酵素浴1

 

 初めて酵素浴なる所に行ったのは、2004年の早春、私の人生の

死と再生のあった2001年から3年が経っていた。

 

当時、長女夏子が習い始めていたダンスの先生がそこに行き体の状態をピタリと当て

られ、その後で健康について的確なアドバイスを受け、ひどく感心した先生が娘に勧めた。

 そこに店を出す前も酵素浴で働いていた先生だったが、何やら物凄い人が居ると評判で

その噂は私の耳にも入っていた。

そこに行った娘は、「健康体で、何の心配もない」とその先生に言われたという。

「有難うございます」と言うと

「感謝するなら、この体をくれた親に感謝しなさい。ご先祖さんに感謝しなさい。

神様に感謝しなさい。感謝するってのはどういうことだか分かるか?

自分を大事にすることだよ。

そして、これからもこの健康な体を維持出来るような生活をして、幸せになることだよ」

と言われた時、なんだか涙が出るような気持ちになったと夏子は言った。

 

 その頃私は、2001年の後遺症で精神的に参っていて生きている実感がなかった。

私の母はC型肝炎であることが分かってから、インターフェロンを2クール行った。

 それは強い薬で1クール行ってから1年休み、その次の年に1クール行った。

酷い鬱状態や体調不良の副作用があったが、乗り越えてきていた。

次女の美紀は、腸にポリープが見つかり内視鏡手術で取ったが、腹痛が続き卵巣も腫

れていることが分かっていた。

夏子は、祖母と私と妹の美樹をそこに連れていきたいと言った。

そういう訳で、夏子の案内で、私と私の母と美樹の3人が酵素浴に行くことになった。

 

 そこは、古い飲食店を改造して作られていて、酵素独特のヌカミソの発酵したような

臭いが充満していた。

靴を脱いで、入り口にあるカウンターを通り抜けると20畳ほどのホールになっていた。

周りには椅子が置かれ、これから酵素風呂に入る人や入り終わった人が座っていた。

その中央に先生(60歳)が座り、これから酵素風呂に入る人と話していた。

先生は座布団を柏(かしわ)にして尻の下に置き床に座っていた。

お客は椅子に腰掛けその素足を、あぐらをかいた先生の膝の上に乗せると、その脛の

あたりを手で触りながら話をしていた。

 

暫く待って、私たちの番がきた。

最初に、母が見てもらった。

「あー、この病気はねウツルものではないからね。

普通に暮らしていてウツルものではないから。

ここはウツル病気の人は入らせないんだよ。

それから、この肝臓はすぐには良くならないけど、すぐに悪くもならない。

だけど、黙ってここに入っていきなさい。

ただしこのまま入ったんじゃ肝臓が爆発しちゃう。

袋に水を入れてここに乗せて冷やして入るようにスタッフに言っておくから。

あー、この人がボクの母親だったら首に縄つけてでも、黙って10日続けてここに

連れてくるなぁ」と先生は言った。

 母がC型肝炎だとも肝臓の病気だとも、誰も話していなかった。

 

次に美樹が座った。

「体を痛めつけちゃったね。腸にポリープが3つ、あー4つあるね。

1つは0コンマ9あるけど、1以下のものは癌に移行しないから大丈夫だよ」

「先生、それついこの間取ったんです」と私が言うと、

「あー、これは取ったのか」と先生は言った。

美樹は仕事の途中で腹痛が起き血便が出て病院に行った。

検査した結果0コンマ9のポリープが見つかり、内視鏡手術で取ったばかりだった。

「それから右の卵巣が腫れているのはね」

先生は、“右の卵巣”と言った。その時は分からなかったが、後で病院で聞いて腫れて

いるのは右の卵巣だと知る。

「大丈夫だよ。ちゃんとした生活すれば必ず良くなるから」

「どうしたらいいんですか?」と美樹が聞いた。

「ゆっくり教えてあげるから、今日は先ずは酵素風呂に入ってきなさい」と先生は微笑ん

だ。

 

私が座ると

「あー、みんながいるから…」と先生は言いよどんだ。

お客が居るということだろうか、それとも家族が居るということだろうかと思ったが、

「あっ、何を言っても大丈夫です。うちは総てオープンな家族ですから」と言うと

ちょっと間があって

「鬱、入っちゃったね」と言った。

「先生、生きてるのが辛いんです」小さな声で言った私は、崩れ落ちそうになるものを

必死で堪えようとしていた。

「お母さんは、先ずは何も考えないで酵素風呂に入って、気持ちいいなぁとか、温かい

なぁとか、それだけ感じたらいい。

何も考えないで、感じることが大事なんだよ。

だけど、お母さんの体には何の異常もない。これは断言する。だから安心していい。

安心して、次の方法を教えるからそれをやったらいい」と、先生の癖であるらしい

親指を立てて見せ、「大丈夫だよ」と私の脛(すね)を叩いた。

 

酵素風呂の臭いはキツイが、ヌカは暖かく体を包み、汗が面白いように出た。

こんなに汗を出したのは何年振りだろうと思った。

 

最初の頃は、風呂に入る前と入った後に先生が診て話しをしてくれる。

先生は、「私は医者じゃないから個室に入っての話は違法になるんだよ。

自分の身体のことをみんなに聞かれて嫌かもしんねえけど、こういうホールじゃないと

話せないんだよ」と言った。

 しかし、先生の話は自分以外の人の話でも総てがタメになった。

興味本位で聞くことは、失礼だと思うが、先生の話は今までの自分の生き方を問い掛け

られているように感じた。

 

太った65歳位の婦人が、先生に質問していた。

「先生、糖尿で甘いもんは駄目だって病院で言われたんだけど、少しならいいですか?」

「何で私に聞くの?病院で何て言われたの?そして、自分の体は何て言ってんの?」

「調子悪いです」

「私はあんたの体じゃないんだよ。何かあって辛いのはあんたでしょ。

私が食べてもいいよって言ったらあんたは食べるの?

要するに都合のいい答えが欲しいんでしょ。

自分の欲じゃなくて、本当にどうしたらいいか、って自分に聞いたらいいでしょうよ。

そしたら、私なんかに聞かなくたって、ちゃんと答えが出るだろうよ。

それより、この間言った水、ちゃんと飲んでる?」

「あー、まあ大体」

「大体じゃないだろうよ。

言われたことちゃんとやってみな。やることもやんねえで、先生どうしたらいいですか

って聞くばっかりで、聞いただけで言うこときかねえんだよなあ。

病気ってのは、半分は自分が作ってるんだからな。

あんたが、ちゃんとやってないことは体が教えてくれてる。

『先生この人言うこときかないんですよ』ってな。

どうしたらいいんですかって言う前に、言われたこと黙ってやってみな。

やることやってそれから次に進むんだ。あんたは先ずは、やることやってねえべ」

「はい」婦人は頭をたれた。

「自分の体だ。大事にしてやりな、これだけ乱暴に扱ってそれでも文句も言わないで

逃げ出しもせずに頑張ってんだよ。

俺だったらとっくの昔に逃げ出してんね。

最初来た時からみたら数段良くなってんだよ。自分勝手なあんたを見放しもせずに

頑張って良くなってんだよ。あんたも甘いもん食べたいなんて言わずに頑張りなさいよ」

「はい、頑張ります」

「私が言ってることは、金かかんないんだから、水飲むだけなんだからやってごらんよ」

「はい、頑張ります」

「よし、はい次の方」と先生は婦人のふくらはぎを優しく叩いた。

 

男の人(70歳位)は感謝の言葉を重ねていた。

「先生、有難うございます。病院でも何でこんなによくなったんだって聞かれました。

先生に会わなかったらどうなっていたか分かりません。

本当に何てお礼を言ったらいいかわかりません」

「私に感謝するのは結構だが、私に礼言うより先にお礼言って感謝しなきゃなんない

モンがあるだろ?何だか分かるか?」

男は首をかしげた。

「家族だよ。あんたは家族に支えられて、助けられてここまでよくなってきてんだろう?

分かってんの?」

「はい」と男は頷いた。

「分かってんなら、感謝してこれから家族にワガママ言うんじゃないぞ。

よし、この前来た時よりずっと良くなってる。このまま続けていきなさい」

「はい」と男は元気に胸を張った。

 

酵素風呂から出てきた私たちは、もう一度足を出して見てもらいながら話を聞いた。

そこで、されたアドバイス。

母は、酵素浴に続けて来る事が先決。

美紀は、腸に残っている小さなポリープを流すために水を飲むこと。

そして、夜寝る前に交感神経を戻すためにお湯を湯のみ茶碗に8文目飲んで寝ること。

私は、寝る前にお湯を沸かして沸騰したものを、湯のみ茶碗にイッパイ1分以内に飲み

きる気持ちで飲む。

それとヨーグルトを笊(ザル)に入れて水を切り、豆腐のようになったヨーグルトを

3時間ごとに大きいスプーンで1杯ずつ食べる。

その水もたんぱく質だから味噌汁などに入れて飲むようにということだった。

 

私はそれを聞いたとき幸田文の「きもの」という小説を思い出した。

幸田露伴の娘の文の自叙伝であるというこの話の中で、母親が死んで文がパニックになる

場面が出てくる。

それに気が付いた祖母は、文を長火鉢の横に座らされ「命令だよ」と茶碗を持たせる。

「いいかい、これは煮え湯だよ。

やけどするから気をつけて、少しずつ、残さず飲むんだよ。

さあおあがり、さましちゃいけない、煮え湯だからこそ効くんだよ。命令だよ」

そこには少量の砂糖と丁子の実が入っていて、ほの甘く、いい匂いがした。とあった。

 

酵素浴に通っていた頃の私は、自分の中に自分がいない気がしてどうして生きたらいい

のか分からない不安で揺れていた。

沸かしたての熱い湯は、猫舌の私にとっては真剣に飲まねばならない大変なことだった。

それを1分以内というのはきつかった。

先生は、「時計ではかって、時間以内に必ず飲みなさい」と言われた。

私は、それを守った。唇の皮が剥けたが、そんなこと気にならなかった。

 

私の母は強い人である。だからこそ辛いことも捻じ伏せ逞しく生きてきたが、人の

いうことを容易には信じない。

酵素浴は臭いで拒否した。そして何でも効く人と効かない人がいて向き不向きがある。

と言って二度と酵素浴には行かなかった。

母は「アタシの友達は宗教団体に入ってて、それが心の支えで病気の不安も和らげて

くれるんだつって、アタシにもソコさ入れって勧めてくっけど、アタシは入る気は

ゼンゼンねえ。人には相性つうもんがあるんだ」と言った。