今年の運勢

 寿玄夢式、今年の運勢を占う。

運勢とは、運気と勢力。

その年の特徴を掴んで、どう生きれば良い方向に向うのかということを占うというより

それを基に自分の生き方を考えるといった方が、私の場合はピッタリする気がする。

 占いというと、それが当たったとか、当たらなかったということの方にばかり関心が

いってしまって、そこにある教えを聞こうとしないことが、私はもどかしい。

 人の評価をするのではなく、自分の足元、生き方を振り返り鑑(かんが)みる。

鑑みるとは、手本にあわせて、現状を見て考えるということだ。

照顧却下(しょうこきゃっか)は、生き方の基本である自分の足元を、明るく照らして

自分を顧(かえり)みてごらんなさい。ということだ。

 

 人が生きて行く上で、人間の力ではどうしようもない力が働いていると古代中国の人は

気が付いた。

人が農耕によって生活の基盤を築こうとした時、季節、気候、天文がその土台にあった。

そして、そこには一定の法則があることを知る。

 それを読み解き、その法則に教えを聞き、自分の生き方の方向を決める手がかりにした。

そして出来たのが、九星術であるという。

五行の、木、火、土、金、水を基本として、一白水星、二黒土星、三碧木星、四緑木星、

五黄土星、六白金星、七赤金星、八白土星、九紫火星に生まれ年で決まる。

その年は、立春の2月4日から翌年の2月3日までで区切られ、その最終日を節を分ける、

節分と呼ぶ。

 

 今年の運勢は、生まれ年月日、その時間によって一人一人違うので、細かいことは違っ

てくる。

じゃあ、占っても仕方がないだろうということになるが、誰にでも共通して言えるのは、

今年は土の年。

土の年は、疫病が多い。

脅かすわけではないが、事実として土の年には疫病で大惨事が何度も起きている。

そこで、今年は特に清潔が重要なポイントになる。

 

水周りを清潔にする。

後で述べるが、今年は女性の年で、水周りの清潔は、女性の幸せの基本であり

女性がしっかりして幸せになることが、今年のポイントになる。

薬品など使わずとも、清潔は保てる。

特に台所は、煮沸消毒やゴシゴシ洗っても傷が付かないステンレス製の物が良く、包丁や

まな板は生物を切った後の洗いが大切になる。そして乾燥。天日干し。

トイレ、洗面所、風呂場は、こまめに洗えば特別に磨かなくても大丈夫だ。

 

雑巾掛け。

薬品を使っての掃除は、一見キレイになったように見えるが、人体に悪影響を及ぼすこと

がある。手袋をしなければ出来ない掃除は、基本的に良くない掃除だ。

 

整理整頓

整理されていない場所には、ホコリが溜まる。これは、病気の基になる。

そして、気持ちも晴々しない。病は気から、スッキリした気持ちになるには、整理整頓。

潤いがあることと、乾燥は矛盾しているようだが、交互に必要になる。

大事なのはきちんと管理されていることだ。

 

ゴミの分別

分別(ふんべつ)のある人がするゴミの分別(ぶんべつ)と私は言っている。

人間分別がなければいけない。

社会人としての基本は思いやりの前に、人に社会に迷惑を掛けない、キマリを守る。と

いうことだ。

 

 見た目ばかりを気にしての薬品を使った掃除は、水を汚し、身体を蝕む。

重曹(じゅうそう)酢など、身体に優しく水も汚さない物はいくらでもある。

雑巾掛けなんぞは、タダでキレイになり運動にもなる。

毎日の丁寧な生き方が、自分と愛する人の位置関係を正常に保ち、幸せを導くのだ。

 

因みに今年2007年は“九星術”での“丁亥二黒土星”の年にあたる。

二黒土星は、女性の星だ。

そこで考えられることは、女性が中心となって事が起きる。

女性が事件を起こし、その被害者にもなる。

女性に関わりが深い子供の事件も多くなる。

これらは、男性の星であっても男女で成り立っている社会に於いて何時も同じなのだが、

その主導権も被害も救世主も、今年は女性が脚光を浴びることになる。

 

 ここで、声を大にして言っておきたいことがある。

占いで、良くないことというのは基本的にないということだ。

「神はサイコロを振らない」とアインシュタインは言ったが、そう、サイコロを振るのは

何時だって人間なのだ。

占いとは、事実と傾向がそこに暗示されているのであって、それを良い方向に持ってい

くか、悪い方向へ持っていくかは、「人間の生き方」、やり方如何(いかん)によるという

ことだ。

 手相を見ると「私の手相良くないでしょ」と言う人が多い。

手相は、その人の特徴を表しているが、それを鑑みてそれを生かし良くなるような生き方

をすればいいだけのことなのだ。

 気の強い人は、人を追いたて孤独になることが多い。

しかし、何か事を成し遂げるがんばり、粘り強さがある。

ならば、人の気持ちを思いやる気持ちを持てばいいのだ。

 気の弱い人は、言いたいことが言えず、人に流されやすい。

しかし、自分の弱さを通して人を思いやる気持ちの優しさがあったりする。

 つまり、手相にはその人の特徴、事実と傾向が表されているというだけなのだ。

そこには、何に気を付けて生きたらいいかというアドバイスがある。

それに気が付くか、付かないかが運命の分かれ道なのだ。

 

 土の年は、今までに何もやっていない人は、我慢と種まきの年。

今まで頑張ってきた人は芽が出る年となる。

 当たり前っていえば当たり前なんだが、そんなもんだよねぇ。

土の年だから、良いことがある芽が出るなんて、種も撒いていない人間が、棚から牡丹餅

で良いことだけを望むなんざぁ片腹痛い。

 頑張ってきた人、良かったね。今年は、自分で納得がいく結果が見られる(得られると

はいっていない)年だそうだよ。

 

 ここで、嫌な話をするけど、頑張ってこなかったのに良いことがあるってのは、良くな

いことなんだよ。

ある人が、宝くじが当たった。

堅い仕事(刑事)をしていたんだが、大金を持って働く意欲をなくした。

仕事を辞め、酒、ギャンブルに走り、離婚。

そして、1年後に6畳一間のアパートで亡くなった。

変死の可能性があるということで、同僚が現場の検視に立ち会った。

 畳はタバコの焼け焦げだらけで、よく火事を起こさなかったと言っていた。

痩せて、真っ黒い顔になっていて財布には300円しか入っていなかったそうだ。

 

 ここで嬉しい話をするけど、嫌だ辛いって経験は良いことに出来る。

気分が悪いってのも大事なことで、何か不都合なことや、気が付かない振りをして誤魔化

そうと無意識に思っている何かを知らせているのかも。

人間ってのは基本的に怠け者で、何か不便があったり辛かったり困ったりしないと腰を

上げないんだなぁ。

不都合があって、辛くて困って、ようやく重い腰を上げる。

自覚症状のない病気が見過ごされて大事に至るように、そこに痛みがあったり熱が出たり

だるかったりしてそこから脱出するように頑張ることになる。

 マイナスはプラスを孕(はら)んで和へ向かって進む、希望の後押しなんだ。

 

 大金は、大金に限らず、権力(霊力、超能力)など力を持つものは、刀のようなモノだ。

使いこなすだけの心と哲学のない者にとっては、その本人自身を斬りつける凶器となる。

 

 “今年の占いのまとめ”

土である足元を固め、良い種を骨惜しみせず、出し惜しみせず撒く。

今までの結果が表れる。それに、がっかりせず、有頂天にならず、地に足付けて

出来ることを一つずつこなしていく。

柔順堅実、忠実、安静、倹約、教育がキーワード。

 

六白金星が南に入るので、お金がらみのことが明るみに出る。

それが、悪いことであるのか、良いことであるのかは、人間の生き方にかかっている。

 今まで土に隠れていたモノが、地上に顔を出す年であるそうだ。

今までのことを受け止めて、同時に良い種まきを行えば怖いものはない筈だ。

 

        あーあ、我ながら、ウルサイ人間だと思う。