酵素浴4

 

 何故、先生は私だけに色々なことを話したんだろう。

「私は2001年におかしな状態になって、それが尾を引いてなかなか元気になれない

でいるんですけど、今のこの状態は本当に鬱なのですか?」と私は聞いた。

しかし、先生はそれについてははっきりと答えなかった。

その頃、まだ家の中でラップ音は続いていた。

2002年の夏から飼い始めた室内犬のマイロは、私が何かを感じるその場所に向か

って吠えた。その後を追いかけたりした。(今でもだけど)

 そういう話をしたのは、先生の話を聞いた後だったか前だったか。

その頃、ある店に夏子と行った。

店に近づくにつれて気持ち悪くなり、後頭部が痺れるように痛くなった。

車酔いでもしたのかと思ったが、その店から出ると痛みがなくなった。

 夏子も同じ状態になっていたことが後で分かった。

そして、そこのオーナーの兄妹が事故で亡くなったと知る。

後頭部から首を損傷して植物状態だったらしい。

 

 酵素風呂の店は繁盛し、それから間もなく別の場所に豪華な明るい店を作った。

「こんな臭いが伴う店だから隣近所がくっ付いてたんじゃ迷惑になるだろうよ」と先生は

言った。

 新しい店は東南に入り口があって、中に入ると東がカウンターになっていた。

南側はブロックガラスになっていて日当たりが良く、眩しいくらいに明るかった。

 その中央が丸いホールになっていて、その真ん中に先生が座る。

建物は新しくなってもそのスタイルは変わらず、中央に座った先生がお客(患者)の脚を

自分の脚の上に乗せて話をする。

 酵素風呂の料金は、1回3500円だったと思う。

それが1万円払って会員になると5回の回数券が15000円で買える。

 あー、あの回数券、何回買っただろうか。

同じような酵素風呂が近隣にある。そこは回数券よりも料金が安い。

でも、先生が居なければ意味がなかった。

ダンスを始めて落ち着いてきた夏子にはそれ程必要でなかったが、美樹は身体の健康も

精神的な健康も、訳の分からない何かを先生と話すことでバランスを取っていた。

人は本当に困らないと行動しないことが多い。

東京に住んでいた美樹は、色々なことで七転八倒し本当に苦しかったのだろう。

毎週のように実家に戻り酵素風呂に通った。

そこは私が車で連れて行かなければ行けなかった。

「お母さん、悪いね」と言いながら、ちょっと気に入らないことがあると人が変わった

ように怒り出すか落ち込んでしまう美樹は、どう付き合ったらいいか分からなかった。

 でも、落ち着いている時はユーモアがあって親切だった。

そのギャップには本人が一番疲れている様子だった。

 私が言うと反抗的になって逆効果になることが、同じことを先生が言うと素直に聞いた。

 

 それにしても、先生は不思議だった。

私は薄味で野菜中心、魚好きの夫に合わせた食生活はお手本並みだと思う。

事実、定期健診の結果は少々痩せ気味なだけでここ何十年スベテが理想的な数値で

先生にもスベテに問題ないと言われてきた。

 

ところがある時、帰宅していた美樹と一緒にレストランで“かにミソのスパゲティ”を

食べた。それが塩辛かった。

その晩、喉が渇いてウチに泊まった美樹とビールを飲みながらポテトチップスを食べた。

私がそういった菓子類を食べることは殆どなかった。

翌日、美樹と二人で酵素浴に行った。

私は、経済的なこともあり美樹を連れて行っても毎回は入っていなかった。が、その日は

変にだるくて入ることにした。

 先生の脚の上に私の足を乗せると

「あー、どうしちゃったんだぁ。こーんなに塩分取っちゃってー」と先生は言った。

「あらら、外食でショッパイスパゲティ食べちゃったんですよ」と私は言ったが、

何故どういう風に分かるんだろう?と思った。

 

 と、言いながら、私が何だか言いたくなって言わなきゃならなくなって、言わされて

喋った時に「あっ、当たってます。どうして分かるんですか」と言われると、

(当たってるとか、どうして分かるんですか、じゃなくて、だからどうするかを考えなよ)

と、毎回思うことを思い出した。

 

 酵素風呂に入る前は、水か湯をコップ一杯飲む。出た後も飲む。

「水を取ることは兎に角大事だ」と先生は繰り返し言った。

 あの頃の手帳を出して今見ているが、色んな人が色んなアドバイスを受けているのを

聞いてメモしたことがまるで暗号のようになっている。

 でも、思うんだが、健康体で何の薬も服用していない人は、これが健康に良いという

どんな食品を食べても良いんだろうが、何らかの薬を服用していたり持病を持つ人は、

健康になる筈の食品が害になることがあるということを忘れないで欲しい。

 それは、薬、食品に限らず人との接し方も同じで、こういう時はこうすべきだという

固定観念で行った時、取り返しがつかないことになることがあると思う。

 話はそれるが、鬱の人に頑張ってと言ってはならないというのは間違いだ。と新聞に

あった。

 それは、どういうことかというと、頑張るように言ってはならない時期もあるが、

言っても良い、いや寧ろ励ますことが必要な時期もある。とそこにあった。

 私は鬱といったら十派一絡げの扱いに疑問を持ってきた。っと、

あーらら、また違う話になっていってしまう。

 もとい。

そこにあるメモを書いてみる。

○寝る30分前、熱い白湯。(湯の量は人それぞれだった。安眠と冷え予防の為らしい)

○レモン、ショウガ、ハチミツ、熱い湯。おかゆ、梅干。ビオフェルミン(風邪だと思う)

○1日約2リットルの水分。10杯の水を昼までに3杯、夕方までに4杯、

寝るまでに3杯。

○12のリンパ節(リンパ液を流す、って言ってた気がする)

○グルコサミン、黒酢、タマネギ、黒白半々ゴマ

○朝、梅干、醤油2滴、日本酒1滴。(朝一番、歯を磨く前の唾液には身体の設計図がある

それを新しい唾液で流し込むことは、健康になる秘訣)

この朝一番の唾液は、朝一番のオシッコを飲むと難病が治ってしまうという話に共通した

ものを感じた。でーも、私はオシッコはちょっと飲めないなぁ。どーしても。

 唾液だったら、まだね。

昔、金持ちの子がオメザとか言って寝床の中で甘いものを舐める話を何かで読んだが、

やっぱ昔の人の智恵なのかな。

 

 ある時は、アトピーの娘二十歳くらいが二人で来ていた。

二人は友達らしかった。

 先生は一人の娘を診て風呂に入らせると、残した娘に言った。

「これから言うことは、あんたにとってキツイことかもしれないが大丈夫かな」

「はい」

「あんたの友達は一見酷く見える同じアトピーでも、表面に出てるやつで案外軽い。

あんたのアトピーは、薬で塗り固めてきたやつで見てくれは友達より軽いが中は大変な

ことになってる。

ここで、二つの選択がある。今まで通り薬で固めながら少しずつ軌道修正をする。

でも、これは実は限界がきているんだな。

もう一つは、一度表面のコンクリートを剥がして中にあるモノを出して根本的にキレイに

する。でも、これは、キツイぞ」

「…」

「どっちにするか、今じゃなくていいから、よく考えて答えを出しな」

「根本からキレイにしたいです」

「そーか、でも大変だぞ。最初は中に溜まっていたヤツが出てくるから人前に出られな

くなるぞ」

「なってもいいです」

「やり始めたら、途中で止められないんだぞ」

「いいです」

「本当にいいんだな、頑張るんだな」

「はい」

「よし、なら、ボクも精一杯協力する」

 その娘が居なくなると、私の他に誰もいないのを見定めて先生は言った。

「あの娘はなぁ、親が悪かったんだな。

見てくればっかり気にして、ちょっと肌がブツブツすると薬を塗ってきたんだ。

あれは、自分で付けた薬じゃなくて、小さい頃から親が塗り続けてきた薬のせいであん

なになっちゃったんだよ。

何か出るのは、下痢だの熱だの血圧にも、何でも意味があんだ。

それを、たーだ薬で抑えっちまうから根が深くなるんだよなぁ。

あれは、アトピーじゃなくて薬の病気なんだ」

と、先生は言った。