イタコ

 

 最近会った人の奥さんが、頭を抱えて頭痛を訴えると同じ部落の人が亡くなるらしい。

「それが百発百中なんだよなぁ」と彼は言った。

「葬式にも行かせねえようにしてんだ」

「何で?」

「だって本人もあんまし行きたくなねぇって言うしさ、おかしなことになって、ミット

モネェんだ」

「どういう風に?」

「バタンって倒れちまったり、まるっきり男の声になったりすんだぜ。

そんで、そこの家族に謝ったりするんだ。

あいつがあんな声出すの見たことねえし、出せったって出ねえような声になんだ」

「へぇー。イタコだね」

「イタコちゃなんだ?」

「んー、ワカサマだとかワラサマだったっけかな?そういう人も居るけど、亡くなった

人を自分におろしてその人が言いたかったことを話すんだな」

「ふーん、何だか分かんね」

 と、その話に俄然興味を持った私は

「ね、この次は絶対奥さんも連れて来てね」と、何度も彼に頼んだ。

 

 私の誕生日は、11月28日。

誕生日大全に偏屈の変わり者で天の邪鬼、普通一般の常識人には理解されないことが多い。

とあって、大いに納得したのだが、同時に、霊的なモノに大きく左右される。ともあった。

がぁ、11月28日は、親鸞聖人の入滅の日であると同時に日本の五代神様の一人でも

ある“きくり姫”が神様になったカミアガリした日でもあるらしい。

 このきくり姫がなったという神様が、イタコの前身でもあると本で見つけたたのは

何年前だろう、それから元々あったイタコへの興味がより強くなった。

 

 それにしても、その奥さんはイタコになっている時どういう状態でどういう風に感じて

いるんだろうか?

 意識はあるのか、苦しくないのか、頭痛は普段はないのか、普通の頭痛とは違うのか

それが終わってからの状態はどうなんだろう、そういう体質であることに対して本人は

どう思っているんだろう?

 奥さんの祖父は神主であるという、そして姪っ子が同じ体質だという。

そういったものは遺伝するのか。

などと考えていたら、自分が何かを感じている時はどうなんだろう?と考え始めた。

 

 私は、普段とは違う感覚(アレ)がやってくることがある。

それはどう言ったらいいのか、言葉に出来ない感覚でどう表現したらいいのか。

 例えば、ある時家を増築することになりその設計を頼もうとしていた建築事務所に行

った。

その事務所にはいった時にアレがやってきた。

全身が重くなって背中に糊が張り付いているような感じと、そこに居た人が爬虫類っぽい

気持ち悪い感じで吐き気がしてきた。

どうしようもない状態になって帰宅するなり夫と喧嘩をしてそこに頼むのを断わらせた

その何週間後かにその会社は夜逃げをして居なくなった。前金として1千万払う筈だった。

またある時は夫と一緒に仕事をしていた人が支払いを滞っていたが、どうしても今日

集金に行かなければ!と、気が狂ったように思い始めて、夫を脅したり賺(すか)した

りして行かせた。

 行く前に電話で集金に行くと連絡したが、何故か家の中が見えた。子供が泣いていた。

その晩、その一家は夜逃げ。

 土留めを3回しているが、そのうちの2回が手抜き工事と夜逃げ。

手抜きは分かっていて止められなかったが、夜逃げの工務店は我が家だけは丁寧な丁寧

過ぎるような仕事をしていった。「あんただけは騙さないよ」という言葉を残して。

 そういうことがどれだけあってきたか。

何かが起きる前にムカムカがやってくる。これは危険察知のアンテナだろうか。

 

 あー、ピン!とくる時と吐き気と全身を重いもので覆われる時がある。

あと、兎に角自分の考えでない突き動かされるように、つうのかな、どーしようもない

動けない感じ。なのに、やらないわけにはいかない。ということになったりする。

何かに押したくられて否応なく動く感じになることもある。

 

 上の子があと2カ月で1歳になる頃1979年の5月、アレがやってきた。その時、

少しやり過ごせばなんとか切り抜けられる気がしたが、夫が夫の両親を連れて旅行に行く

と言い出した。

「今はちょっとダメだから少し後に伸ばして」と言うと、

「オレが親孝行するのが嫌なのか!」と喧嘩になった。

 夫が旅行から帰ってくる日、仕事を終えた私は買いものを終え、車に子供を乗せて家に

帰ろうとしていた。

♪チャチャチャラチャンチャンチャーラーラー♪小沢昭一的ココロだぁ〜の音楽がラジオ

に流れていた。

 その時、ポン!と何かが抜けた。

あ〜、良かったぁ。今回は何も起こらないで済んだか。

とホッとしながらも、最後のひと踏ん張り気を付けて帰ろう。と車の通ってない道路の

左右確かめた。何もない。

 細い雨が降り出していた。

ユックリ車を出した。その時、バン!という衝撃と共に倒れているバイクがあった。

 やっぱりかよー!めんどくせえなぁー!と、思った。

進路妨害、人身事故の免停29日。保険の手続き、病院の見舞い。

 

 子供を連れて友人親子と一緒に出掛ける予定だった日の朝、どうしても足が進まない。

「今日は出掛けるのヤメにしよう」と子供に言うと、「どうしても行きたい」「何でお母

さんは約束を破るのか」と後に引かない。

騒いでいる所へ友人とその子供が来て、友人がウチの子も連れて行ってくれると言い

出し今日は出掛けてはダメなんだ。と何度も言ったのだが、何がダメなのか自分でも説明

がつかず、結局友人が一人で「連れて行ってあげるから」と子供4人を連れて出かけた。

 そして、帰宅に向かう道のカーブで横から出てきた車が友人の車の横にぶつかった。

友人はしっかり左右を確認したし、車の影はなかった。という。

あ〜あ、私のパターンと同じだと思った。

誰にも怪我はなかったが、友人には迷惑を掛けてしまった。

 

夢が教えてくることがある。

私は、小学生の頃から夢日記を付けてきて今に至っている。

 何故か、気が付いたら見た夢を広告の裏とかに書き止めるようになっていた。

書いたものは捨ててしまうので残っていないが、書いたことによって記憶に残っている

ものも少なくない。

 事実と符合する夢は一種独特の感じがする。

教えなのか側頭葉の感知なのか、私が“お知らせ”かな?と思う夢は香りがしたり実際に

触ったような感覚が残る。

 

 何度も書いているが、飛行機が落ちる夢を見た日、御巣鷹山に飛行機が落ちた。

ということは、1985年の8月12日。その頃の何年かはすごかった。

 耳を取られる夢を見て耳が聞こえづらくなって、人間が大変な方向に向かいだしている。

と恐怖が現実になった。と思い騒いで夫に話していた時、「ほら、アレがきている怖い」と

言うと、

「あんたね、いい加減にしなよ。確かに当たっている時もあるけど、今三原山が噴火して

窓ガラスがビリビリいってるんだよ。あんた勘違いしてない?」と言われて自分も笑った

が、そのビリビリ感はアレが来ている時の不安な居場所のない感じにそっくりだ。

その頃はずっと何かが過敏で三原山の500年振りの噴火があった1986年で、

それは、チェルノブイリの原発事故が4月26日にあった年だった。

 

 偶然の一致なんだろうけど、1954年の3月に私は母の腹に入った。

その頃、ビキニ環礁水爆実験(キャッスル作戦)が行われた。広島原爆の1,000個分

の威力だという。

 その年に水俣病患者が世に知らされた。

地名や年号が頭に入らない私がそれらのことを知ったのは、二千年に入ってからだ。

 東京大空襲、沖縄戦、広島、長崎、それが子供の時から自分の調子の悪くなる時と

重なっていたことに気付いた。

 

 2006年にずっと尊敬というかお慕いしてきた親鸞聖人とが身近にいらしていたと

いうことを知った。

 私が幼いころから一人で通っていた西光寺は、歎異抄の唯円の末裔のお寺だった。

そこに行く日も決められていたかのように、友人が私がその日に西光寺に行くと言って

いたと電話してきて行くことになった。

 心から信心しない出来ないでいる私に次々と偶然が重なって現れた。

出掛けようとすると、私の二人の娘の誕生日と同じ番号の車が2台、私の車の両脇に停

まっていた。

 寺に着くと隣の坂を下りてきた車の番号が1128.

そのことを友人に話すと、彼女の兄の誕生日が11月28日で、前の年にその車が来た時

「何だかお兄ちゃんが死んじゃう気がして怖い」と言ったという。

「そんなことないし、死は怖いことじゃないよ」と兄は言ったという、その車だった。

翌年の4月に突然亡くなり、その月末に姉も突然の事故でこの世を去った。

 彼女が来た時、黒い衣を着ている感じがした。それは着物ではなく修道院の人が着る服

のような気がした。

 宗教は色々あるが、神は形を持たず一つなんじゃないだろうか。と私は思う。

 

 私が母の腹に入った時、母は鬱状態のようになっていて記憶がないらしい。

ご飯も食べず元気のない母を心配した母の母と義母が、ヤマンテラという所に連れて行

った。

すると、そこで修行をして足の立たなくなった偉いお坊さん(母の談)が

「近所に嫁に来たが身体が弱く子が出来ず淋しくなくなった人が居て娘さん(母)を

羨んでいるから弔って供養して成仏させてやりなさい」と御祈祷してくれたという。

 そしたら、母はウソのように元気になったらしい。

近所には隠していたが、そういう事実があったことも後に分かった。

 まぁ、そういう話は犬も歩けば棒に当たるで取り敢えず言えば当たるんだよ。という

御仁もおられようが、どう思うかはその人の自由だ。

 

 時々何だか辛くなってヘンなことを言い出す私だが、ほぼ毎日幸せを感じて生きている。

やりたい。と思ったことは、「これはやっていいことですか?」と自分の中の自分に聞いて

「いいですよ」と聞こえたら実行に移す。

 嫌だなと思うことは、お知らせだと思って、現実を見て何をどう解釈して何をしたら

いいか検証する。

 そして、出来ることから始める。

 

 1986年から、ず−っと引っ掛かっているあの夢。

断崖絶壁に向かって、何も見えず見ようとせず、行進している人たち。

 どうしたら目を開いて見るようになるんだろう…。

平和ボケから目が覚めるんだろう。

 

 でぇもさぁ、何だかまとまんない話だなぁ。

ちょっと見、自分には能力あります。って自慢みたいに見えるしさ。

 ワシも何をどう書いたらいいのか分かんないんだ。

ただ書いてみたかったんだね。書き出してみたかったんだ。

 そして、こうやって書き出してみると不思議な感じ。

いろいろ書くとばれちゃうから書かないけど、たーだ一所懸命なだけで大した能力も才能

もないのに、色んな偶然と出逢いと運に後押しされて今がある。

それは事実で、すごく有り難いと思ってるんだ。感謝!