カーネーション

 

 私が小学校の頃、四十年程前、昭和四十年頃、母の日になると図工の時間にお母さんの

顔を描き、胸にカーネーションをつけた。

 最近の学校では、親がいない子が可愛そうだからと父母の似顔絵を描かせなくなったと

聞いた。

昔、母親がいる子は赤いカーネーション、母を亡くしている子は白いカーネーションを

付けるのだと聞いたが、白いカーネーションは配られた覚えがない。

そして継母の子はピンクのカーネーションをつけるのだという噂もあった。

子供心にそれらの話をなんて残酷な話かと思った。

そのころの私は、母親が居ないことは、まるでいけないことであるかのように思って

いた。

母親が居ないことを知られたくなくて隠している子も居た。

 

しかし、後に白いカーネーションは天国の母への感謝を表し、赤いカーネーションは

生きている母への感謝を表しているのだ聞いた時に、母を亡くした子が、白いカーネーシ

ョンをつけるのは可哀想だと思った自分が恥ずかしくなった。

 今、すっかり大人になって親からの束縛の恐怖の記憶が大分薄れた現在の私が、思う

ことがある。

 

親というものは、自分の親であるが、自分の為に存在するものではない。

親といえども、同じ人間の修行の道を歩む同士である。

親を恥と思うこともなく、自慢に思うこともなく、ただ感謝の気持ちだけを持ちたい。

尊敬出来たら、すればよい。出来なかったら、しなければよい。と、思う。

彼らがしたことは、彼らがしたことで、自分が行ったことではない。

自分は、自分の納得する道を歩めばよいのだ。

ただ、感謝の気持ちは、どんな親であっても持ちたい。

感謝の気持ちを持つ心は、自らが作るものだと思う。

 

 あの子は親がいないんだよと聞いた事があるが、考えてみれば、親のない子は居ない。

親との死別か、生き別れがあったにしても、親がいなければ子は生まれてこない。

今現在、産み、育ての親がいないという事はあっても、父と母は法律や他人に認知され

ている、いないに関わらず、存在する。

名も無き花などというが、名を知らぬ花であって名が無いわけではない。

親なしっこなんて言う者もいたが、親がいなくて存在している人が居たら教えて欲しいも

んだ。

 その頃は、継母物語が流行っていた。

少女マンガは何時も悲劇好きだ。

原子爆病で病に倒れる薄幸の少女と同時に、継母に虐められる美少女というストーリー

が、当時は巾をきかせていた。

継母である事はまるで罪でもあるかの様な、家庭に欠陥がある事は(欠陥て何?)その

家の人間もまるで罪人であるかの様な雰囲気がその頃はあった。

でも私の心の奥には、そういう状況への憧れがあった。

皆も、そうだったのだろうか…?だからそういうマンガが流行っていたのだろう。

しかし、マンガや物語では認められる事が、現実として目の前にあると認められないも

のなのであった。

 

昭和10年

 政夫は二十八歳で婚姻式を行ったその日迄、女を知らなかった。

民子も又、二十二歳のその日が初めてであった。

いくら田舎の事とはいえ、二人ともそういう意味では奥手であった。

二人の結納を決める時、

「二十二歳という齢は、風呂桶の板の数と同じで出たり入ったりが多いといわれてあまり

良い齢まわりでないからもう一年待ったほうがいいんじゃないの?」と叔母が言った。

それを聞いた政夫は、のんびりとした口調で、

「それは、別にいいんじゃねぇか。

出たり入ったりするつうことは、出たっきりでないんだから、風呂は死ぬ迄入るしな」と

言った。

 戦前の事である、新婚旅行などないのは普通の時代だった。

夜這いもあったが、民子は政夫と祝言をあげた晩に、祝言をあげた政夫の家で

初めて一緒の布団に入ることになった。

二人は布団の上に向かい合って座っていた。

しかし、何時までたっても何も言わないでいる政夫に痺れを切らし、緊張と気詰まりか

ら、民子が口を開いた。

「ちょっと、あんた、“もらいっこ”なんだってね。」

「エッ?」と政夫は聞き返した。

民子は、もう一度同じことを言った。

それを聞いて布団の上に固まってしまった政夫の顔を、民子は覗き込んだ。

「嘘だっぺ?」と政夫は言った。

「えー?あんた、本当に知らなかったの?」

「うん」と政夫は、あぐらから正座になった。

政夫の様子を見て、民子は急に心配になって胸元を合わせた。

政夫がもらいっこである事は、周りの誰もが知っている事であった。

だから、てっきり本人も知っているものと民子は思っていたのだ。

暫く間があって、

「俺、本当に全然、知らなかった。

そーかぁ、そうだったのか、…。

今の今まで、自分がもらいっ子だなんて考えたことなかった。

そーか、そうだったのかぁ。そういえば心当たりも、ねえわけではねえ。

んだが、俺、あの親が自分の本当の親じゃねえなんて、いっぺんも考えたことなかった。

んでも、あの親に育てられて良かった。

お前も俺と一緒になったんだ。

俺と一緒に親孝行してくれな」

それを聞いた民子は、「うん」と、深くうなずいた。

            本当にあった、ピンクのカーネーションの話だ。

 

これは、以前に載せた話で、重複するが、胸のカーネーションは、母への感謝を表した

もので、赤いカーネーションは生きている母への感謝の気持ち。

 白いカーネーションは天国に居る母への感謝の気持ちを表しているという。

 

最近の学校では、子供にも色々な事情があるからということで、母の肖像を画かせなく

なったり、カーネーションを胸に付けなくしたと聞いた。

 生きていても、死んでいても、自分を捨てた母であっても、自分をこの世に送り出す

任務を神から与えられた人である。

 誰に認められようと認められまいと、今ここに生きている自分に誇りを持って、どんな

人間であっても母となった人へ感謝の念を持つ。

赤でも白でもピンクでも胸を張ってカーネーションを付ける人間に育てるのが、教育。

カーネーションの色が違うことで、バカにしたり虐めたり、或いは恥ずかしがったりする

ことの愚かさと恥を教えることが教育だ。

       と、私は思う。