警 鐘

 

それは、突然始まった。

高校入学を希望する少女、ペーパーテストでは合格だった。

しかし、彼女が筋ジストロフィーという病を持ち、車椅子を使用する者であると知った

学校は、彼女の合格を撤回する。

その事実を知った彼女は、真っ向からその不合格に抗議を申し立てた。

だが、学校は、彼女の為であるという大義名分のもとに、入学を拒否した。

人の為と書いて偽(にせ)となる。

 

彼女の為に言っているのだというその言葉の裏には、いずれ身体が働かなくなって、

卒業できるかどうかわからないじゃないか。

いつまで生きられるのかわからないのに、そんなに無理して頑張る必要があるのか。

ひいては、勉強しても、もう先が短いのになんの為に勉強するのか。という声なき声が

聞こえていた。

そして、頑として学校を諦めないという彼女に対し、あなた一人の為に学校の体制を

変えるのは迷惑なんだと、ついに本音を吐いた。

 

いずれ死に往く、だから、生きる事に意味がないと、愚か者は言う。

死の意味を忘れ、生きることを忘れた愚か者。

 

彼女を学校に入れるな。

彼女が来ると金がかかる、学校の構造から変えなければならない。

車椅子の動ける階段、トイレ。

その上、うまくいって当たり前、何か問題の起きた時に非難されるのは学校。

彼女が学校に来る事は百害あって一利なし、と学長はふんだ。

障害を持つものを、巧妙の為に、また他の何かの為に利用しようとする偽善者がいる

偽教師がいる。

その学長は、少なくとも彼女を自分の功名の道具に使おうとはしなかった。

おためごがしの形だけの善人、偽善者になろうとしなかったことは、若しかして

彼女の為にはよかったのかもしれない。

 

そして、それはある朝始まった。

 

学長が、自宅の和式トイレをまたごうとしたとき、するりとスリッパが足から落ちた。

「あれ?」

それは、取り立てて驚くような事でもなかった、忙しい朝のことですぐに忘れた。

しかし、その時、すべてが始まっていた。

数日後、自宅で朝食をとっている時だった。

カランと、指から箸が抜け落ちた。

なんという事もないことだ、傍らに開いてある新聞に気をとられていたのだろうと、

箸を拾い、食事を続けようとした時、指がぎこちなく違和感があった。

 

その時、世界中で始まっていたのだった。

ゆっくりと、そして急激に…。

 

アメリカ。ニューヨークは、夜中だった。

表通りは騒音と光にあふれ、車のライトとイルミネーションに映し出された人間は、

光と陰だけでその実体が見えなくなっていた。

道路も又、光に暴かれ、隠れ様もない表通りのすぐ横道に入ると、

そこは急に暗い闇にドップリと沈んだ世界になる。

あったはずの外灯は壊され、本道から100mも離れていないのに、そこは生と死程の

距離だった。 それは近いのか遠いのか…。

ゴミの山となった道の端に、男は立ち上がった。

膝までズリ下げたジーンズを上げながら、ぼさぼさの金髪を振りながら…。

足元には、女が砂の詰まったズタ袋のように転がっていた。

したたかに打ちのめされ蹴られ、気絶寸前のところで意識は残され、

抵抗する気力だけを失わせ、男にいたぶられ、乱暴されたのだった。

女の目は、ポッカリと虚空を見ていた。

目をこらせば、白く投げ捨てられた不自然な恰好の足が幽かに見えた。

 

男はそれを見て、タンの混じった唾を吐いた。そして、歩きだそうとした。

その時、それはやってきた。

突然、全身に痛みが襲った「アウゥ」ととびあがった男は、自分が座り込んだことさえ

わからなかった。

金玉の奥を貫いて脳天に達する痛み、それは身体中の内臓を鉄の爪でひっかき回されて

いるかのようだった。

 

あまりの激痛に男は真っ黒な地面に這いつくばった。

身体中が痛み痺れ、痛みが別の痛みを打ち消すかの様に全身を押さえつけていた。

男に抵抗する術(すべ)は、なかった。

地べたに叩きつけられた操り人形の様に、顔を地べたにこすりつけ、ケツを持ち上げ、

両手両足は、意志を持たない棒きれと化していた。

なにがどうなったのかわからない、その時、男は、恐怖さえも突き抜けていた。

 

その時の流れがどれ程であったのか、立ち上がった男の意識は思考能力を失っていた。

そして、男がヨロヨロと立ち上がった時、ポッカリと空いた胸に入りこんだのは、深い

悲しみだった。

それは、白く光る大きな塊となり、ドンと男の中を突き抜けた。

涙の入る隙もない深い悲しみ、それは男の中で解け、全身を包みこんだ。

そこに逃げ場を求めた言い訳も、甘えも何の意味もなかった。

男に抵抗の意思はなくなっていた。

そして、男が抵抗の欠片さえもなくし、その悲しみに身を、心を、託していった時…。

 

世界中の人々が、自らの神によって自らを裁き始めていた。

そう、自らの神によって…。

見て見ぬ振りをしてきた事、知らずに犯した罪、甘え、逃げ、嫉妬、暴力、捏造、…

人を傷つけ、自分を傷つけ…。

人が、仏性に、神の心にめざめ始めたのだ。

それは自らの中に在る、悪魔のおぞましさにも気づかされるという事であった。

耐え難いものであったが、耐えるしか道はなかった。

そこで自分以外の人に、こうあるべきだなどと教え諭せる人間は、一人もいなかった。

人は総て、自らによって、裁かれしものであった。

耐え難い自己嫌悪と苦痛、悲しみ。しかし、それは耐えるしかなかった。

もう自ら死を選ぶことなど出来ないという事も、識(し)らされてしまったから…。

 

人間の目覚めの時が訪れたのだ。

もう後戻りは出来ない。識ってしまった以上は…。

 

男は浮気をしていた。軽い気持ちだった。

男は、男だったら浮気の1つや2つは勲章だと思っていた。

今まで頑張って生きてきたのだ。

親の期待に答え、一流大学を出て、一流企業に入り、第一線で頑張っている。

結婚もして、家庭も自分は大事にしていると思っていた。

まだ30代で一戸建ての家も持ち、女房は働かせずに家庭を守らせている。

一人娘も可愛がり、近所からも羨ましがられる家庭だ。

 

女房はおとなしい女で、時々頑固な面を見せることもあるが、男が弁のたつ押しの

強さを見せると諦めたように黙り、男の思う通りになった。

男は、「自分が女房を人並み以上に“幸せにしてやっている”んだ」と思っていた。

だから、迷惑さえかけなければ自分のしている事に口出しはさせなかった。

 

浮気も(頑張ってきたんだから、これくらい許される)と男は思っていた。

(誰だって男だったら浮気位するさ。でも、女房に感づかれた様な気がする。

今朝もなんだか元気のない様子だった。

あいつの大人しいところが気に入って結婚したんだが、しんき臭いのには参るな。

しかし、馬鹿みたいにガーガーがなりたてられるよりはましか…。

俺は遊ぶ女は元気で面白いやつがいいが、女房の馬鹿なのは我慢できん。)と男は思った。

 

平日の昼下がり、女を誘った。頭の切れる女だった。

自分とは相性がいい。しかし、やっぱり一時の遊びの女だった。

少しいい女だからって、それにのめり込む程、俺は馬鹿じゃない。

しかし、この女とのつき合い方が少しウェットになってきた気がする。

 

そろそろかもしれない。

男は別れを考えていた。女と戯れながら、いつも通り、いや、いつも以上に楽しんだ。

あと何回こいつと寝る事になるかな。

情事の終わった女を横に、煙草に火を点けながら男は思った。

夕方に、大事な打ち合わせがあった。そろそろ現場に向かわなければならない時間だ。

まだ、ベットに横になっている女をそのままに、男がワイシャツに腕を通した時だった。

 それは、突然何の前触れもなくやって来た。

悲しみと怒り、嫉妬、無気力、胸を穴が突き抜けた。耐え難い穴。

男は、崩れ落ち、目の前にあった昼間でも閉じられている分厚いカーテンにしがみ付い

た。立っていられなかった。

心が空っぽなのに、頭の中は、訳の分からない悔しい悲しい海を駆け巡っていた。

自分は何の価値も無い、生きている資格もない人間だった。

それは、実感であり、消えてなくなることを求めていた。

男は嗚咽を、漏らした。世界が変わっていた。

逃げ場のない絶望と悲しみ、男は自分の髪を掴み座り込んだ。

女が驚いたように男を見た。

 

自らが、虐待された過去を持つ母。

彼女は、結婚して子供を持って間もなくの頃から、突如として押さえようのない思いが

噴出し、我が子に手を上げる様になっていた。

誰かに助けを求めながら、子供に手を上げている自分は、

助けを求めながら、絶望に沈んでいく子供でもあった。

 

些細(ささい)なことがきっかけで、その日も抑えようのない“あれ”が、始まった。

恐怖に開かれた子供の目は、逸(そ)らすことも出来ず、彼女に向けられていた。

ところ構わず叩き、爪を立て殴りつけていったその時、見開かれたその目に、

何かを、突きたててしまいそうな恐怖が彼女を襲った。

その恐怖が、彼女を凍りつかせた。

 

寒かった、ただ寒かった、行き場のない心が、凍えていた。

そして、求めていた、ただ求めていた。

 

急に叩くのを止め静かになった母親に、子供は戸惑いを見せた。

そのままじっと動かぬ母親に、子供は、自分から寄っていった。

その顔を覗き込んだ。

頭を抱え固まっている母親の顔を…。

そして、母親の顔を両手で挟んだ。

子供の指は、細く冷たかった。

突然、彼女の何かが、溶け出した。

硬く凍っていた氷が、透明な春の流れに変わる様に…。

彼女は、唇を噛んで堪えようとしたが、無理だった。

涙が、溢れ出し、喉の奥からうめき声が漏れ、慟哭(どうこく)となり、号泣となった。

 

 どれ位そうしていたのか、彼女の何かが納まっていくのを子供はじっと見ていた。

まるで全てを理解しているかのように。

 

それを体感、実感したものは、他の誰かに伝えようとはしなかった。

自らが識(し)るしか道はないのだということも、同時に知った。

脅しや罰や、まして見返りを求めての行いは必要なかった。

自分が何を求めてここに在るのか、そして何をすべきだったのか。

 

今、本当に大事なもの見失い、道に迷い、危険が差し迫っている。

 

昔、人の暮らしの中に、火の見やぐらがあった。

まだ、そこに登れば人間レベルで見渡せる建物があり、人の暮らしが見渡せた。

山が見えた、海が見えた。

火事が起きた。山が崩れた。川が氾濫した。津波が来るぞ。

それは、半鐘が鳴る、早鐘が鳴ることで知らされた。

地元の火事は、早鐘で知らされる。カン、カン、カン、カン、カン、カン、・・・

まさに心臓も早鐘のように鳴り響く。

鎮火は、カーン、間、カーン、間、カーン・・で知らされる。

隣の部落の火事は、カーン、カン、カン、カーン、カン、カンであり

その鎮火はカンカン、間、カンカン、間・・・で知ることになった。

 

今、人の暮らしは、火の見やぐらでは見渡せなくなった。

そして、火の見ヤグラは、次々と取り壊され、その姿も消えた。

人の暮らしが見えなくなると、その心も見えなくなった。

 

あなたには聞こえるだろうか?

いま、鳴り出した、鐘の音が…。

 

 

    あとがき 2002年

 これは、1980年、次女を産んだ時に、書いたものである。

書いた直後に、「これは警鐘だ!」と思うことが世の中で次々と起こり、その度に

「あー早くこれを世に出したい!!」と思いながら今に至った。

今、一つようやく肩の荷が下りた気がしている。

警鐘を書くきっかけとなったのは、ある所で知り合いになった人の話だった。

彼は、ある有名ホテルの料理人だった。

そこは、有名、知名人の数多く訪れるホテルであり、そこでの話には興味深いものがあり

最初は面白かった。

それらの話の中に私がよく読んだといっていいのか、見たというべきなのか、アニメー

ション作家の話があった。

 彼は、その作品よりもっと過激な人であったようで、その被害にあったホテルの従業員

は少なくなかった。

しかし、誰一人、それを注意することの出来る人はいなかった。

その時、彼らの気持ちの治まりをつけるために行われたことは、陰でこっそりと仕返し

をすることだった。

急ぎの用事のときに、ワザと遅れる。

コップの洗剤をよく洗い落とさないで、汚いタオルで拭く。落とした料理を皿にのせる。

見た目は綺麗に見えるが、見えない悪意と汚染がそこにはあった。

 可笑しそうに話す彼に、私は次第に嫌悪を感じ、話すことを止めた。

あなたは、怖い人だと人に言われることがある。

仕方が無い、嫌なものは嫌なのだ。

でも、誰のことも罰したことはない“つもり”でいる。

ただ、嫌だとなるともうそばには居られなくなる。

その彼とは、その後二度と会うことはなかった。

 

子供の頃から思ってきたことがある。

それは、自分から出たことは全て自分に戻ってくる。ということである。

人に分かろうが分かるまいが、自分のしたことは全て消えることなく残っていると、

なぜか確信を持って思ってきた。そして、今も思っている。

 

当初、ホテルの彼の話から思いついて書いたのは、戦争中にあったと聞く

“フケまぶしご飯”と“兵隊苛め”であった。

戦争中の逃げ場のない上下関係と不安からくる苛めは、学校や社会の中の苛めと共通する

ものを感じていた私は、

「いつまでも月夜の晩ばかりじゃあねえぞ!」

「弾が来るのは、前からだけじゃあねえぞ」と権力に溺れるもの

弱いもの苛めするやつ、陰で人を欺く者をやっつける気持ちがあって書いた。

 しかし、なんだか私の書きたいものとは違うような気がしていた。

 

最初に書いた話の内容は、戦地で弱いもの苛めをする上司のご飯に、頭のフケを入れて

出したという話をホテルの話から思い出し、

それを出したほうの者がフケの入っていない自分のご飯を食べて吐く。

フケが入ったご飯は、食べる者が分からなくてもどうしても「オエッ」となって飲み込め

ないのだと聞いた。

汚い物を食べた者でなく、出した者がご飯を食べられなくなっていく。

虐めを行った者が自己否定をはじめ、精神が病んでいく。

人を欺(あざむ)いた者が、疑心暗鬼(ぎしんあんき)の心によってその心の平安を失う。

そういった話の羅列であった。

 

戦時中の苛めの話はあまりに悲惨で、怖がりの私はそれをした者を許せないと思ってき

た。

終戦によって さんざん苛めを行った上官が日本に戻る。

敗戦の混乱の中で仕事に就こうとするが、うまくいかない。

そして、ようやく見つけた会社の面接試験で担当になるのが、昔苛めた元部下である。

てっきり不採用になると思いきや結果は採用、喜び感謝する元上官。

しかし、それから二人の逆転人生が始まる。 

逃げ場のない元上官に自分がされたことを、行い始める部下。

この他に手抜きや人を落としいれたこと、人の物を奪い、嫌なことを弱いものに押し

付けたことが、自分や愛する者に返ってくる話もあった。

そして、いま、これを読んでみると、なるほど私は怖い人間であると思った。

その人が裏に抱えているものは見ようとせず、ただ切り捨てていっている。

そこに救いは、見えていなかった。私の心の中にあったが、表に出ていなかった。

 私が描きたいのは、許しと救いであることに、最近ようやく気がつき出した。

今まであったこと、行ってきたことは消えない。

しかし、今からが出発。

 

私は、毎日、水をあげる。

そして、自分も含めて全ての人が、目覚め、許され、救われることを祈る。

それが、本当に幸せなことなのかどうか分からない。

でも、祈る。