木村藤子

 そういうワケでって、どうゆうワケなんだー!って感じっすよね。

日曜日に東京に行きまして、翌日は神保町を歩き回っていたんで、すっとぼけは、お休み

しました。

 いやー、古本屋面白かったっすよ。

結局のところ3軒しか回れなかったんですけどね。

何故かつうと、一軒の店を隅から隅まで見ると何時間も掛かっちゃうんですよ。

それと、入れ込んじゃって集中力を使いまくるから、面白いちゃ面白いんですけど、

ヘトヘトになっちゃうんですよ。

そういうワケで、古本屋は、もー、3軒で限界でした。

いずれまた行こうと思ってますが、この件に関しましては、エッセイの古本屋で書こうと

思ってますんで、興味がある方はそちらで読んで下さい。

 

ところで、話変わって

 木村藤子さんってご存知ですか?

木村の神様って呼ばれている東北は青森だったかな?の方なんですけど、この間テレビで

見たんですよ。

彼女は、20歳の頃にだったかな?

勤めの帰りに光を見て、それから普通の人には見えないモノが見えるようになちゃって、

霊視っていうんですか?そういうことをするようになったんだそうです。

それで、今から20年位前だったと思うんだけど、東部動物公園の開園かなんかで巨大

ニシキヘビが公園から逃げ出して、大騒ぎになった時に、どうしても分からなかったニシ

キヘビの居場所をっていうか、見つかる場所や時間まで言い当てたもんで、一躍有名にな

った人だったんですね。

私もその話や映像に覚えがありましたんですよ。

だって、すごく興味があったし面白いと思ったことが記憶にあったんです。

 で、今回のテレビもスゴク興味深く見たんですけど、彼女が言っていたことで納得して

そーだと思ったことと、ちょっとチガーんじゃねえの、って思ったことがあったんですよ。

 

 先ず、そーだと思ったのは、人が生きて行く上で大切なのは「気付き」だっていうこと。

私も全く同意見、何にしても気が付くってことが、始まりの第一歩だと思うんですよ。

更に、気が付いたならば次の生き方が見えてくる教えがあるって気がするんですね。

 

そして、チガーんじゃねえの?と思ったことは、

彼女が、「気付かせて、教えて“あげられ”なかった」って言ったこと、それと、

「皆さんも、もっと早く気付けば良かったと思ったことがあったでしょう」と言ったこと。

 それがどうしてチガーんだか、分っかるかなぁ。

気づくのは自分、その人本人であって、誰かが気付かせてあげるんではない。し、

気付きの時は、神様が決めるんだと思うんですよ。

よく期が熟すって言うじゃないですか?

何でもその時が来なければ分からないことってありますよねぇ。

っていうより、何事にもその時期ってのがあって、本人にもその受け皿っていうか、

理解可能な受け止める体力が出来た時に“気付き”ってのはあるんだと思うんですよ。

 前に聞いた話だけど、記憶喪失の人には、記憶をなくしている必要があってのことだか

ら、記憶がないことはその本人の意思でもあるんだそうで、無理になくしている記憶を

こじ開けるような真似をすると、その事実を受け止めきれないで気が狂ちゃったりするこ

とがあるって聞いたんですよ。怖い話しですよねぇ。

 

 私、嫌いな言葉に「もっと早く気が付けばよかったのに」ってのがあるんです。

気が付かないでいる時には、気が付かない常態でその時に経験しなければならないことが

あるんじゃないかと、私は思うんですよ。

 最初から気付いているなら、生まれてくる必要がないっていうか、生まれてきてはいな

い気がするんですよ。

 

以前に生きることに苦悩している人と会ったことがあって、って言っても苦悩していな

い人は居ないと思うんだけどね。

大分遠方の人だったんだけど、何回も通って来ていたんですよ。

 そのうちその人が、キリストの教えに出逢って気持ちが楽になったって言ってきたんで

すよ。

「良かったねぇ」って言って、話していたら

「教会に行こうって誘ってくれたのが、娘なのよ」ってその人が言ったんですよ。

それで、「娘さんも安心したでしょう?」って言ったら

「うん、でも「だから前から一緒に教会に行こうって言ってたのに、いうこときかないか

らもっと早く行けばよかったのよ!」って娘が怒るのよ」って彼女が言ったんですよ。

それ聞いて私、

「じゃあ、その娘さんに言ってくれる?

お母さんは教会に行くべき時期がきて、教会に行ってキリストを知って助けられたんだと

思うよ。って、

辛い時期があって自分には何を欲しているかを知ることが出来て、それからキリストに

出逢うことでより深くキリストを知ったのかもしれない。って

そして、“もっと早く”でなくて、“今、教会に行けて良かったね”って言って欲しいな

って、娘さんに伝えて欲しい」ってその人に言ったんですよ。

そしたら、「そうなの、その通りなの。娘が私を心配してくれたのも歯がゆく思ってくれ

ることも、すごく有り難いんだけど、そうなのよ」って、その人は言ったんですよ。

 

 そこで、もっと言うならば、彼女の根本にある総てに於いて、〜してくれたとか、やっ

てあげられないっていう、彼女中心の考えではなくて、娘はただ娘の気持ちで彼女を心配

していたのであって、歯がゆく思ったのであるということに気付いて、彼女のために総て

のことがあるという思行回路から開放されたら彼女苦しみは治まるのではないかと、思っ

たんですね。

 

 でもまあ、階段は一歩ずつ自分の足で、自分のペースで登っていくべきだし、それしか

ないんだと思うんですよ。

 

木村の神様が、優しい人だってのは感じたんですけど、彼女が教えてあげられなかった

と言ったのは、自分が上に居て言っていることじゃないかと思うんですよ。

それは、ただ伝えられなかった、伝わらなかったということであって、教えてあげられ

なかった、っていうのは、同じ人間としての言葉ではないんじゃないかな?と思ったんで

すよ。

 そう言うと必ず、細かいことで上げ足を取るって言われるんですけど、地位や名声、能

力とか、そこにどんなに差があったとしても生きている人間に上下はないんじゃないかと、

私、思うんですよ。

 それに、何故そこんとこに、やけに拘(こだわ)るかっていうとですね。

以前の自分が、そうだったからなんですよ。

 それが、自分の優しさで責任だと思い込んでいて、2001年につぶされたっていうか、

自分でつぶれた気がするんです。

 それから、自分は自分の信じることを、見返りや結果を求めず、心を込めて、誠心誠意

行うだけで、それだけでいいんだと思うようになったんですよ。

 

 あっ、今日、前に飼っていた犬の話になって気が付いたら、今日がその命日だったんで

すよぉ。

4月24日、チョッチ疲れていたんですが、これを書きたくて頑張りましたー。

あんまし面白くなかったけど、本日もお付き合いしていただいた方、アリガトやんした。

 

♪まいごの、まいごの子猫ちゃん、あなたのオウチは何処ですか?

犬のオマワリサン、困ってしまって、ワンワン、ワワン、ワンワン、ワワン♪