傾向と対策

 

この言葉を知ったのは、学生の頃だったか。

その理論的で美しい響きに瞬間で悩殺された私は、何か事ある毎にそのフレーズが頭の

中で流れるようになった。

 

 今回は、“男の子の育て方”についてまとめたいと思った。

が、その傾向と対策についての注意点を先に話しておきたい。

 

傾向というのは、あくまで傾向であって、これはこうだ。という決めつけ、断定、

レッテルを貼るのを目的とするものではない。

いや、寧(むし)ろ、そういった狭い了見(狭いが含まれている)見識で決めつけをし

たい者への一つの戒めとなったらいいと思っている。

 

チューリップには、チューリップの育て方がある。

ジャガイモにはジャガイモの育て方がある。

一つには、その子(子に限らず)が、チューリップであるか、ジャガイモであるかを

見極める必要がある。

しかし、そこでこの子はジャガイモだ。と断定するのではなく、ジャガイモの傾向が

ある。といった見解に基づき、どのような働きかけをしていくことが良いかという対策

を練ることになる。

全てのモノにその種の蒔(ま)き時があり、延びる時期がある。

水やりの時期、方法は、その個々に聞け。(目で聞いて、耳で見る、五感で感じ心で感じる)

それを見極め、見つけ出すことが、私たちの務めであり、そこに手を出さないことも

私たちの大きな勤めである。と、私は思う。

麦踏みがあり、稲の中干しがあるように、環境を作ることとその時期に合わせての働き

かけが必要不可欠だ。

が、人間というのはスゴイ生きもので、それが重大な間違いを犯し、それに寄って重大

な心の傷(トラウマ、脳障害)が出来たとしても、前回書いた“可塑性”によって

自浄作用、育ち直しが出来る生きものである。ということを、最初に述べておく。(ほっ)

 

<自然先生>

 ジャンジャック・ルソー(思想家、教育学者)は、人間、人が育つ教育(教え、育つ)

は、3つあると言った。

一つは、人間先生。まさに周りで関わる全ての人のことだ。

次は、環境先生、周りの人間達や地域、社会、そこにある環境がその人を育てる。

 そして、一番重要なのは、自然先生。

これは、いわゆる環境の自然のことではない。

 その人に限らず、あらゆるモノが確立して持っている“なるべくしてなるように成長

していく力“のことだ。

 これを、親鸞聖人は自然(じねん)と言い自然法爾(じねんほうに)と言った。

自然法爾を知り、爾今(にこん)過去でも未来でもない、今に今で生きることで、辛い

時も迷いの時も、何時何どきでも平安の中に居ることになる。

私は、メダカを飼って23年になる。

そこで教えられたことがある。

メダカを飼うコツは、環境を整えて手を出さない。

最初の10年近くは水が濁る度にせっせと水替えをしてきた。

日向水を作って透明になった水にメダカを放すと、それはそれは気持ち良くなり嬉しい

気持ちになった。

でも、それは、自分が気持ち良いのであって、メダカが本当に気持ち良かったかどうか

今となっては、分からない。

ただ、水を替えなくても、水は水で自分の力と環境(バクテリアだの土水草など)の

力でキレイ(透明)になる。

それを私は“水が出来る”と呼んでいて、魚は水づくり、農業ガーデニングは土づくり

で決まる。と聞く。

それから、メダカの死亡率は格段に下がり、長生きするようになった。

メダカはメダカの生きる力で生きており、水は水の力で出来上がるのだ。

 

<目標と過程>

 目的目標を持ち、そこへと向かう過程の時、それは、過程であって過程ではない。

目的目標は、目的であるが、それだけが大事なのではない。

 目的の為に手段を選ばないということは、目的から離れている。

なぜなら、手段も目的の一つだからだ。

これまでの世の中が、一環して間違って来た構造がここにある。

目的の為には、手段を選ばず、弱者の声を聞かず、弱者を切り捨て、隠ぺいし、ねつ造し

説明を省き、先を急ぎ、今の声を切り捨てる。

その間違いの構造は、人の納得を得ず、焦り不安となって人の心を脅(おびや)かす。

見える形だけに囚われ、早く、間違いなく、無駄をせず、過程を楽しむ余裕を持たず、

“勝てば官軍”の結果主義、合理主義。

その構造から卒業する方法は、“子育て、自分育て”の方法と全く同じだと私は思う。

思っている。

過程を納得して楽しみ行う。その先に勝手に良いモノは訪れるのだ。

いや、ウソ偽りのない思考と行いで現れたモノはその時の社会のとって不都合であった

としても、それが必要な良いモノなんじゃないだろうか。

しかし、リラックスとルーズが全く別物であるように、楽しむとは、自堕落に怠ける

ことや目先の快楽主義いう意味ではない。

 

<男の子>

 「男の子を育てるのは大変!」という声を聞く事は多い。

脳科学で、明らかに男脳と女脳というのがあるという。

 私は、男は、女は、子供は、年寄りは、といった十派一絡げの断定的な言い方が嫌いだ。

今の世の中は、昔は、と言うのも具体性がなく何処まで何を知ってるんだ!と思う。

セクシャルマイノリティという言葉がある。

LGBТ(レズ、ゲイ、ボーダ、トランスジェンダー)という名で分けることに寄って、

レッテル貼りと区別でない差別が存在する。

 しかし、どこかの国には何十もの性別があると聞いた。

男、女が好きな男、男みたいな女が好きな男、男のままで男が好きな男、自分が女になり

たい男が好きな男、男を好きな男を好きだったり、女を好きな男が好きだったり

女もまた、男が好きな女、女が好きな女、等々。

という訳で、男脳と言っても今から言うことが男の子の全てではないということを

しつこく前置きしておく。

 

でも男脳の特徴、ってのを聞いた時、それってワシじゃん!と思った。

私は薬指が人差し指と比べて異常に長い。(2センチ近く)

どうも薬指の長さというのは、母体の中に居た時に与えられた男性ホルモンの量と

関係するらしい。

人差し指と薬指の長さがあまり変わらない人は、女性ホルモンが多いらしくて、女性の

特徴を多く持つという。

でも、今回は男の子ということで、

 

<男の子の特徴>

三つのKが好き。

1、汚いモノが好き

2、危険なモノが好き

3、キテレツなモノが好き 

そして、自分が汚れて危なくてキテレツなことになる。

石を拾う、泥をこねる、虫をいじりまわし、縁石があったら必ず登る、高い所から飛び

降りる、棒を振り回す、電信柱はグルグル回る、奇声を上げる、何か見つけたら走り出す。

それは、瞬間的に飛び出し、何にでも手を出す、思いも掛けない行動に出る、とんで

もないことをいつやらかすか分からない危険な子供。と、周りの大人は、特に女である

お母さんは心配することとなり、

「男の子を育てるのは大変」とため息をつく。

 あ〜、ここまで書いて、これまるっきり自分じゃん。と思う。

 

私は、2歳にして障子のテッペンまで登った、子猫の後を追い雨どいを伝って家の

2階の屋根に上っているのを発見され母が失神したのも3歳になる前だった。

塀があれば登り縁の下にもぐり、大理石工場に潜り込んで石の間を駆け回った、土手

に倒れこむ遊びをし、崖に上り、飛び降りた、そして電車線路の下に隠れた。

ここまで書いてサイテーじゃん!と思う。

生きものが好きで、野良犬、野良猫、虫、魚、鳥、何でも面倒をみた。

それが、63歳になっても変わらないんだねぇ。

母の口癖は「おまえが居たからお母ちゃんは病気になった。おまえなんか生まなきゃ

良かった。何考えてるか分からない」

そして、「どれ、その頭かち割って中見てやるから」と薪割りナタで頭を叩いた。

あ〜、今になって分かる。

どんなに心配掛けてきたのか。

逆立ちの練習を突然思い立って始めて、ガラス戸に突撃してそのまま縁側から外に飛び

出したことがあった。

勿論ガラスも戸も大破したが、自分がどうなったかは覚えていない。

スカートが嫌でズボンを穿きたかったが、母は何時もスカートを、それもフリルのある

ようなのを作って着せた。

 女であり女の子を求める母の下に私は生まれた。

私にとっても、母にとっても、これが運命宿命、業(カルマ)なのかもしれない。

父に怒られた記憶は、ない。

 

で、男の子を育てる秘訣をここに書く。

 

まぁ、私が思うお母さんが楽になり、子供がシアワセになり、みんなが良い方向げと進んで行く方法は、

一番目に「仕方がない。この子はそういう人なんだ。と諦める」

諦める。とは、明らかに認める。ということだと聞いたことがある。

そして、「まるごと子供を受け止めて」みて。

受け止めて“あげる”んじゃないよ、そのまま、ありのまま、否定せず、誉めることも

せず、ただ受け止める。

たーだ見ててごらんよ。

そーかー、あんたは、そういう人なんだね。って。

そーかー、あんたはそこに上りたいのか、そこから飛び降りてみたいのか、

何で、今、ここでそれをやる?

あんたの目には何が映っているの?

ピョンピョンと落ち着きなくはねて、あっちこっちに走っていく。

すげーなぁ、疲れるって知らないのか?

 

そこで、思う筈だ。子供って面白いなぁ。って。

分からないモノって面白い、予測不能なモノの面白さったらないね。

子供の能力が伸びる一番が、生きものと触れることだそうだ。

機械にある限界が生きものにはない。そして、予測不可能な動きや反応程、人を育てる

事はないらしい。

 

但し、糸の切れた凧になりやすい要素が満載であることも忘れてはならない。

そこで必要となってくるのが、ルールを決める。

 私のメダカ広場に男の子がやってくる。

すると、勝手に手を入れる。石を入れたり棒でかき回したり、メダカをすくおうとする子

も居る。

男だからみんなそうではない、そういう子も居るし、そうでない子も居る。

女の子にもやる子とやらない子が居る。

そういう時、私はワクワクする。

その子の人生が変わるチャンス到来なのだ。

ある男の子小学3、4年生に言った。

「ねぇ君、学校居心地いい?」

「学校、ヤダ」

「何で?」

「怒られてばっかり」

「そっかぁ、じゃ、怒られなくなるオマジナイ教えてやろうか?」

「そんなの効かないよ」

「そおかぁ、取り敢えずやってみなよ、で、効いたかどうか今度来た時教えてよ」

「んー、なに」

「何かやりたい!って思った時、『やっていいですか?』って聞くの」

「ふーん」

「で、ダメだよ。って言われたらやらない、その時『はい』って言う。そんだけ」

「ふーん」

「ふーんじゃねえよ、やってみ、な」

その後、その子は柄杓(ひしゃく)を持って「使っていいですか」と聞いてきた。

「いいよ、メダカはすくわないでね」

「うん」

「あっ、こっちに色別に分けたいメダカが居るんだけど手伝ってくれっかな」

「うん」と、すっげーニコニコ顔になる、分かりやすい子だ。

 それから、お母さんに呼ばれても「今、お手伝いしてるから」とメダカの分別をして

帰った。

 

 後日、その子が来た。

ビックリする位落ち着いていた。

 

 インディアンの子育て4訓

乳児は、しっかり肌を離すな

幼児は、肌を離せ、手を離すな

少年は、手を離せ、目を離すな

青年は、目を離せ、心、離すな

 

 私は、面白くないと生きてる実感が湧かない。

物品は必要なだけあればいい(それだって贅沢だけど)

 何かやりたいと思ったら、しつこい、損得なしで熱中する。

 

将来大物になる子の特徴ってのがあるらしい。

それが、時間を忘れて熱中する、と、しつこい。だそうな。