肥溜め(コエダメ)

 今年、55歳になった塚石が小学校に上がる前のことだから、50年も前の話になる。

 

塚石の育った故郷は、尾張一宮の、天下の濃尾(のうび)平野が広がる、空の続く郷で

あった。

秋の青い空が高くなった日、幼い塚石は母親と兄達の畑仕事についてきていた。

 

延々と続く畑の向こうに蒼く見えるのは冬になると伊吹オロシを吹かせる伊吹山だった。

そこから続く山並みの先には、岐阜県の金華山、あの斉藤ドウザンで有名な金華山が

見えた。

 道路の向こうには、神社があり、大きな木がこんもりと社(やしろ)を包んでいた。

 

 一日中、母親と兄達は畑を耕し収穫し草をむしった。

まだ明るい夕方、畑で遊ぶのにも飽きてきた様子の塚石に向かって

「もう、おみゃーは、先に帰っとりゃー」と、母親が声を掛けた。

疲れて早く帰りたくていた塚石は、

「ウン!」と、一人で帰るのは、ちょっと淋しい気もしたが、ホッとして

ちょんちょんとスキップしながら、畑の中の道を家の方に向かった。

 暫く行くと、足が宙に舞い、タップ…。と、腰まで肥溜めに落ちた。

最初は何が起きたか分からなかった。

「エッ!」と思ったが、自分は丸い肥溜めの中だった。

そこは、重たい泥の中で思うように足を動かすことさえ出来ないところだった。

幼い塚石には、自力ではどうすることも出来ない。

 どうしようかと考えたが、どうしようもない。

「オーイ、オーイ!」と叫んでいると、間もなく母親と兄達がやって来た。

「おみゃー、なにやっとるんやぁ」

「げっ、クサアッ!」と言いながら兄と母親が、塚石を肥溜めから抜き、引っ張り出した。

それから、近くの小川に連れて行かれ、そこで洗われた。

幼い頃の記憶が少ないと自ら思う塚石だが、小川で洗われた川の中に、大きな犬のフン

を見つけたことはリアルに覚えているという。

 あー、自分はこのフンイッパイの中に入ったのかと思って見た、そのニョロリとした

黄土色のフンは、今でも塚石の目に焼きついているのだ。

その頃は、庭先にタライに水を汲んでおいた日向で温まった水を風呂に入れた。

それを、茨城では、小屋の上にトタン大きな箱を作り水を温め風呂に入れ太陽熱などと

言ったが、その地方では天水(てんすい)と言った。

家に着いた塚石は、天水でまた洗われた。

兄達は、「おみゃーは、クサァで、風呂は最後に入りゃーよ」と言って最初に風呂には入れ

てもらえなかった。

 洗っても洗っても、暫く臭かった覚えがあるという。

 

4人の兄達の下に、すぐ上の兄とも6歳離れて、母親が40を過ぎてから初めての

女の子として塚石は生まれた。

兄たちが厳しく育てられ悪さをすると庭の木に縛り付けられたり、叩かれたりしたと

聞いたが、塚石は何をしても大して怒られることもなく育った。

甘やかされて育った塚石は、幼稚園に入っても集団生活に馴染めず行くのを嫌がった。

「そんなことでは、学校にいけんよぉ」と何とか皆で幼稚園に行かせようとするのだが、

嫌がって逃げ回り、兄の一人がバイクの後ろに乗せて幼稚園に送って行ったりした。

 バイクから降ろして兄が帰ろうとすると、「イヤダー、イヤダー」とその足にしがみ付

いてはなれず、先生は塚石を足から引っぺがし、兄は塚石を幼稚園に置いて帰って行った。

 どうしてもはなれない時は、またバイクに乗せて連れ帰ることもあった。

 

 学校に入ってからは、何とか登校するようになったが、中々勉強がついていかない。

塚石の父親が他界したのは、塚石が4、5歳の時だからその頃はもう居なかったのだろ

うか。

 夜になって、塚石が眠ったと思った母親と父親代わりだった長兄が、

「困ったもんやなぁ、あの子は奥智慧(おくぢえ)やから、しょーがなあなぁ」と話す

のを、塚石はふすま越しに聞いた。

 あー、私は奥知恵なんだぁ、じゃあ後で利口になるんだな、とその時に塚石は思った

という。

 

 実は私も、色々と仕出かしては、父が「今に良くなるよ、きっと直るよ」と言った

言葉を自分はこれから良くなるんだ、と大変に希望を持って聞いていた。

 私は、智慧遅れとか奥智慧といった言葉が好きだと以前にも書いた。

遅れや奥にあるモノは、これから現れ、伸びていくという希望と楽しみがある。

 障害という言葉が冷たく感じるのは、私だけだろうか…。

 

 どーよ、この肥溜めにツッパイッタ話。

あの頃は、肥溜めは至る所にあったんだよねぇ。

 丸いツボみたいなヤツや、四角い木で囲われたヤツ、それに屋根が付いてるのなんかも

あったっけ。

 肥溜めって気持ち悪いんだけど、ミョーに興味があって横を通るとこっそり覗いて見た

ことを思い出す。

何処の便所も汲み取り式だったし、便所にツッパイッタ話なんか山ほどあった。

それに、自分のウンコがチョー臭いってことを実感すると、気取るのが恥ずかしい

気がしたし、今も気取るのとカッコつけることが、私は恥ずかしい。

 そして、調子込んでるヤツや、気取ってるヤツを見ると、イッペン自分のウンコと

対話してみろ!って思ちゃうんだよなぁ。

     そして、気取らずに、でも毅然としていたいと思うんだよなぁー。私。