椅子

 

 やらなければならない書類の手続きがあって、予約した日時にそこに行った。

仕切られた空間のテーブル、その前にあった椅子に座った。

挨拶をしてひとり言のように

「全く面倒臭い、徴集する時は待ったなしで手続きなんかしなくてもその時からピッタリ

取るのに、降りるお金になったら連絡だけで自分で手続きしないと受け取れない仕組み

なんだから、連絡に気付かなかったら貰わないで終わっちゃうんじゃないの?」と、

きっとそこの係員にとっては、嫌という程聞かされ続けて来たセリフなんだろうと思い

ながら言う。

「そうですよね。やってることが、片手落ちですよね」と美人の彼女が言うのを聞いて、

「あー、その上、私、書類の手続きとかってチョー苦手で、この年までよく生きて来た

って思うんですよ」

「私の母もやる前から何でも『出来ない出来ない』って嫌がるを通り越して怒るんですよ」

「分かるわー、もー、書類って嫌い、訳分かんない」と言いながら、準備してきた書類、

印鑑、証明書などを手帳ボールペンと一緒に並べる。

「え、きちんとしてらっしゃるじゃないですか」

「残念でした、これは全部娘が用意してくれたんですぅ」

「じゃ、娘さんとの関係は良好なんですね」

「良好かどうかは分からないけど、言いたいことを言える関係ではありますね、今は」と

チラッと娘の反抗期の嵐の時期を思い出しながら言った。

 40代半ばかと思えるその彼女は、テキパキと分かりやすく、それでいて親身な感じで

あっという間に手続きが終わった。

 

「娘さんとは、一緒に住んでいるんですか?」と彼女が聞いてきた。

「いえ、仕事は一緒にしてるけど、住まいは別」と、答えると、

「いいですね、私は一緒に暮らしてるから大変」とため息交じりに言った。

「そうだよね。親子で一緒に暮らせてシアワセだねとか、一緒に仕事してて良いね。

なんて、みんな軽く言うけど、親子だろうが、他人だろうが、その関係性がどう作られ

ているかであって、『〜だから良い』もなければ、『〜だから悪い』もないと思うな」

「本当に、私の母親はおかしいんです」

「何が?」

「頭がおかしいんじゃないかと思うんです」

「アルツハイマーとか?」

「だったらいいんですけど、私にだけ文句を付けてきて、他所では普通に良い人で通って

いるんです」

「え、どんな風に?」

「すべて、何にでも嫌みたらしくあげ足とったり文句付けたり、兎に角気分が悪くなる

ことばっかり言って来て、もう毎日地獄に居る気分」と言う彼女は切羽詰まった感じだ

った。

「何でだろうね。お父さんは?」

「父親は亡くなったんですけど、それから余計に酷くなって」

「あなたの兄妹は?」

「私、一人っ子なんです。

一人っ子だから可愛がられていいね。って言われてきたけど、それも違う気がするんです」

「分かるー、金持ちだからシアワセとは決まってないし、逆に何か障害があるから不幸せ

とも決まってないよね」

「そうなんです。兎に角『娘さんと暮らせてシアワセね』って母は言われてるけど

母は、全然シアワセには見えないし、私も母と居るのが苦しくて、正直顔も見たくない

と思うんです」

「そっかぁ、お母さん、何に引っ掛かっているんだろうね。

んー、何だか子供時代に子供をやれないできちゃったんじゃないかと思うんだけど。

っていうのは、私の母親とダブって感じたのよ。

私の母親っていうのが7人兄妹の4番目に初めての女の子で産まれて、普通の豊かな家

だったら可愛がられただろうと思われるけど貧乏で下に弟妹が次々生まれて、小学校に

上がる頃には家事をやらされて、友達と遊んだ覚えがないんだって」

「スゴイ、私の母の育ちにそっくりです。兄弟が多くて、働かされていじめられて辛か

ったって聞いたことがあります」

「私の母は、いじめられて黙ってるようなタイプじゃないけど、

やっぱり自分の子供時代に子供ををちゃんとやっていないんだね。

辛かったし、納得いかないまんまで来ちゃったのかな。

そういう話をお母さんがイッパイすると、お母さんの気持ち、落ち着く気がするけど」

「でも、聞いても話したくないって話してくれないんです」

「話してくれない。って、お母さんは、あなたの為に話すんじゃないよ。

話しは、話したいから話す。んであって話してくれる。んじゃないの分かるかなぁ」

「でも、聞くと黙っちゃうんです」

「それは、聞くから黙るんであって、その聞くは質問尋問誘導の聞き出し調査みたいな

もんじゃない?

聞くっていうのは、向こうが話したい気持ちになって何か話し出した時に

『へー、そうだったんだぁ』って『は、ひ、ふ、へ、ほ』だけで反応して話を誘導もせず

聞き流すのが良いらしいよ。

そうすると、安心して話し出す。『話す』は気持ちを『放す』に通じるんだって」

 

「あのさ、私、母との関係が二進(にっち)も三進(さっち)も行かなくなった時に

突然思ったんだ。

『あっ、この人のこと私は前の時に捨てたんだ』って、

そしたら、何だか理不尽(りふじん)で不合理(ふごうり)で、どうしてこんな目に遭(あ)

わされるんだろう。って思って来たことや、その時に起きていることがストンと腑(ふ)

に落ちたんだよね。

今、生きてるってことは、今、やり直しすることが出来るってことなんだね。

『自分を悩ませている問題こそが、自分を立ち上がらせるご縁』だっていうよ。

だから、悩みは宝なんだってさ。

そんでもって宝を本当の宝にするにはどうしたらいいか、考えて行動することそのもの

が宝なんじゃないかな」

 

そして、椅子の交換の話をしたんだけど。

その話は、次回。