結婚

 

 またもや、イキアタリバッタリの何が言いたいのか分からない話ですので、

そこんとこ、ヨロシクゥー。

 

 美咲は何故か質問されることが多い。

それが、その人自身のことであると(自分で考えろよ、自分の心に聞いてみろよ)と

思うこともあるが、基本、美咲はそのことについて考える。

 それはそれは、じっくりと真剣に考える。考えてきた。

だからそういうことになるのか、何かに教えてもらったような気になる。ことがある。

 それが、事実と符合することは多い。

そういう時、

「当たってます、どうして分かるんですか?」と聞かれるが、

 それは、美咲にも分からない。

何故かそんな気がするのだ。

 そして、そんな分かるとか当たるということよりもっと大事なことがあると思う。

分かったことから、何をどうしていったらいいかを考えて、その人、本人が“行って行く”

ということだ。

 一番大事なことは、“行い”じゃないかと美咲は思う。

 

 美咲と会う(出会う、気が合う)人に、普通の人には見えないモノが見える人が多い。

その人が聞いてくるのが、「美咲さんも見えるの?見えたことはある?」

「ない、見えないし、見えたこともない」とその都度美咲は答える。

 しかし、“見えたような”気になることはある。

そして、“そのこと”(その時によって必要な知るべきこと)を、そこに居る相手に言わ

なければならない。というか、言いたい。という気持ちになって話すことがある。

 “そのこと”は、事実と符合する。

でも、その時に、美咲の中に教えてやりたい。だとか、助けてあげたい。なんていう気

持ちがあってはならない気がする。

 美咲の中に、美咲が思ったことと“そのこと”が、当たっているかな。なんて気持ちが

1ミリでもあると絶対に間違う。

 その間違いには二通りあって、事実と符合しない。ということと、もし符合したとし

ても、それは、話すべきことではなかった。ということだ。

 

美咲の所に来る人で、亡くなった人に連れられて来る人が多いが、どうしてなんだろう?

と思っていた。

 でも、よく考えてみると、生きている人が死んだ人を連れ来る。ということもありだ。

ということに思い当たった。

 家族に限らず人を亡くして死の恐怖?に捕まっている人が居る。

そのパターンは千差万別だが、その人に

「亡くなった人が、一緒に来ている気がする」と言うと

「きゃ、怖い」と青ざめた。

美咲が、

「四十九日になる人がここに連れてきたんだよね」と言うと、

「そうなんです、そこのウチは神式で明日五十日祭だから、今日四十九日です」と言う。

 その話の前に、美咲とその人はそれに関わるような話はしていない。

「ところで、何で死んだ人が怖いの?」

「だって、あっちの世界に引っ張られたりしたら怖いじゃないですか」

「何言ってるの、あなた失礼なんじゃないの?

その人はあなたを死の世界に引っ張るような人だと思っているわけ?」

「だって、その人より私の方が幸せだから、きっと羨んでいると思うんです」

「そーれは、思い上がりだね。

悪いけど、その人はあなた“より”(本当は比べるようなことを言うのはイヤだと思い

ながら美咲は言った)幸せな人生だったよ」

「だって、彼女、病気で苦しんで、子供だって居なかったし、家だってウチより貧乏で」

「だから?」

「彼女はカワイソウな人なんです」

 その人は、亡くなった人を哀れむことが優しさだと思い、嫌なことは排除し、

何でも形で比べて優劣を付け、その上で優位に立ちたい。という所に今は生きている。と

美咲は思った。

 この世から見たら、生きていることはイイコトで死ぬことはヨクナイコトとなっている。

でも、本当にそうなのかな。と美咲は思う。

子供は居た方がよくて、お金はないよりあった方がいい?

現世で生きている以上は、そこの風習に沿って生きていく必要はある。だろう。

 でも、そこに縛られている不自由から自由になるヒントを、死んだ者は教えている。

んじゃないかと美咲は思う。

死んだ人が教えているどうかは本当は分からないが、その教えを受け止めるか見逃して

しまうかは、その人の自由だ。

 

そういうことが起きるのが、偶然なのか、命日だったり一年忌、三年忌、十三回忌

だったりする。

そういう時、靄(もや)に包まれたようになっているその人に対して美咲はどうしても

言いたいことが出てくるのだ。

それは、怒りみたいな感じだったり、詫びだったり、それは違うよ。という感じのもの

だったり、兎に角、言いたくて我慢出来ないことになる。

 それが、相手に通じるかどうかは、神様とその本人が決めることで、美咲は言いたい

事を真直ぐに届けるだけだ。

 

 何故そんなことに度々出くわし、そこでまた、人の事情に首を突っ込むことになるのか?

そして、その人にしか分からないことを言い出し、まぁ、結果的にではあるが気持ちの

縺(もつ)れを解く手掛かりみたいなものを提示することになるのか?

と、美咲が自問自答して出た答え。

自分が生死に関わる話をすることが多く、っていうかそういう話ばっかりしている。

だもんで、当たる確率が高い。ということがある。

 そして、美咲は幼い頃から読書が好きで漫画、専門書、小説、ノンフィクションと

ジャンルを問わずのめり込んできた。

 そのことが、相手の事情を推理推測する手助けになっているのではないか、と思う。

でも、人の気持ちを感じてしまうというのは、子供の時からあった。

 ならば、そうした素質に常に人の身になって感じようとしてきたことが加わって、何だ

か分からないが、そういう気がするというお知らせをキャッチするようになったのかも

しれない。という答えを出した。

 そう、美咲は思考することが好きだが、その分疑り深く目の前で起きていることで

あっても、自分の身に起きたことでも、鵜呑みにしたくない。と思っているのだ。

 

以前(2001年より前)の美咲は、そこに現れたこと(教えられたこと)に感心し

納得しながらも、同時にそれを何かに伝えなければならない。という強迫観念にも似た

焦りを感じてきた。

人は何故、その人の子として、そこに生まれてきたのか。

何故、そこに生きて、そこで死んでいくのか。

生老病死は全ての生きものにあることだが、何故人間だけが、いずれ死ぬということを

自覚して恐怖を持って生きるのか。人は、本当はどう生きることが良いことなのか。

自然を壊し、人間の都合、利益だけを優先していいのか。

今起きている歪(ゆが)みや歪(ひずみ)には、何の意味と知らせがあるのか。

 

2001年の3月、美咲が救急車で運ばれたということを聞いて、

「そんなことばっかり考えているからおかしくなったのよ」と言う人が居た。

 そうかもしれない。

しかし、考えて、考えて、祈っているとふっと声なき声が降りてくる気がする。

それは、言葉にすると消えてしまう霧のようなもので美咲はどうにかそのシッポらしき

ものを捕まえるのだが、言葉にしようとするとそれは、違うことになってしまう。

 これを、どうしたら確かなモノにすることが出来るんだろう。と、美咲は思ってきた。

 

「美咲さんにとっての、結婚って、何?」と聞く人が居た。

美咲は暫らく考えて答えた。

「あー、って感じかな」

「どういうこと?」

「敢(あえ)て言葉にすると、『そうきたかぁ、そうだったのかぁ』って感じかな」

「何だか分かんない」

「だよねぇー」

 

 美咲が22歳の春に初めて夫に会った時、(あー、ついにきたかぁ)と思った。

そこには、イヤだとか嬉しいといった感情はなく。

その時に一番近かったのは(あー、そうかぁ)という、諦めに似た感情だった。

その翌月3月に結納し5月8日に結婚した。

 

その前の年、何故か美咲は独身最後の年だからと次々と男友達と遊びまわっていた。

そこに付き合った男は一人も居なかった。

 その時、付き合ってくれと言ってきた人が何人か居て、結婚を申し込んできた人も居た。

美咲をドライブに誘いその足で実家に連れて行った者も居た。

ドライブの途中でキスされたこともあった。

でも、遊び仲間だった男が、その気になった瞬間にもう二度と遊ぶことはなかった。

誰にも最初に「友達として付き合うんだからね、その気になったらオワリだからね」

と言っていた。

 その年の秋だから、美咲がまだ夫と出会っても居なかった時だ。

美咲は遊び仲間たちとハイキングに行った。

帰りの車は4台出されていたが、みんな美咲と一緒の車に乗りたがり定員をオーバー

して乗り込んできた。

 その車の中で「美咲ちゃんは付き合ってる人居るの?」と誰かが聞いた。

「うん、居ないよ」と言うと、みんながホッとしているのが分かった。

「でもねえ、来春には結婚するんだ」

「えーっ!」「何で?」

「うん、そういう気がするの」

 その後、美咲には婚約者が居るらしい。というウワサが立った。

あいつはホンモノのプレイガールだというウワサも立った。

 それを聞いた時、当たっているかもしれない。と美咲は思った。

でも、翌年の春に結婚することになっているということだけは、何故だか分かっていた。

 

 美咲の娘の結婚が決まった時も、やっぱり(あー、そうかぁ)と思った。

(そういうことだったのかぁ)と。

 

実を言うと、結婚だけじゃなくて、生まれることも死ぬことも、仕事も、住む所も、

子供、病気、親、舅姑、色んなこと全てに、

(あー、そういうことになってたのかぁ)と、美咲は思ってきた。

 頑張って自分に出来ることを精一杯して、後は流れに身を任せて生きていると、出会う

べきモノには出会い、終わりになるべきモノは終わっていく。

 与えられるモノは与えられ、手に入らないモノは入らない。

って、この世に自分のモノなんて何もなくて、ゼーンブ借りモノなんだけどね。

 

 そして、借りモノのそれらは、同じ構造をしていて、自分が良かったー、有難い、って

楽しんだらそれはご褒美になる。

嫌だなー、何でこんなことになってるんだよ。って思ったら、罰になる。

 

それを、どっちにしていくか。が、自分の人生を自分主導で生きるってこと。だと、

美咲は、思っている。

 それは、生きている時にしか出来ない。

と、死者は教えてくれた。