子どもの階段

 子連れの客を嫌がる店は多い。

それは何故か、子どもを野放しで何をしても注意しない親が多いからだ。

親が注意しないのだったら、みんなで注意して何をしてはいけないのか教えたらいいと

私は思う。

 私は、思うことは実践する人間だ。

嫌だなぁと思う、感じることは、人が今より良くなる階段なのだと思っている。

 

子どもが、店の商品を触っていた。

子どもが商品を触っても注意しない親は多い。壊しても平気だったりする。

「商品は触らないで見て下さいね」と、私が言うと気分を害し怒って帰る人もいる。

ある時、「壊れ物ですから、子どもさんに持たせないで下さい」と親に言ったところ

「子どもの手の届く所には、置かないでください!」と言った親がいる。

同じセリフを、二人の幼児にアクセサリーで遊ばせていた30代の父親に言ったところ

「こんな店に二度と来るか!」「そんなに触れるのが嫌なら出しとくな!」

「何処にそんなことが書いてあるんだ!」「嫌がらせしてやるぞ!」と怒鳴って帰った。

店のあちこちに“子どもさんは、商品を持たないようお願いしています”と絵に描いて

貼ってある。

それを言うと

「オレは分からなかった。もっと大きく書いとけ!」と父親は怒鳴った。

自分が中心で、自分が分からないのは周りが悪いという思考回路なのだ。

子が(子に限らない)、他人の物を弄り回してはいけないということを教える立場の大人

が、その基本である自分と他人のものの区別がつかない生き方をしているのだから、

本人が教えられるべき人であって、子どもに教えるどころの話ではなかったようだ。

 

 商品を手に持って歩く子の前に座りこんで

「ほら、これ見て!ここにー、子どもさんは、お店のモノは持たないで下さいね。って

書いてあるんだよ。ほらウサギさんがお願いしてるでしょう。ねっ、お母さん」と

最後に母親に同意を求めたことがあった。

すると、「ふっ、子どもは字が読めませんよ!」と吐き捨てるようにその母親は言った。

(だーかーらー、あんたが教えるんだろうがよー)と言う言葉を、私は飲み込んだ。

 

最近、朝一番から子連れの団体が来るようになった。

幼稚園のお迎え前に下の子を連れて買い物がてら、親同士つるんで店で遊んでいくようだ。

いいことだと思う。食べ物屋だと食べたくないものまで食べてしまう。

店屋ならば、誰かが何か買えば自分が買わなくても肩身が狭くない。

おしゃべりも出来るが、商品を見るという距離間が、人間関係の負担を減らす。

そして、楽しさを共有することは、子育てで孤独になりがちな母親を癒す。

 

その日も、子連れの団体がやって来た。

親も嬉しそうだが、子どもも楽しそうだ。

母親たちは、自分たちの話に夢中だ。

一人の子どもが、ドアから外に出そうになる。

 親が目を離している子ども達は、店の商品を手に手に持っている。

店員が慌てて外に出ようとする子どもの行く手を塞ぎ、商品を心配している。

 そこで、私の出番だ。

「あー、ボクとあたしたち、ココに来てください」と子どもの間に座り込む。

(えっ)、とちょっと怪訝な顔つきの親子たち。

「あのねぇ、ここの店の前の道路でウチのワンちゃん、自転車にひかれたことがあるんだ

よぉ」と言うと、(なに言ってるの?)という顔で親の方を振り返る子ども達。

「ワンちゃんひかれたんだって、ジテンシャに」と、親が子どもに説明する。

「命は大丈夫だったんだけど、チが出てキャンキャンッ言って、病院に行って大変だった

んだよぉー」と私が言うと、

「ふーん」と子ども達と親の関心が、集まるのを感じる。

「あの大きいほうの道路じゃないよ。この前の歩道でひかれたんだよ。

ここの歩道はね。大きい、広いでしょ。だから、自転車も走っていい歩道なんだよ。

だからね、お店からポンって外に出ると自転車が走ってくるかもしれないの。

 はい、ここで二つお願いがあります。聞いてくれますか?」

親の顔を振り返りながらも子どもたちは、熱心に話しを聞く。

「一つは、お店から外に出ない。出来ますか?」

「はーい」おマセさんが率先して手を上げたりする。

「あと、もう一つは、お店のモノは触らないで見てください」と言うと、

「なんでー」と言う子もいる。

「あのねー、お店のモノっていうのは、だれのモノでもないんだよ。

お金を出して買った人のものになるやつなの。

ほら、今僕が持ってる金魚ちゃんなんか、買った人、小さい子なんかが舐めたりするかも

しれないでしょ?

それを、みんなが触ったら汚いでしょ。

自分のモノはいいけど、人のモノは勝手に触っちゃいけなんだよ。分かった?」

「うん」とその子は、頷いた。

 その途端、「うんじゃない!はい、でしょ!?」と母親が言った。

子どもは母親を振り返り、母親に向って「はい」と言った。

「はい分かりました。でしょ!?」という親も居たりする。

その瞬間、私は、子どもの中に生まれた理解と納得が消えるのを感じる。

 

子どもが成長の階段を登る。

そこに一歩足を掛けて、しっかりと立たないうちに追い立てないで欲しい。

親は、大人は、待って下さい。

待ってあげてじゃないんですよ、自分の我慢と努力で待つんです。

誰でもゆっくり大きくなっていったらいいじゃないか。

何をそんなに焦って、苛立って、不安を感じているんですか?

そのクセ教えなければならないことからは逃げてたりしませんか?

怒ると、叱ると嫌われるからと…。

 

 このところ知人の世話で病院に行くことが続いている。

3日前に行った時のことだ。

 知人の病室に行き必要なものを調達するために病室を出た。

廊下を歩いていると、ステンレスの配膳台があった。

床から少し上がった台にツインタワーのように棚が設けられた、病人の食事を乗せるアレ

だ。

 その横に座り込む女の人が居た。

そして、配膳台の上に、その棚の間に乗っている子どもが見えた。

女の人と子どもはキャッキャと喜んでカクレンボをしているようだった。

子どもは、上履きのような靴を穿いていた。

私は思わず「これは、配膳台ではないんですか?」と聞いた。

「はい、そうですよ」とニコヤカに母親は答えた。

「ここに、乗っていいんですか?!」と言うと

「ほーら、言われちゃったー」と子どもに向って母親は言った。

「言われちゃったじゃない。すぐに降りなさい」と言って私は振り返らずにエレベーター

に向った。

 その後、待合室のような所で子どもを遊ばせる母親が居た。

用足しのためその前を行ったり来たりする私を、その母親は気にしているようだった。

 

 病院の院内感染の第一の要因は床だと聞いたことがある。

その病院は、土足だ。

今日も今から病院に行く。あんまり私を怒らせないでくれよなぁー。

つっても、呆れちゃって、怒る気力もないか…。