つるむ女の依存性

 

 女の集団、そこには、独特の雰囲気がある。

先日、小学生の子を持つPTAのママさん7、8人が来ていた。

 一人のしっかりした、でも管理的ではない感じの人(リーさんとしよう)が、その

グループの面倒をみて指揮っていた。

子供を迎えに行く時間制限はあるが、それまでの間は自由。

さて、何をするか。

そんな感じのママ達に、といってもリーダー格の彼女りーさんに、私は声を掛けた。

「メダカ、見る?この上で飼ってるんだよ」 山小屋の上を指差すと、

「えー、いいんですか?」とりーさんの反応はいい。

「メダカ見せてくれるって、見せてもらう?」と、りーさんがみんなに聞いている。

 が、みんな顔を見合わせててモジモジ、(見てぇのか、見たくねぇのか)

「時間もあることだし、見せてもらいましょうか」とりーさん。

 山小屋に上がるだんになっても、またしても、みんな遠慮して先を譲って、グズグズ。

 一番に上がった私とりーさん。

「ステキですね。こんなになってたなんて、おもしろーい」

 後から来たみんなは、私とりーさんが歩く後をゾロゾロついてくる。

「自由に見てくださいね」と言って私はメダカに餌をやり始めると、みんな不安な感じで

今度はりーさんの後をゾロゾロ。

 

「この後、どうしますか?」というりーさんの言葉に、誰一人意見は出ない。

それを見て(ターイヘンだなぁ)と思う。

 私は集団の中に居ることが苦痛だ。

そして、意思がはっきりしない人と付き合うのも、面倒をみるのも辛い。

思わず「ハッキリしろ!」と言いたくなる自分が居て、自分が怖い。

 

何故、彼女達は自分の意見を言わないのか、考えがないのか、考えたくないのか、

意見を言ったことでの責任やそこで起きる摩擦でも危惧しているのか。

 弱い動物は群れるという、危険なモノから身を守るためには集団が一番だというが、

何もメダカを見るくらいのことで群れなくたっていいじゃないかと私は思う。

 

こういう状況におかれた時の自分はどうしているか、と考えた。

まぁ、絶対に集団の団子からは離れているな。

 そして、こんな面白い興味深いモノ(メダカ)が見られる。ってんなら、水槽に

釘付けになってしまうだろう。

 子供ん時から

「麻子ちゃんって周り見ないよね。自分勝手で好きなもん見つけたら一直線って感じ」

と言われ、大人になるに連れ「研究者とか学者ってこういう感じなんじゃないの。

家族は大変ねぇ」と言われるようになった。

 何故なんだー。と思うんだけど、神社仏閣なんかで説明があったりした時、

私はその話をちゃんと聞きたい。出来たらメモをしたい。

 でも、まぁ、みんな興味がないからなんだろうけど、仲間で無駄話をしている。

ちゃんと聞けよ。っていうか聞かなくてもいいから静かにしろよ。って思う。

 若しくは、群れてどっかさ行け。

 

 まぁ、愚痴はこの位にして女ってのは依存性が強いって分かることが、

最近の新聞に“女性と薬物依存”で載っていた。

 薬物は、1回でも使えば「乱用」

乱用を繰り返し使うことで、使いたいという欲求をコントロール出来ない脳の異常状態

になることを「依存」

 そこから進んで、幻覚や妄想など身体的にも異常な症状が出ることを「中毒」という。

厚生労働省の研究班による調査、2008年。

薬物乱用者、    男(193例)  女(90例)

うち依存症と診断された男(29%)   女(50%)

 覚せい剤の乱用開始から依存になるまでの平均期間

           男2、5〜3年  女1、9〜2,3年

 これで、明らかに女性の方が短期間で依存症の状態に陥りやすいことが分かる。

「ダルク女性ハウス」(民間リハビリ施設)の代表は、

「薬物乱用者は逮捕されれば一定期間は薬物をやめる。でも、依存症を治療しなければ

しばらくすると再び使いたくなって乱用を繰り返す」と言う。

 2007年、覚せい剤取締法違反の受刑者のうち、2度目以上の入所者(再犯者)。

           男(24%) 女(46%)

 

 何かというと、他人(リーダー各)の言うことにただついていく、自分で決めない

考えない依頼心の強い「金魚のフン型」の女たち。

 その反対側には、面倒を見ることに情熱を燃やし、他人のことに口を出す、自分のため

に周りが幸せでいて欲しい「悪女の深情け型」の女が居る。

 

 私は、明らかの金魚のフン型でないために、悪女の深情け型だと思われがちのようだ。

まぁ、そういう部分もなきにしもあらずだが、みんなそれぞれの考えと意思を持って

その上で和すことが、本当の平等と平和だと私は思っている。

 誰かが誰かの面倒を見たり、見られたりすることで、それがアリガタイ「やってれた」

「やってあげた」などとグチャグチャ絡み合っているうちは、依存依頼の関係感情を乗り

越えることは出来ず、嫌でも嫌と言えない関係が存在することになる。

 私は、人間の心を育てるのは孤独と思考、そして行動だと思っている。

一人になって自分を見つめ考え、自分の思考思想を練り上げていく。

考えが未熟(熟していない)で、まとまらないその時、孤独の中で自身の気持ち思考を

構築する一人きりの時間が必要だと思う。

何故なら、考えることが面倒になると誰かの頭を借りて「付和雷同(ふわらいどう)」

したくなるのが常だからだ。

 まーた、何時もの言葉を言ちゃうけど、自分を持って、

「君は君、僕は僕、されど仲良し」ってのが、大事つうか基本だと思う。

 

 周りに気を使う女。周りを大事にする女。我慢強いことで我慢しすぎる女。は、

言いたいことを言わず、行きたくなくてもついて行くことになり、やりたくなくても

やってしまう。ことになる。

 そして、自分を見失っていくんじゃないだろうか。

 

 新聞に、

「薬物への対応は、現状では取り締まりが優先され、依存性の治療には目が向けられて

いない。薬物問題の解決には、依存性の治療と社会復帰の支援が必要だ」

「感情表現を押さえ込まれて生きてきた彼女達が、自分の考えや思いを言葉で表現する

ことが大切。それが、薬物に依存する心の回復に必要なプロセス」とあった。

 

 前に、

「庭に干された、青空の下ではためく白い洗濯物、自分のエプロンも身をよじっている、

そんな棹から離れて、あの大空へ飛んで行ってしまえー」って感じの詩を読んだことが

あった。

 そこにある状況は変わらなくても、気持ちが変わると生き方が変わって、

青空に下ではためく白い洗濯物も、また違って感じられるようになるんじゃないか。

 なーんて、その時、思ったのでありました。