと。

 

 何故か、彼女の親離れで、彼女の母親が子離れし老人会で元気に活動し出した。

彼女が親離れすると同時に自分も子離れすることが出来、同時に娘も親離れした。

 結局、親子3代に渡ってそれぞれが自立することが出来たという。

 

 スッゴイねぇー。連鎖って、悪いことだけじゃなくて良いことも連鎖するんだねぇ。

 

 次の日は、

<インナーマザーの悩み相談>だった。

「厳格な母親に誉めてもらえなかった。」

「辛い時、慰めてもらえなかった。」「話を聞いてもらえなかった」

「可愛がってもらえなかった。」と、子供を持った母親が、自分が子供だった頃に自分の

母親にしてもらえなかったこと、或いは、厳しくされたり辛いことを言われたりされた事

を涙ながらに訴えていた。

 ある人は、自分がしてもらえなかったことを子供を持ったことで思い出し、それが与

えられているわが子が憎らしくなるという。

 それは、時に虐待にもなるとさよ子氏は言う。

<対処方>

 思い出すことは悪いことではない。逆にいいこと。誰かに話すことで抱えこまない。

家庭支援センター、女性センターなどを利用してもよい。

 書くことで吐き出していく。その時、夫など誰かに読んでもらうつもりで書く。

母親が亡くなっている場合、母との日々を思い出して書くことで心の整理がついていく

という。

 

<介護>

 一卵性母娘と言われた理想的に仲の良かった母娘。

結婚しても子供が出来ても、常に一緒で子供を預けて2人で旅行に行く程だった。

 それが、8年前、彼女が46歳の時母親が病気で倒れた。

父親とは夫婦仲の悪かった母親は、彼女に介護を求める。

 それまでの仲の良さは甘えと依存になり、彼女に仕事を辞めてつきっきりで面倒をみて

欲しいと言い出した。家庭があるというと離婚して戻ってきたらいいとまで言った。

 片道3時間を掛けて介護に通うが、次第に母娘は衝突しいらだちが募る。

最後は、仲の悪かった父親が間に入って面倒を見てくれたという。

 

 実際に介護をするという問題もあるが、そこには母親との関係と気持(不安やいらだち

甘えによるわがまま)にどうやって距離を保っていくかということになる。

 それは、次の<独身女性の親との関係>の悩みと類似する。

 

<対処方>

 意識的に親と離れる。それは、精神的にもだが、先ずは物理的に距離を置く。

それぞれが、自分の参加出来る場所(コミュニティ)を探す(作る)

 親が年老いて自分で探せない場合娘がマネージメントを担うということも大事だという。

何時も一緒に居てお互いが辛いのに離れられない。という関係から、良い距離間を作る

ということが大切だという。

「そういう時、自分は親不幸だと思ってしまったりするんですけど、そういう時は

『親離れは、親孝行』という言葉を思い出してください」とさよ子氏は言った。

 

 

 テレビを観ながら、色んなことを思った。

何時も私が引っ掛かる「話を聞いて“くれなかった”」「私はやって“あげた”“のに”」

「酷い言葉を浴びせ“られた”」「嫌なのに“やらされた”」という話し方があった。

 欲していたのに与えられなかった悔しさ、悲しさ、淋しさ。

本当は嫌だったのに、押さえつけ支配されてきたことへの嫌悪。

 人は嫌なことは記憶から消そうとする本能があるらしい。

それは、嫌なことを、好きであるかのような感情のすり替えを行う“温情的父権主義”

(パターナリズム)や、自分の代わりに誰か(主に子供)を故意に病気にして注目を

集める“代理ミュンヒハウゼン症候群”となる。

 なーんて、分かった風に書いてしまったぜ。

この病気、っていうのかな、は、根深いものがあって簡単には語れない。

 色々考えていると面倒臭くなってくるんだけど、難しいから面倒だから分からないから

そういったことは専門家に任せて知らんぷりしていいのか。って言ったら、その問題は

逆に専門家の問題ではなく、今、実際に現実を生きて生活している自分たちのことなのだ。

 

 信田さよ子氏が言った。

「それがあって良かった」「思い出すことは悪いことじゃない。むしろ良いこと」

「そういう母親に育てられたこと、何だかおかしいと気が付いたこと、昔あったことを

思い出したこと、それを母親に伝えたこと。それは良いことだったんです」

そして、

「出来たら、早く気が付いたらいいんでしょうけど時期が大切なんですよね」と言った。

 

 苦しかったことでも、辛かったことでも、それがあって良かったと気が付く時がある。

しかし、それを認めるあまりに「それはあった方がいいんだ」と言い出す。

 私は、その時に道が違ってしまうと思う。

「それがあって良かった」と「それはあった方がよい」とは全く違う意味合いを持つ。

何事にも決まった答えはない。と私は思っている。

「お金はあった方がいいに決まっている」

そうだろうか?

「美人の方がいいに決まってるでしょうよ!」

「若い方がいいに決まってるでしょうよ!」

「嫌なこと苦労はない方がいいに決まっている」

 そうだろうか?

苦労を体験して大きく成長した人が居る。

それを見て今度は「人は苦労しなければダメだ」と言い出す人が居る。

結婚離婚妊娠出産などなど、それを経験して成長した人が居ると、

「それをしないと人として一人前じゃない」と言い出す人が居る。

何かを肯定することは、その反対側にあることを否定するということではない。と私は

思う。

 

どういうことでも、それがあって良かったと思うことも、なくて良かったと思うこと

も出来る。

それは、自分がこれで良かったと思える道を作るということだと私は思う。

道を作ると言ったが、自分の歩んだ後に道は出来るのであって、自分の前に道はない。

 生きていれば、必ず分岐点が現れる。その時自分は何を選択しどう行動するか。

その時は辛いかもしれないが、自分が信じる道を歩んでいれば、あれがあって良かった

と思うことの出来る時が必ず来る。と、テレビを観ていて思った。

 

 しつこいんだけど、泣くということに対しても思うことがある。

泣くのは良いことだと人目もはばからずワンワン泣く人が居る。

 確かに泣くことでスッキリするということはある。

笑うことが良いことだと無理に馬鹿笑いしている人を見る。

 感謝が良いことだと言って矢鱈お礼を言いまわる人が居る。

 

 素直な気持ちになって感情を表すことや感謝の気持ちを持つということは、ステキな

幸せなことだと思う。

 でも、幸せになる為に大袈裟にそれをしているのを見ると(そう見えるだけかもしれ

ないが)何だか不快な気分になるのは何故なんだろう?

 何時ものセリフになるが、感情が豊かなのと激しいことは似て非なることだ。

 

 「涙は心のお洗濯、ジャブジャブ汚れを流します」って時がある。

でも、「泣くだけ泣いたら、さぁ、顔を上げて、胸を張って、前に歩いていきましょう」

って時もある。要するに時期ってやつかな。

 その時期を見極めるってのが、ミソなのかもしれない。

“インナーマザー”との決別にしても、何にでも時期があり自分が乗り越えていくんだ

ねぇ。

 で、自分だけが頑張っていると思ってふと周りを見たら、なーんだ。ミンナ、ミンナ

頑張って生きているんだねぇ。

       ステキだぜっ! ニンゲン!