毛糸(キヌ)

 勇蔵の母親キヌ(オオムカドン)が、小学生の時の話をする。

昭和8年酉年生まれのキヌが、十二歳になった昭和20年に、終戦になった。

終戦の前は、極端に物が不足していた時代だった。

「勇蔵よ、モノがねえちゃどんなことだか分かっか?それこそ、なーんにもねえんだぞ。

お前(めえ)はお母ちゃんに金を値切んなだの、ガツガツすんなだの言うげど、お前も

いっぺんモノがねえちゃ、どんなごどだがやってみっといいんだわ。

金持ち喧嘩せずつってモノに不自由してなければ、何とか考え方変えるこども出来んが

何にもなくて腹減ってその上、死ぬがもしんねえってなったら、人間何やっか分かんねえ

んだぞ。

お母ちゃんは、そんな人いっぱい見てきたんだ、みんな自分では自分の事分がってる

つもりでいっぺが、誰の中にも自分でも分がんねえ自分が居んだぞ」

勇蔵が子供の頃、母親が人目も構わずに行動することを嫌がると、必ずそう言った。

 

 キヌは、幼い頃から手先が器用だった。

材料さえあれば、洋服でも編み物でも見様見真似で何でも作ることが出来たが、毛糸など

の材料が、なかなか手に入らなかった。

それは時代でもあったが、キヌの家が貧乏だったからだ。

貧乏の子沢山というが、両親と7人の子供、それに貧乏なくせにキヌの家には何時も

居候が居た。

 

 毛糸は、何度でも解いて編み直しが出来る。

縮んで癖のついた毛糸は、湯気の立つ薬缶の中を潜り、柔らかい丸い玉となってキヌに

編み上げられた。

キヌは、キチンとしていないことが大嫌いで、編んだ目が揃っていないと気にくわない。

最初にちょっと気にいらない所があって、それでもまあいいかと大分編み上げるのだが、

どうしても我慢が出来なくなりほどいていると、家族に何をやっているんだと聞かれる。

気に入らないからほどいているんだと言うと呆れられ、キヌは病気だと言われる。

 そりゃあいくら編み物が好きなキヌだって、編んだものをほどくのは悔しい。

しかし、我慢がならないのだから仕方がない。

そして、毛糸がなくなると編み物がしたくて仕方がなかった。

学校は、農繁期になると休まされ家の仕事を手伝った。

キヌの四つ下に生まれた妹も学校に連れていき面倒をみたが、九つ下に生まれた末の弟は

オブって学校に通った。

「だから、大きくなれないちゃったんだ」とキヌは言う。

学校に通っていても休まされ、挙句には弟妹を連れて行ったりで、勉強どころではなかっ

たとキヌは言う。

「まー、もともとベンキョーは嫌いだったんだっぺな。同じよおな境遇でもベンキョー

出来た友達も居だからな」と言うが

つまり、勉強が出来ず分からず、授業中先生の話を聞いても全く面白くなかったのだ。

そこで机の下で編み物をしたという訳だ。

「お母ちゃんちゃ、器用だっぺ!先生の顔見て、全然下なんか見ねえで編み物が出来だん

だぞ」

キヌは手早だ。何をするにも正確で、その上速いということが自慢でモットーにしている。

だから「何が辛いって、やっこどがねえのは、一番辛い」と言う。

 

 編む毛糸がなくて退屈していたある日、道を歩いていると堀に毛糸が落ちていた。

「お母ちゃん、あんまり毛糸が欲しいー、毛糸が欲しいーって思ってだがら夢でも

見でんのがと思ったよ」

辺りを見回し、急いでその毛糸を懐に入れた。

毛糸は、二本の違う色がよりあっている高級品だった。

そのまま編んでは落とした人に分かってしまう、すぐ下の弟Kに手伝わせて二本の毛糸を

別々にした。

 次の日、違う色になった毛糸を持って学校に行った。

今日からしばらく退屈しないですむと、キヌは思った。

朝から編み物をしようと机の前に座ったが、金持ちの友達の松子が編み物をしている姿が

目に入った。

 その松子が編んでいたのは、あの毛糸だった。

松子は、振り返り「キヌちゃんも編み物すんのけ、何やっても器用だもんなあ」と言った。

キヌは、顔から血の引く思いだった。神様にバチが当てられたと思った。

世の中広いのに、幾らなんでもマサカ同じクラスの友達の落としたモノだとは思いもかけ

なかった。

 キヌは、最後まで松子に毛糸を落としたかどうかを確かめることはなかった。

「勇蔵よ、お母ちゃんは盗人泥棒だけは、どんなごどがあってもしねえって思っていだん

だげどよお、悲しいもんだなあ貧乏ちゃ。

毛糸拾ったどぎ、落とした人に返すべなんて気持ぢ全然なかったもんなあ、そんでもって

松子さんの毛糸だったら返したんだげど、ほれ二本の毛糸別々にしっちまったぺ。

今でも夢に見んだ、松子さんに謝んねげなんねえど…」

この話を勇蔵は何回聞かされただろうか、その度に「仕方がないよ」とか

「松子さんのものじゃないかもしれないじゃないか」「もう神様許してくれているよ」

などと言ってきた。

 

小学生だったキヌが、

 還暦を向える年に、小学校の同窓会があった。卒業以来初めてのことだった。

同窓会から戻ったキヌは、嬉しそうに勇蔵に報告してきた。

「今日、松子さんに謝ってきたぞ」

「何を?」

「毛糸のことだよ」

「あー、あのことか」

「そしたら何だか、涙が出っちゃたよ。松子さん、そんなこと全然覚えてねがったわ。

んだが、すっきりしたよ」

「良かったなあ」と勇蔵が、言うと

「いやー、それにしてもみんな年取って、ジッチとバッパになってだわ」とキヌは言い

おいおい、あんたも十分バッパだよ。と勇蔵は思った。