子共時代

 

 掲示板で書いたが、この所背中が痛くなっていたが、ついに動けなくなった。

その日(5月3日)来る筈だった孫も来ないことになった。

 息をするのも苦しい状態で、布団に横になったりマッサージ機に背中を固定して座っ

たりして時の経つのを待つ。

 時間の経過と共に、自然治癒とか自身の修復作業が進むと私は信じている。

現にどんな傷だって薬や包帯なしでも、清潔にさえ気を付ければ勝手に修復回復が進む

ということを体験してきた。

 だから、私は、基本薬は使わない主義。(つっても、時と場合にもよるけどね)

 

 それにしても、今回の背中の痛みは酷かった。

それは通称ケンビキとか“ケンピキが下がる”という、一部地域の田舎のジイサンがそう

呼ぶものなのだが、ケンピキと言って分かる人は殆どいない。

 まぁ、言ってみたら働き過ぎ動き過ぎによる疲労骨折ならぬ疲労筋肉損傷ってとこか。

息もできない背中の痛みは、咳も咳払いも出来ずくしゃみなんぞした位なら雷に打たれた

ようにうずくまってしまう痛みが肩甲骨の下を刺し貫く。

 そして、その頃は肩から背中に掛けてベッタリと膏薬でも張り付いたかのような感覚と

色んな場所に痺れが出てきていた。

 

 最近の忙しさは、面白いものがあった。

先ず、倉庫に眠っていた在庫品を引き取ってくれないかという話があって格安で入手

計60箱以上が届きその仕分け値段付けをすることになった。

 何も誰かに頼めばいいだろう。と思われる方も居るだろうが、昔からやって来るこう

いった処分品という物の扱いには礼儀と気迫が必要で、敬意を払いながら、それらに呑

まれてはならない。のだが、それが出来る人は少ない。 

次にウッカリ鉄棒で逆上がりをしてしまった。案外簡単に出来て、そこでもう一回転

しようかと思った程だった。がぁ、57歳の暫らく使っていない筋肉には密かなダメージ

があったとみえる。

そして、早朝の左手での草引き。

普段と違う運動をすると良いという話を聞いていて、後ろ歩きをしたり普段右手で鍋を

取ったりしているのだが、そうだ!草引きも左手でしてみようと思い立ち、日中は忙しく

て出来ない草引きを早朝左手で行った。これも、ダメージとなったんじゃなかろか。

 あと、ぶら下がり健康機が欲しいとずっと言い続けてきたのだが、それを台所の入口に

作ってもらった。これが嬉しくてぶら下がっていたが、やっぱ、やり過ぎはダメだね。

 

 身体が動かなくなって、やっと休む決心をした、って“休む”しか選択肢がなくなって

それでも欲深いワシは、こういう時を利用して読みたくて読めないでいる本を読んだり

溜まっているビデオを観よう。なんて考えるんだな。

今読みたくているのが「幼児の世界」楠山三香男著。

短大生が幼児時代の記憶を語ったものをまとめているもので、短大生だから親や大人に

なる前で、子共の頃の記憶からその時の気持ちまでもがリアルに甦(よみがえ)っている。

読み出したらチョー面白れぇ。だけど、本を持っていることもキツイ。

仕方なくビデオを見る。

 大好き、カリスマドックトレーナー、「シーザー、犬の躾教えます」を観ながら、

ワシの中のやりたいことの何かが固まってくるのを感じる。

 何時もはメモを取りながら観るのだが、頭の中でまとめながら観る。

 

 そして、ちょっと一休みでチャンネルを回すと、丁度、視点論点が始まる所だった。

題名は「私の子供時代」柳美里氏だった。

 彼女の「生と死」を読んで作家というのはここまで全て(自分や関わった人)に対して

冷静で熱いのかと思った。そこには残酷な真剣さを感じた。

 その彼女が、韓国人の親を持ち、父はパチンコの釘師、母は夜の商売で、幼い二人の

弟の面倒を見ながら、学校では先生も共犯のイジメと差別に合った。

学校での苦しみを親は知らず、家での苦しみは学校は知らなかった。

本と長い髪で顔を隠し本だけに逃げ場を求めた子供時代。

 無表情に語る彼女に、彼女の原点が見えた気がした。

 

 テレビがひと段落して、やっぱシップ位は貼ってもいいかな。と思い立ったワシは

階下にある店にシップを手にそろそろと降りて行った。

 レジにお客が居た。そこで対応していた塚石に、

「あのぉ、それ終わったらコレ貼ってくれる?」と声を掛けた。

「やだー、麻子さん。麻子さんじゃないみたい。アハハ」と塚石がやけに元気に見える。

 レジで待つお客の隣で待っていると、

「大丈夫ぅ」とお客が話し掛けてきた。

「ええ、ちょっと背中の筋肉がねじれたみたいで」

「ここかな?」と、その人はワッシの背中に手を当てた。

ふくよかな人で、その手もふっくらとしていて暖かい。

「そーそー、そこから下に掛けて」

 すると、彼女は指圧するんでも揉むのでもない感じで摩(さす)り始めた。

それが、じんわりと温めたオイルが入っていくみたいに気持ちいい。

「なんだこれ、気持ちいいー。

上手って言ったらなんですけど、何だかイイ感じ」

「あぁー」と思わず声を洩らしながら品物がラッピングされている間サスサスしてもらう。

「あのぉ、失礼ですけど、何のお仕事してる人ですか?」

「治療院やってるの」

「あー、通りで、何処でやってるんですか?」

「教えてあーげない」

「なんでぇ」

「だって忙しくなったらイヤだもん。

自分のペースでやりたいのよ。それに、あなた、朝早なんて言ったって来ないでしょ」

「はい、そうです」

「こういう仕事は欲張らないで縁があった人とやっていけばいいの」

「あー、なるほどねぇ」

 間もなくラッピングが済み

「残念でした、終わりでーす」とその人は帰って行った。

 

 気が付くと、あの痛みが殆ど消えていた。

 

 ワシは普通は手に入らない物を貰う事が多い。そこで、物と一緒に何かを背負う。

今回の背中にそれを感じる。

 そして、動けなくなった時に思った感じたことがあった。

それはこじつけかもしれない。でも、感じたことが固まってきた。

犬のカリスマトレーナー、シーザーの犬に対する気持ちとそれがリンクする。

 

 私が書きものをする。と物心ついた時は思っていた。

そうなりたい。ではなくてなるんだ。と思っていた。それは当たり前の確信だった。

 弱きモノの代弁者になる。のも、この世の不公平や不合理を追及するのも、したい。

んじゃなくて、すっぺ。だ。

 

 というワケで、シーザーの犬のしつけ教えます。ならぬ、子供のしつけ教えます。

が始まりまーす。

 どーぞ、お楽しみに〜。

 

 追加、あのマッサージ師はヒーラーで、何かをオサメテくれたんじゃなかろか。

あれから何かがスッキリしちゃって、何かがクリアーなんですけど。