犬のオマモリ

 

 犬を物凄く可愛がっている人が居た。

犬は、老いて目が見えなくなっていたが、彼女は出掛ける時も離さずビニールのケース

に入れて連れ歩いていた。

病院にも相当かけたみたいだった。愛犬は、長生きしたが、死んだ。

 

愛犬が死んで外に出る気にもなれなかったという彼女が、その日やっと姿を見せた。

彼女は目を潤ませながら、愛犬の思い出を話すことで気持ちを整理しているようだった。

 彼女は霊感というのか、勘が良いらしい。

 

 彼女が愛犬を亡くした悲しみで泣き暮らし1週間経った時、友達から電話があった。

その人は一番心の許せる友だったが、彼女が身内の介護や生活で忙しいのと同じように

その友達も介護と生活に追われ何年も会っていなかった。

 その人も霊感があるらしい。

電話で開口一番

「あなたどうしたのよ、あなたのトコの犬がウチに1週間前あたりから来ていて

『おかあさんが泣いてどうしようもないからどうにかしてくれ』って言ってるのよ」

その友達は、最初は彼女の犬が来ていることが分らなかったらしい。

でも、段々見えるというか、彼女のトコの犬だと分って電話をしたのだという。

犬は友達の家の庭に作られた水の流れる築山のあたりをウロウロして困っていたらしい。

 何も話していないのに犬が死んだ頃から、心配して来ていたと聞いた彼女は、

しっかりしなければと気持ちを持ち直したらしい。

 私は、愛するモノを亡くした時、その愛するモノは、悲しみ苦しむことは望んでいない。

と思う。

本当に愛したモノは、愛されたことだけで幸せで、自分が居なくなったことで悲しむ

姿を見ることは苦しいような気がする。

「分ったわ、ウチのワンちゃんが安心するならもう泣かない」と彼女は言った。

彼女には以前にメダカをあげたことがあったが、生き物が好きで面倒を見すぎるほど

みて、気持ちを傾ける。

 その後もメダカの飼い方を聞きに着たり、タニシや大振りの水草を持ってきてくれたり

していた。

 

 あの生霊が来た頃だった。

私は、落ち込んでいた。

 自分地獄に落ち込んでいる人が居る。

そういう時は、自分のことだけでイッパイになっていて他のことに気が向かない。

 自分の行いや発した言葉は忘れて、言われたことやされたことだけで、嫌だったこと

を思い出し、何故それを相手が言ったりしたのかまで頭が回らない。

 そして、自分からは動けず、自分の思い通りにならないことを世の中や誰かのせいに

するしかない。

 そうしないと自分を否定することになり、それに耐えられない時、何かを悪者にしなけ

ればならないのだろう。

 そういう人は欲しいモノでも「いらない」と言う。

本当は望みを持っているが、始まる前から見切って、自分の力で動こうとしない。

 何か言われるのはイヤだが、自分で考えて進むことは出来ないでいる。

それが、ある時はストーカーになり生霊となって現れる。

 

 彼女が、山小屋に入って来た。

話したくない気持ちでいた私だったが、メダカや犬の話から目の前に広がる田んぼが

見えるテーブルで腰を落ち着けてしまった

 彼女だったらそういう話をしてもいいような気がして、

「最近、生霊が来ていたんだ」と言うと

「私もよく生霊にとりつかれるのよ」と彼女は言った。

「そういうことを話すのってバカみたいで嫌だし、そういうモノが来るってのも

何だか、自分の性格っていうか、生き方が悪いのかと思って落ち込んじゃうんだよね」

「そんなことないわよ、逆に本当に性格が悪くて危ない人の所には来ないのよ」

 

 色々話していると、ここの場所が極端な三角土地であることなどが話題になり、

「こういうこと言っちゃわるいけど、あなたの二人の娘さん生きているのが不思議なのよ」

と彼女が言った瞬間、私は(そうかもしれない)と思った。

彼女は、「今日私が来たのは、お宅のワンちゃんに呼ばれてきたのよ。

お宅のワンちゃん、心配してここに来ているのよ」と彼女が言った。

 その時は忘れていたが、その日の朝の夢(私は子供の時から毎日夢を書き留めている)

で、以前18歳で死んだ犬(エル)が山小屋の前に田んぼのあぜ道を走って行き、その

後を今飼っているマイロが追いかけ、バッタリ倒れて死ぬという夢を見ていたことを

思い出した。

「あなた、喉痛いでしょ」

「うん、首絞められてるみたいっていうか、喉の奥も痛い」

「だよね、あたしも痛くなってきたわ。ここよね」と彼女が押さえて見せた場所は微妙に

ずれていたが、それから彼女が教えてくれた“あら塩を指でつまんで喉の奥に放り込んで

それから水でうがいをする“という方法は、とても効き目があった。

 その時、1回でいいから「ハライタマエ、キヨメタマエ」と心の中で唱えて、1週間は

続けてね。と彼女は言った。

山小屋の北側の場所に“盛り塩”をと、その下に敷く紙の色をオーリングで決めた。

オーリングテストのやり方は、私の知っているものと微妙に違った。

 

それから、お風呂に入る時に塩を一つまみ自分に掛け風呂にも入れて

「ハライタマエ、キヨメタマエ」と一回でいいから唱え、寝床の枕元に塩を置くといい

とも言った。

 私は、塩だとか数珠に限らず、これを持っていると運気が上がるといわれる物を持つ

ことが好きでない。おまじないみたいなことも、好きでない。

 縁起物も好きでないというか興味がなく、何でもこじ付けて考えることが好きでない。

だからといって人が喜んでやっていたり、信じていることを否定する気はない。

 でも、彼女が言ったことは、私なりに受け止めた。

祓うのも清めるのも、他所から来たと思われる生霊ではなく自分にある邪心、疑う気持ち

だと思った。

 生霊は自分が呼び寄せ作り出しているのかもしれない。

彼女の言ったことが本当でもそうでなくても良かった。

ただ、私の気持ちに迷いがあり被害者意識があったことは事実だった。

塩うがいは1週間続けた。風呂に入る時、塩を振り一日を振り返った。

 

 最近、気持ちが落ち着いている。

昨日昼過ぎ、佐々さんから電話が入った。

 嬉しくなって「はいはーい」と出ると

「元気そうでよかった」と佐々さんは言った。

犬の彼女の話をして

「『二人の娘さんは生きているのが不思議なのよ』と言われたんですけど、本当に今が

あることがアリガタイと思ったんです」と言うと、

「そんなことありませんよ、二人はちゃんと生きてきたし、ちゃんと守られていますよ」

と佐々さんは言い

「生きてるのが不思議なんてことはないんですよ。

生きる人は生きるべきして生きてるんだし、死ぬ人は風邪だって、階段から落ちたって

コロッと死ぬんですよ。

二人共、一生懸命生きてきたんですよ。人の道は外れてませんよ。

何より良かったことは、何でもお母さんに話して一緒に考えてやってきたことですよ」

それを聞いて、何だか自分が呪われた人間のような気がしていたことに気が付いた。

そんなことなかった、自分も含めてミンナ生きるべきして生きてている存在だった。

 佐々さんは、世間で言われる常識とか良い悪いではない見えないモノを大事だと言う。

佐々さんと話すと何かに拘(こだわ)り、捕らえられていた自分に気が付く。

 

 私は、佐々さんに嫌なモノを感じることがない。

誰かを特別扱いしたり贔屓(ひいき)することがなく、脅かしも決め付けもない。

 上から目線を感じたこともなく、おまじないっぽいことでもお茶目で楽しく嫌でない。

心が自由になって自分がとてもステキな存在のような気持ちになる。

あー、私は人を落ち込ませることがある。引導を渡す時がある。

佐々さんみたいに人の心を自由に出来る人になりたい!

って、犬の話だったっけ。

 

 話があっちこっちしたけど、何でも見返りを求めないで、ただ愛するものって

“オマモリ”なんだと思うんだよね。

 

 34番に“おまもり”が載っている。

13年位前、佐々さんに見せたことがあったんだけど、今、読み直してみたら、

何だかかしこまって書いてたねぇ。