カラス

 私が、何時もどんなことを考えているのか、覗いて見てみたいという人がいる。

最初にそれを言ったのは、母だった。

「お前は何時も何を考えているのか分からない、どれ、頭をカチワって見てやる!」と

私の行動が、母の思い通りにならないと必ずといっていい程この言葉が投げかけられた。

 それなら、それが当たり前だと思っている私の頭の中の散歩を、お見せしようか。

 

 私の住んでいる所は字(あざな)を、烏(からす)ウチという。

カラスウチというだけあってカラスが非常に多い。

 それにしてもカラスという鳥は非常に賢い生き物で、私が幼い頃に住んでいた家の近所

にオマワリさんの一家が住んでいた。

そのオマワリさんの家でカラスを飼っていて、物干し竿にとまったカラスが、九官鳥の

ようにいろいろ喋り、その声が面白くて毎日のように通ったことがあった。

 あるゴルフ場にも「ファー」と言うカラスがいて、プレイする人を混乱させているとい

う。

そのカラスか別のカラスかは、分からないが、更にグリーンに乗ったボールを持って、

いや咥(くわ)えていって、プレイヤーを困らせているのだという。

 十年ほど前のことになるが平和台霊園に行った時に、「オハヨー」と誰かに声を掛けられ

辺りを見回すと高い木の上でカラスが「オハヨー」と言っていたが、まだあのカラスは

生きているだろうか?

 大体が、カラスの寿命というのは何年位なのだろうか?

あのカラスはあれだけタッシャに人間の言葉を話すということは、何歳かになっていたと

思われるのでもう死んでしまっているかもしれない。

しかし、他のカラスが受け継いで「オハヨー」を言うやつがいないとも限らない。

それが、オハヨーカラスの子供だったら面白いと思う。

 カラスは光物が好きだという、確か外国の話だった。

大きな屋敷の敷地内に大木があって屋敷の二階にある奥さんの部屋から度々アクセサリー

が無くなる。

そこで、小間使いが疑われるのだが、下男が大木の上のカラスによって集められた沢山

のアクセサリーを見つけ、小間使いの疑いがはれるという話を読んだ覚えがある。

カラスは食べ物以外のものをコレクションし、遊ぶこともするのだ。

 これは、知能が高いことを証明する行動である。

私は、近所のカラスが高い所から袋などを落とし、それを空中で拾っては落とすという

遊び以外の何ものでもない光景を何度も目撃した。

それが、一羽だけでなく何羽もで、連係プレーで遊んでいることもあるのだ。

 

最近、“矢追純一”が、1996年に書いた“カラスの死骸は、なぜ見あたらないのか”

という本を読んだ。

すごく面白かった。

見ようとしない者は、常識に縛られて生きる人は、見えても見えない。

なぜを考えないで、すぐに聞いて分かったつもりになってしまう人は、本当の自分の答え

を見つけることが出来ない、ってなことが書かれてあった。

 

 私の現在の住まいがカラスウチでカラスが多いと最初に言ったが、十何年か前のことに

なるが、夏休みにまだ子供だった私の子供が、その友人を集めて花火をしたことがあった。

 後始末の点検は私がしたが、新聞紙を燃して水を掛けたものは明日片付けることにして

そのまま寝た。

次の朝、カラスの異常な鳴き声で目が覚めた。

二階から覗くと、まだ明るくなりかかったばかりだというのに、我が家の駐車場の上の

電線にカラスが集まり、ギャーギャーグェーグェーと叫んでいる。

 それは、不気味な光景であった。

その下の駐車場を見ると、白々と明るくなってきている中に、まるでカラスが羽を広げ

うつ伏しているかのような黒いモノが見えた。

それは、まさしくカラスの濡れ羽色だった。

(カラスの死骸だ!)とまだはっきりと目の開かない私は思ったが、よく考えてみると

そこは昨晩、花火を行ったところである。

(あー、奴ら新聞を燃してそれが朝露に濡れたものを、カラスの死骸と勘違いして騒いで

いるんだな)と思った。

そして、もう一度布団に入って寝ようとしたが鳴き声が凄まじく、そのまま観察する

ことにした。

 その時刻が4時前位だったと思う。

太陽が出たのは5時過ぎ位だったか、太陽が出ると朝露に濡れて黒々と光っていた新聞紙

が、みるみる乾いて薄い色になり、カラスの真似を止めた。

そして、風が吹いて粉々になったものが、駐車場に散っていくと、騒いでいたカラスは

いつの間にか居なくなっていた。

 小学校の教科書に、水泳をした後でポケットに黒い水泳帽を入れておいて、それを出し

て見たところカラスに攻撃されるという話があったが、そのカラスの知能指数の高さには

驚かされる。

 カラスも田舎のカラスと、都会のカラスでは知能指数が違うらしい。

学習能力もあり、十円を拾ったり盗んだりして鯉の餌の自動販売機にそのコインを入れ

鯉の餌を食べるというカラスの映像を見たこともある。

 十円以外のコインがあっても、それは役に立たないことをしっているのか持って、いや

咥えていかないのだという。

 

カラスの肉はまずいと聞く。

食べ物学者“小泉武夫”の書いた本“不味い!”にもカラスを食べる話があって本当に

不味かったそうだ。

どのように不味かったかというと、ロウソクと線香の風合いがるのだという。

 しかし、カラスを食べる話は地方によってはあって、六ツ野だったかカラスを食べる会

という形で伝承していると聞く。

風の便りに結構食べられると聞いたので、料理の仕方に何か秘伝があるのかもしれない。

 

 歎異抄を書いたといわれる唯円は、鳥食み(とりばみ)の唯円という同名の人がいて

歎異抄も唯円が書いたと断定出来ないという話もあるが、鳥食みという地名は

常陸国久慈郡の山村のもので、その鳥はカラスを指しているとも聞いたことがある。

 カラスというと縁起が悪いといって嫌われ、からす鳴きが悪いとよくないことが起きる。

などといわれ嫌われることが多いが、ヤタガラスという記紀伝承で神武天皇が熊野から

大和に入る険路の先導となったという大烏の話であり、中国の古代説話では、太陽の中に

いる三本足の赤色の烏、神の使いの鳥だ。

ヤタガラスのことになると話が長くなるので、又の機会にするとしよう。

 

カラスは、チェコ語で“カフカ”と言う。

カラスと呼ばれる少年が主人公である“村上春樹”の“海辺のカフカ”を読んだが、

全体に彼の知識と知能の高さに満ち満ちていてプラトンの饗宴の話など興味深く面白かっ

たが、登場する人が皆一様に同じ高いレベルを持つ人間ばかりであることに、安心と同時

に物足りなさを感じてしまった。

 

 “フランツ・カフカ”の“変身”を読んだのは中学の頃だったと思う。

ある朝目覚めたら、自分が毒虫になっていたというあれだ。

チェコ語を話すユダヤ人の家に生まれたカフカ。

しかし、ドイツ語で小説を書き、ユダヤ人であったことで安住することのなかったカフカ。

書くことが、自分の生きることだと日記に残されている彼の中に住み着いていたのは不安。

 

 私は、変身をずっと変態だと思い込んでいた。

変態とは動植物が形体を変えることで、蛙がおたまじゃくしから蛙に形を変えることなど

をいうが、異常に変わることも変態といい、変態性欲などがそれであるという。

 カフカの作品は、数が少ないがその一つに“審判”があった。

偶然にも今朝載せたものと同じ題名である。

「私は、死ぬまで作家でありたい」と言っていたカフカ。

急にカラスのことが書きたくなったのは、若しかして彼に呼ばれてだったりして…。

今日は3月24日彼岸の明け。

   なーんてことを、考えてこねくり回しているのが、私の頭の散歩、最高に楽しい

ことなんだ。     あー、しあわせ!