金の卵

 

「麻子さんよぉ、俺らの頃は、中卒は金の卵って言われたんだよなぁ」

「あー、言ったよねぇ。

そんでもって、上野駅に働きに出て行く映像が流れたりしてたねぇ」

「そうだよ、俺も金の卵だったんだぞ」

「だよね、今は金というより鉛だけどね」

「鉛ってこたぁねえべ。イブシ銀って言ってくれよ」

 

 タケちゃんこと猛は、団塊の世代だ。

因みに団塊の世代っていうのは、終戦の後にベビーブームで出産ラッシュがあった。

その時に生まれた、1947年(昭和22年)から49年(昭和25年)生まれの人達

のことでタケちゃんは、昭和23年生まれ。

 タケちゃんは、幼くして両親を亡くし、年の離れた姉夫婦の家で育てられたが、東北の

山奥で暮らしが貧しい上にいくら姉弟といっても両親でない家で暮らすことはキツイ。

 タケちゃんは、姉の家は住み辛かったらしいが、近所の悪餓鬼の先輩に可愛がられ

友達にイジメられたことは一度もなく、学校が一番の楽しみだったという。

 但し、悪餓鬼は先生の評判が悪く、その悪餓鬼に可愛がられていたタケちゃんは、

何もしていないのに先生に白い目で見られていたんだという。

 まあ、タケちゃんは太い身体におにぎりみたいな顔で、そのおにぎりも笑っている時は

可愛いんだが、笑っていないでそのままだと怒ったような怖い顔つきなのだ。

 それを言うとタケちゃんは

「おかしくもねぇのに、何時も笑っているワケにはいかねえべ」と言った。

 

  団塊の世代の彼が、金の卵になったのは、1960年のことだ。

中学を卒業して半分以上の人が、就職した。

「あの頃はよかったなぁ。

中卒なんか当たり前で、俺らの東北の学校なんて上の学校に行く子供の方が珍しかった

くらいで、だから、中卒が恥ずかしいなんてことは、なかったもんなぁ」

 タケちゃんは住み込みで和菓子職人の工場に入った。

「工場って言っても、平屋の小屋みてえな建物で最初見た時はビックラしたよ。

で、何で和菓子職人を選んだかっていうと、ほれ、作ってりゃ食べられると思ったべ。

それに、和菓子作るような人は優しいと思ったんだ。

でも、いやいや、職人は厳しい。キツイ人が多い」とタケちゃんは首を横に振った。

 そして、卒業を控えて就職が決まった時、ある先生がタケちゃんに言ってきた。

「タケ、お前はロクなもんじゃねえから、就職しても1年と持たねえ。

先生は断言する。賭けてもいいくらいだ」

 それを言われたタケちゃんは、本気で腹が立ち怒った。

そして、絶対に頑張ってやる!と心に誓ったんだという。

 そして、和菓子職人の仕事に就いたが、最初は怒られたりどつかれたり、本当に辛くて

悪餓鬼の先輩が、

「そんなに辛かったら違う仕事、紹介してやっか?」と言ってくれたりしたが、

「いや、もうちっと頑張ってみる」と“もうちっと”が、半年になり一年になり

今年60歳の還暦を迎える今も続いているんだからスゴイ!

 その話を聞いて、

「その先生はタケちゃんが頑張るようにそう言ってくれたんじゃないの?」と私が言うと

「そんなんじゃねえ。

失礼で、貧乏人を馬鹿にするような、金持ちの坊ちゃん譲ちゃんをヒイキするような

先生だった」とタケちゃんは言い、

「でも、それだから良かったんだ。

その先生は、俺が仕事が勤まんねえで逃げたって聞いたら喜ぶと思ったから、

絶対に喜ばしちゃなんねえと思って頑張れたんだから」

「そおかぁ、でもその先生こそロクなもんじゃねえね」

「あぁ、でも世間は分かんねえで、立派な先生で通ってるんだ」

「弱いもんイジメの見栄っぱりだって、バレてないんだ」と、私が言うと、

「そうだよ。人によって出す顔が違う人間だってことにミンナ気が付かないんだ。

世の中でいい人だ、偉い人だって言われてたって、裏に回って見たら家族泣かせてたり

弱いもんイジメしてたり、キッタネェ手を使ってたりするヤツがいるんだ。

俺なんか、人間の裏の顔ばっか見て生きてきたから、逆に幸せな気もすんだ。

本当にいい人も分かったし、そういう人に助けらてここまでこれたし」とタケちゃんは

言った。

損得で動くような人は、俺みたいな人間を助けたりしないから、本当に良い人と

出合えたんだという。

 

 タケちゃんは、そこで何があったのか姉の家の話を一切しない。

そして、中学に上がる頃からは、叔父さんの家に厄介になったらしい。

金の卵で就職し、住み込みで働くようになって、夏のお盆に薮入り(やぶいり)で暇が

貰えてみんなが実家に里帰りした時は、

「俺もイッチョマエに、自分で作ったお菓子持って叔父さんのトコに持って行ったんだ」

と言う。

「俺は、世話になった人には、絶対に義理を欠かさない男なんだ。

でも、あんときは辛かったなぁ」とタケちゃんは、遠い目になった。

「盆暮れには、何か持っての挨拶は欠かさないようにしてたんだけど、

叔父さんが亡くなったって聞いた時は一番に駆けつけて、何かの役に立とうと思ったら

俺の座る席がねえのよ。

叔父さんとこの子供らは、俺が居た頃はまだちっさくて、俺のことなんて分かんねえべ。

『この人誰?』って目で見んのよ。

そのうち雪が降り出して、叔母さんに『あんたの寝る布団、ないよ』って言われたんだ。

俺、菓子折りだけ置いて最終電車に乗ったのよ。

いくら辛くても泣いたことなかったけど、あん時だけは涙が出たね。

叔父さんは優しい人だったんだけど、やっぱ家族でないとダメだね。居場所はないんだわ」

 

 タケちゃんは、家族を大事にする。

自分の家族に対しては、自分が嫌っていたクセに大分エコヒイキで過保護だ。

 でも、今でも叔父さんのお墓参りは欠かさない。