草引き

 知人が子供を連れて来た。

長男小学校6年、次女6歳の二人で、長女は小学3年になるが、今日は家で留守番をして

いるという。

 以前からその兄妹のことが、気になっていた。

その子たちだけには限らないことなのだが、何かが危なっかしい。

無防備なのか注意力に欠けよく物を落とし、何にでも手を出すが物の取り扱いが粗雑なの

だ。

母親が私と話していると必ず次女が母親に話し掛けてくる。

しかし、母親が振り返るとふくれて返事をしない。

母親は、いつも子供のことを気に掛けているのだが、打てば響くようには答えられない。

すると、その次女はそれを試すかのように母親に声をかける。

それも、話に夢中になっている時に限って。

 

その日の次女には、目に余るものがあった。

「今日、やる?」と私は母親に言った。

すると、「はい、お願いします」と母親は言った。

 草引きは、別名“焼きを入れる”“筋を通す”とも私は呼んでいる。

何となくその話は、母親としていたのだと思う。

だから、何も言わなくても通じるものがあって

「お願いします」と、彼女は言ったのだと思う。

 

「裏の山小屋でお茶を飲ませてあげる。メダカを見せてあげるから」と気を引いて彼らを

山小屋に誘導した。

“あげる”という言い方を嫌う私が、敢(あえ)て“あげる”という言い方をした。

次女の中にある傲慢(ごうまん)を揺す振りたかったのだ。

その日の次女は、何が面白くないのか、私が挨拶しても返事をしない。

まあそれは、何時ものことなのだが。

 無気力なのに何にでも手を出す。商品を落とす。粗末に乱暴に扱う。

母親の足を無意味に蹴る。話していると人の都合は考えず横から勝手に話し掛け、

勝手に怒り、一人でふくれて拗(す)ねている。

 そういう時、彼女の気持ちに入ってはいけない。私に泣きがくるからだ。

むしろ怒りがあるくらいで丁度いい。

 私は次女にムカついていた。

次女は、母親に隠れるようにして山小屋に入ってきた。

「わぁー、素敵ですね」と言う母親の陰に隠れた次女の、(フン、ゼンゼンすてきじゃない!)

という声なき声を聞く。

「ここには、キマリがあって、自分のことは自分でします」と私が言うと、

「ほら、聞いてごらんなさい」とそっぽを向いている次女を見て母親が言った。

「それがいけません。私の話を聞くのは、この子です。

お母さんはお母さんで聞いてください。

人のことには口出ししないこと。それが、ここのキマリです。

ねっ、面白いでしょ!」と最後は次女の顔を見て言った。

 母親は、もう何も言わない。でも、気を悪くしてはいないことは、伝わる。

次女はちょっと不安そうに母親の顔を見る。

マイペースで優しい長男は、山小屋に興味を持ったようだ。

 今回、この長男が目には見えないが、良いハタラキをした。

ノンビリ、マイペースの人間ってのは自分では気付かないだろうが、人を助ける力がある。

「じゃあ、お茶の用意を持って二階のベランダに行って、ティータイムにしましょう」と

お盆にティーカップとティーポットをのせた。

お菓子の入ったカゴを二つ用意した。それにお湯の入ったポット。

「さあ、みんな一つずつ持ってください」と長男と次女には、菓子カゴを渡そうとすると、

「い、や、だ」と一言ずつ区切りながら次女が言った。

「えー、だってアタシが持たないと(持ってくれないと、ではない)お菓子が運べないよ」

「アタシじゃないもん!」

「だって、名前きいてもあなた言わなかったじゃない。(言ってくれなかったではない)

言わなければ、私に分からないんだから、“アタシ”って呼ぶしかないでしょ!?

それとも“名無しのゴンベイさん”とでも呼ぶ?」

「嫌だ、バカ!」

「コラッ!」っと思わず声を出した母親に目配せして黙らせる。

「じゃ、名前、なんていうの?」

「教えてあげない!」

「あー、そうですか、別にいいですよ」

菓子カゴ2つは、長男が持った。

 その日は晴天で、風の通るベランダは最高に気持ち良かった。

春の日差しが強いので大人は、隣の図書室でお茶を飲むことにした。

「はい、こっちは大人組み、子供はベランダのテーブルでお茶することにしまーす」

「紅茶にはアップル、アールグレイ、ゴールドブレンドがありますが、どれにしますか?」

長男は、慎重な顔つきで一つ一つ匂いを嗅いで、アップルティに決めた。

ティバックをカップに入れてお湯を注ぎ、すでに菓子カゴを置いたベランダのテーブルに

運んでいった。

 次女は、椅子に座った母親にもたれかかっている。

「アタシは、何がいいですか?」

「いらない!」

「あ、そうですか」

「頂いたらぁ」と小さい声で母親が言った。

「欲しくなったら、自分で言ってください」と私は、自分とその母親のティカップにお湯

を注いだ。

 次女は、まだ母親にしな垂れかかっている。

「どうしたの?子供組はあっちだよ」と言うと、ふくれ面で母親の顔を見た。

母親は、知らん顔をしている。

次女は、兄のいるベランダに出た。

 

 取り敢えず、図書室に並んでいる本についてや、日常の話しをしていると、次女が入っ

てきて母親に寄り掛かり、母親の足を踏む。

「痛いでしょ」と母親は言うが、止めずまとわり付く。

一旦はベランダに出るが、菓子を持ってきて食べ、その紙くずを黙って母親に押し付けた。

「どうしたの?お母さんはゴミ箱じゃないよ。ゴミ箱はここだよ」と私が言うと次女は

驚いた顔をしたが、紙くずをゴミ箱に捨てた。

「ゴミは、ゴミ箱だよね」と次女に言って母親の方に顔を戻した。

 

母親と子供の話になってきた頃、次女が母親のバックを開け中の物を取り出し始めた。

母親は何も言わず、ただ手で押さえる仕草をする。

そこで、私が言った。

「どうしたんですか?このバックはあなたのお母さんの物でしょう。

この人は、あなたのお母さんかもしれないけど、お母さんはあなたのモノじゃないし、

お母さんの物も、あなたの物じゃないでしょ。

あなたは、あなたのバックや机をお母さんに勝手に開けられて、勝手にいじられても

いいんですか?」

「いやだ!」

「それと同じようにお母さんも嫌だと思ってると思うよ」

「そんなことない!」

「そうですか?」と、私は母親に聞いた。

「うん、お母さんも自分のバックを勝手にいじられるのは嫌だわ」と彼女が言うと、

次女は黙った。

そのうち母親のティカップを指で押し始めた。

「こぼれるでしょ!何?飲みたいの?」と母親が聞いた。

次女は黙って、ティカップを突っつく。

「これは、お母さんの為に入れた紅茶です。飲みたかったら、私に言ってください」

「紅茶」と次女が言った。

「紅茶、なんですか?」

「紅茶ください」

「はい分かりました。どれがいいですか?」

次女は、兄のように匂いを嗅いで、アップルに決めた。

「どーぞ、召し上がれ」とテーブルにカップを置くと、

母親に寄り掛かかっていた次女が、それまでいくら勧めても座らなかった隣の椅子に

座った。

 

私は自分が、我が子との気持ちのすれ違い、気持ちが届かないもどかしさの悲しみと

葛藤をどれだけ味わってきたか。

そして、子供の心に巣くっている淋しさを救えないでいる辛さを話した。

母親は涙を流した。

まさに、彼女も私と同じ思いだったのだ。

 母親が涙を流すのを見た次女は、神妙な顔つきになった。

 

「子供に育てられているんだよね、私たち」と、私は言った。

自分の子は自分の子であって、自分のモノではない。

責任を持って、愛情を持って育てていかねばならないが、同時に育てていくことが出来る

ということでもある。

でも、彼らが自分とは違う存在であることを忘れてはいけない。

その子には、その子の運命、宿命があり、その子の想いがあって生まれてきたのだ。

自分はその手伝いをするだけで、その子の代わりに生きることも出来なければ、

自分の想いをその子に背負わせることも出来ないのだ。

それは、してはならないことなのだ。

 

「あー、大変!お昼の用意しなくちゃ。マイダーリンがお腹すかせてるわ」と時計が

12時を指しているのに気付いて、私が叫んだ。

 真面目な顔をしてしんみりした空気が一変した。

「あら、それは大変」と彼女が笑い出した。

「お片づけ、お片づけ!」とみんなでお盆やポットを持った。

次女は、菓子カゴを持った。

それを誉めそうになる母親に目配せし、

「何かが出来ると“エライワネー”って、よく世の母親は言うけど、あたしあれ嫌い!

結局、上から誉めてるだけで感謝の気持ちじゃないもん」と、私は言った。

急な階段を何かを持って下りるのは大変だ。

一階のキッチンに運び終わり

「お世話さま、助かったわ、ありがとう」と言うと次女は照れて恥ずかしそうな顔になっ

た。

そのうち彼女に、「どういたしまして」という言葉を教えてやろうと思った。

母親は、私が「いいよ」というのにカップを洗った。

「えへへ、本当は洗い物するの面倒臭いんだぁ、良かったー」と私が言うと、

「オバちゃん、洗い物きらいなの?」と次女が聞いた。

「嫌いって訳じゃなんだけど、面倒なの」と言うと

「へー」と言った。

「ところで、アタシの名前は何だっけ?」

「ユリ」

「ユリちゃん、ユリッペ、ユリの花かぁ、また遊びにおいでね」

「うん」

山小屋から出ると、次女はまた母親の陰に隠れた。

しかし、「バイバーイ」と言うと

顔を出して小さく手を振った。

 

  まあ、しょぼい話だが、そのちょっとスッキリした顔を見たら、涙が出た。