カミサマ

淳之介は、今年で三十二歳になるが、カミサマを信じている。

結婚して一年になる。

カミサンと一緒になったきっかけは、酔っ払った勢いで、

「カミサマは、絶対にいる」と淳之介が言い出した時、彼女が本気で聞いてくれたから

だった。

その日は、会社の暑気払いで、早めに仕事を切り上げビアガーデンに行くことになった。

淳之介の部署は十人足らずで、半数は女だった。

カミサンは、何か話し掛けてもすぐには答えが返ってこないボーとした娘だった。

淳之介は、てきぱき仕事をこなすのが好きだ。ルックスは、もと少年隊の東に似ている。

密かに彼に憧れている娘もいたが、そっち方面の淳之介は鈍感だった。

 

いつもは、そんな醜態を見せることはないのだが、その日は勝手が違っていた。

ビアガーデンに向かう途中で、雷雨があり、その後に陽が差し、虹が出た。

蒸し暑かった空気が、一瞬にして透明に冷えた。

夕日に虹は珍しかった。

雨で湿った身体に、屋上の風は寒いくらいだった。

提灯が揺れ、夕焼けとネオンの灯りがバトンタッチをしていく。

乾杯で始まった暑気払いは、夜の闇が深まるに連れ、ビアガーデンの喧騒と熱気で、

盛り上がっていった。

そして、夏の定番である、恐い話になったが、急に酔い出した淳之介が、突然

「カミサマっていると思うか?」と言い出した。

カミサマは恐い話と似ているようでいて、全く違うと淳之介は思う。

しかし、その日の夕方にあった雷と夕立からカミサマの話を思い出して、頭から離れ

なくなっていたのだ。

同僚たちの中にも、早々と酔っ払う者も出てきて、その返答は淳之介のまじめな問い

掛けに、納得のいくものはなかった。

 大体が、そういう場所でまじめな質問をする方が間違っている。

生まじめで、時々融通が利かなくなる淳之介の性格が、酔いが手伝って顔を出していた。

まじめになる程、人は面白がって、からかい出す。

わざと的外れな答えをしたりする。

それに焦れて怒って酒を飲むうちに、淳之介はしたたかに酔ってしまった。

手の付けられない状態になった淳之介を、いつもの仲間が連れて帰ろうとしたが、

焦らされてすっかり気持ちが拗(こじ)れてしまった淳之介は、いうことをきかない。

 その時、彼女が「私が連れて帰ります」と言った。

その言い方は、普段の彼女と違ってキッパリしていて、誰も反対出来なかった。

淳之介に憧れている娘も、何も言えなかった。

誰が「帰ろう」と言っても、駄々っ子のようにいうことをきかなかった淳之介が、

「帰るよ!」と言った彼女の一言で、立ち上がった。

彼女は自分のバックと淳之介を抱えるようにして、店から出た。

その時の彼女は、淳之介に優しくする訳でもなければ、邪険にするわけでもなく、

淳之介を店の外に連れ出した。

そこに居た者たちは、彼女に有無を言わさぬ強さを感じ、誰も手を出せずに二人を

見送った。

 

帰りのタクシーの車の中で

「僕は悔しい」と淳之介が言い始めた。

彼女は、淳之介が、カミサマっていると思うか?と言い出した時から

それが心に引っ掛かっていた。

淳之介が気持ち悪そうにしているのを、運転手が気にしてバックミラーで見ている。

近くに公園があったことを思い出し

「ここで、止めて下さい。」と彼女は言った。

出来過ぎた話だが、現実はこんなもんなのだ。

公園で淳之介の話を聞いた彼女と淳之介は、一年後に結婚した。

 

淳之介の話

「僕は、カミサマってホントに居ると思うんだよね。

僕の親から何回も聞かされて、マインドコントロールされちゃったのかもしれないな。

 君は知らないだろうけど、僕の育ったところってド田舎ってやつかな、本当にのどかで

何もない所なんだ。

僕が育つ頃もだけど、小さい頃なんてもっとすごかったらしいんだ。

家の両親なんて、近くの町に行くだけでも、人が多くて疲れるなんて言うくらいだからね。

 それが、僕が二歳の頃に、何か用事があって、初めて東京に出て来たんだ。

両親と僕の三人でね。

両親にとっての東京は、いわゆるカルチャーショックってやつかな、ただもうビックリ

してウロウロして、マゴマゴしていたら、僕が見えなくなっちゃったんだって。

その瞬間、二人はもう僕には会えないって思ったらしいんだ。

こんなに人がいて、十メートル先も見えないくらいに人がいて、僕を捜していて

余計そう思ったらしい。

二人が必死になって捜して歩いていたら、雷が鳴って、ドシャ降りの雨が降ってたん

だって、間もなく雨は止んだんだけど、呆然として歩いていたら向こうから男の人が

歩いて来たんだって。

そして、その人が

「あなたの子供さんが、向こうの橋の所に居ますよ。」って言ったんだって、

その人に、礼を言うのもそこそこに、走って行ったら橋の横に僕が立っていたんだって、

橋に虹が架(か)かっていて、その下に僕が居て、

カミサマが、僕を返してくれたんだと、二人は思ったんだって。

 

この話を誰かにすると、僕の両親が僕を捜しているのを見かけた親切な人が教えてくれ

たんだって言われるんだけど、両親はそれだってカミサマだって言うんだ。

だけど、どう考えたってあの人ごみの中で、両親が僕を捜してるなんて分かる筈ないし

僕が橋の所に居るなんて、分かる筈ないって両親は言うんだよ。

だから、あれは絶対にカミサマだったんだって。

 

僕はどっちでもいいと思う。

だけど、カミサマっていると思うんだ。

それは、特別な格好はしてなくって、当たり前の一番目立たないものなんじゃないかと

思うんだ」と、淳之介は言った。

 

そして、確かに、その日の雷雨の後の虹の下に、カミサンは、居たのだ。