小宮山 量平

 

 “そーそー友達”ってのが居る。

古い友人で滅多に会わないのだが、久しぶりに会った瞬間、毎日会って話しているかの

ように「そーそー、そうなの」を連呼することになる。

「このそーそーって共感出来る人って、中々居ないねぇ」と、ツーてばカー、ってんで

すか、その人を“そーそー友達”と呼ぶようになった。

 

 先日は、ボランティアとか、何かの集団活動をしている人の話になった。

私は、どうにも不特定多数の人が集まる所というのが苦手で、そういうトコで活動して

いても人間嫌いにもならずにいる彼女を尊敬している。

 彼女は、ボランティア活動に長く従事しているが、出しゃばりでなく、

手柄を欲しがったり支配を感じることがない。

 

「こういうことは言っても分からない人が多いと思うんだけど、ボランティアでも

遊びでも、先ずは家定のことをシッカリやってからじゃないのかな」と、

最近そういう事に疑問を感じていた私が言うと、

「そー、そー、私も、それはずっと思ってきてる」

「家だけを大事にして余所はどうでもいい人も嫌だけど、家庭を放って余所にばっかり

いい顔する人もいるでしょ。でも、先ずは家庭を大事にしないとね」

「うん、だって誰も家庭があってその上でのコトなんだから、

家庭がない人も居るだろうけど、家庭を持っていたら、先ずはやるべきことをきちんと

やって、それからだと私は思うわ。

私は夫が厳しい人だってこともあるけど、だからじゃなくて、基本になることは手抜き

しないでやってきたつもりよ」

 彼女が、家庭を大事にしてきたことを私は知っている。

そして、だから彼女のしてきたことがステキなんだと思う。

 私は、普通の人間(天才は別かも)が、気持よく生きる基本は、整理整頓、清潔、

自己管理だと思っている。

「不思議なことに自分を管理出来ない人程、他人のことに口を出す気がする」と言うと、

「そーそー、私もそう思う」と彼女。

「あと、こっちから見て『もう少しガンバレよー』と思う人程

『こんなにガンバッテいるのに報われない』みたいなこと言うんだよね」

「そーそー、そのトーリ」

 彼女は、秘密が守れる。口が堅い。言って良いことと悪いことの区別が付く。

そして、その時あった事(事実)の話しはするが、あまり愚痴をこぼさない。

そんな彼女に会った途端、私は不平不満を話し出す。

甘えていると我ながら思うのだが、思い切りぶちまけてみたい気持ちになる。

 彼女は大きい人だと思う。だって、とんでもない人が集まっている所で誰も排除せず

嫌気もささずに頑張っているんだから。

 何がとんでもないかというと、自分のやっていることは棚に上げて、評論家みたいに

偉そうに語る人が多い。(えっ、私もだって?)

 語る前に行え。が、私の信条だ(一応)

家庭を大事にして、やるべきことをやって、人の領域に立ち入らない。

自分の頭で考え、自分の責任に於いて行う。

 

 私はメダカを飼って16,7年になるが、飼えば飼う程“子育て”と似ていると思う。

手抜きせず環境を整え、整えたら手出しせず水が出来上がるのを待ち、メダカ自身の力で

育っていくのを“手出し”せずに見守るのだ。

 子供も同じで、清潔な寝床、手作りの食事、規則正しい生活、居心地の良い環境を

整え基本の躾をしたら、もう一々口出しせず自分の力で出来上がっていくのを見守る。

「なのに、ウチの中はゴチャゴチャ、ご飯は作らない、布団は干さない、夫婦の仲は悪い

会話はない。なのに子供のやることなすこと口出し手出しで高望みだったりするんだよね。

前に非行に走った子供を戻す方法って本を読んだことがあるんだけど何だと思う?」

「何だろう、やっぱり愛情かな」

「うん、まぁ、愛情なんだろうけど、それを具体的に行うってこと。

食べなくても三度のご飯を用意することと、よく干された気持の良い布団、笑顔と会話

会話は一人だけで喋るんじゃなくて言葉のキャッチボールになること。

そのためには、先ず聞くこと、説教しないこと。だって」

 親鸞聖人は「人は間違う生き物だから、間違ってもいいんだよ」と言っているが、

「最初から間違ってもいいと思ってやっても良いわけじゃない」と歎異抄で嘆く。

 「心が基本で一番大事だ」と言うが、

『心さえあれば努力しなくてもいい』などとは言ってはいない。

 何でも都合よく解釈出来るが、それを行ったのがオーム真理教だった気がするし、

相田みつお氏の言葉なんて、いくらでも都合よく解釈できる。

 

 そんな話をした1週間後、小宮山氏がNHKの“こころの時代”に出ていた。

「童心ひとすじに」という題名だったが、私は最初から最後まで彼の話に

「そー、そうー、そうなんだよー」と相槌を打っていた。

95歳になる小宮山氏は、すべて何でもいいとか悪いの評価、評論する時代になった

ことで人が希望を持てなくなったという。

 日本人が、日本語を守り、日本語で考えることの出来なくなってきている。という。

それは、自分で調べて自分の頭で考えていくことをしなくなって、俺が俺がの体質になり

自由の履き違えと自己主張ばかりの世の中になり分裂していっているのだという。

 

 彼は、何かに接する何かを見るということは、観察するということであって評価では

なく解剖して調べていく、じっくりと観察して、そこにある事実をどれだけ正しく、

深く知っていくかが必要なことであって、それから初めて理解へと進む。

それを最初から良いとか悪いで評価をしていたのでは前に進むことが出来ない。

ここに、こういう事実がある。それはどうしてそうなったのだろう。

その奥には何が隠されているのだろう。それを少しでも解明することで、それだったら

これからどうしたらいいのか、どうやっていくのがいいのか。という対策になっていく。

それは、そのものが何を望んでいるのかを聞きとるということで、それこそが、“理論”

で、人には理論こそが必要だと戦後間もない1947年“理論社”を創設する。

 理論社は“つづり方兄妹”を作る。

この本は、私のバイブルとなる。

 小宮山氏は、灰谷健次郎氏と出会い“せんせいけらいになれ”を出版するが、その後

灰谷氏の行方が分からなくなり、16年後に“兎の眼”をひっ提げて現れる。

 

 「大人が子供を導く」から「子供から大人が学ぶ」ことを訴え続けた灰谷健次郎。

2006年11月23日、永眠。

 

 子供を支配していうことをきいていれば安心なんじゃなくて、子供を先生として

もっと子供に向き合って、びっくりして、驚いて、脅かされて、何かに目覚めていく。

それが大事なんだ。

 

 戦後走り続けてきた日本、進み続ける走り続けるんじゃなくて、ストップをかける

そして、考える時なのではないか。

 自分の足で立ち、自分の頭で考える。

これだけ走り続けてきたんだから、ストップをかけて、これでいいのか考えて。

 今、必要だと言われてやろうとしていることは、ダムでもなんでも、本当に必要なの

かな。と小宮山氏は、言った。

 そして、私の人生はこれからです。と95歳の小宮山氏は言った。

 

 まとまらないんだけど(いつものこと)自分の周りに感じていたもどかしさが、

小宮山氏の話で勇気が湧いてきた気がした。