キャディ

 ゴルフの話は、山にして焚き付けにしても余りある程ある。

今回は、キャディの話だ。

 

 Gスラムというところを友人が持っていた。潰れたけど今も持ってると思う。

私の持っていたSカントリー倶楽部のように古い建物でなく、新しく出来た豪華なクラブ

ハウスで北と西と東の27ホールある。

 何よりお風呂が素晴しく、プレイの後に、まだ陽の明るい中庭に面したジャグジーに

浸かっていると、疲れと気持ち良さが泡でシャッフルされていくようだった。

 

 といっても、Sカントリー倶楽部の銭湯のようなお風呂は、ホンモノの温泉だった。

ある時プレイした帰りの車で「あんた、会員なんだから文句言った方がいいよ」と友人が

言ってきた。

「何を?」と聞くと

「お風呂がぬるぬるだったよ。よく洗っていねえんじゃないの?」と言った。

考えてみたら温泉だから、ぬめりがあったのだ。

友人は男なので一緒に風呂に入れず、説明してやれなかったので風呂の中で一人、腹を立

てていたらしく、「温泉とは知らず、勿体なかった」と言っていた。

風呂は小さく華やかさは全くなかったが、それはそれなりに懐かしい雰囲気で温まった。

 

 話は戻って、Gスラムで友人とゴルフをすることになった。

今回は珍しく女4人、その内の一人は筆卸(ふでおろし)だった。

あれ?女は筆卸っていわないのか? 道具の使い始めなんだから、まあ、いいか。

 普段は、予算の関係上キャディはあまり頼まないんだが、その日はつけた。

痩せた色の黒い、暗い顔つきの人だった。

 その日のメンバーは鞄屋のトンちゃん58歳、海外事業の社長婦人ケイちゃん54歳に、

新人の工場の奥さんスズキさん48歳、私は43歳だった。

 Gスラムの会員書はケイちゃんが持っていて、トンちゃんとも、何度かGスラムを回っ

ていた。

 ケイちゃんとの付き合いが一番長く、同じ午年だからウマが合うのかしらねえと言い合

っていた。

 その日は、ゴルフ信者を増やしてやろうという裏の話があった。

スズキさんは、ちょっと気が弱いところがあるが性格がいい、子育ても一段落したことだ

し、これからの人生に花を与えてやろうじゃないか。

幸い旦那もゴルフをやるのを許しているようだし、経済的にも大丈夫そうだ。

ゴルフに引っ張り込んで仲間に加えよう。

 

 そんな、裏話があったことも知らず、スズキさんは現れた。

「天気が良くてよかったねえ。今日は楽しもうね」

ケイちゃんは、毎日ウルサイ姑の世話と、社長夫人の仕事に追われていた。

トンちゃんは、靴屋の新店舗が来週オープンで忙しくて大変で昨夜はよく寝ていないのだ

という。

私はといえば、小さな店を経営しており3人のスタッフは居たが、仕入れやデスプレィは

一人でこなしていた。

スズキさんは舅を看取り自由になったが、旦那の工場を手伝っていた。

 皆忙しいのに何を好き好んでゴルフに出掛けるのかと言われそうだが、これが最高の

気分転換なのだ。

 ゴルフスクールに通い、打ちっぱなしにも行っているというスズキさんだが、本番は

緊張するもんだ。

 空振りもするし、何処に立っていたらいいかでさえ分からなくなってアタフタしている。

皆その気持ちがよく分かる。誰もが、一度は味わったことだ。

「今日はいいからね」とボールを打ちやすい所に置いてやる。

「ゆっくりでいいんだよ」と声を掛けながら、後方の打者に気を配る。

「今日は、親切なんじゃない?」とケイちゃんが言う。

「そりゃあそうでしょ」と私。

「私の怖さを知らねえな、何でも最初に目を付けたら、先ずは逃げられないように見えな

い手綱を付けるんだよ。絆し(ほだし)でダホするんだよ。

今日は、スズキさんが、ゴルフの面白さに捕まって逃げられないようにするのさ。

そして、ゴルフに嵌(はま)って逃げられなくなったらマナーとかを教え始めるんだよ。

ホンモノのヤクザってのは、女を縛らないんだよ。

束縛しなくても逃げない虜(とりこ)にして、逃げられないようにして転がすんだよ」

「キャー、何だかエグイ!」

「そんなことばっかり言うんだから」と騒ぐ中、キャディだけが仏頂面だった。

バンカーにボールが入って、「いやん、バンカー」と私がおどけても笑いもしない。

むしろ、軽蔑した顔つきに見える。

気が利かない、気遣いがない。親身でない、覇気がない。

 皆、気がつかない振りでプレイをしていたが、昼食で二階レストランに上がると文句が

出始めた。

「あれは、ないわね。マスター室に行って文句言ってくる」と言ったのはここの会員権を

持つケイちゃんだった。

「そーねぇ、ちょっとひどいわねえ」と大人しいトンちゃんも言う。

スズキさんは、自分が皆に迷惑を掛けていないかどうかで一杯になっているので、文句も

出ない状態。

「んー、実はね。これは言わないでおこうと思ったんだけど…」と私が口を濁す。

「何?!どうしたの?」と焼肉を口に運びながらケイちゃんが聞いてくる。

「んー」

「何よ、どうしたのよ!?」

「こういうことを言っちゃ悪いんだけどね」

「何よ、言っちゃいなさいよ」と、皆の目が集まる。

「実はあのキャディさん、バツ一で寝たきりの父親の面倒みてんのよ。

それに、連れてきた子供にちょっと問題があって、経済的にも精神的にも苦しいらしいの。

それなのに、文句を言いに行ったら、彼女、クビにされちゃうかもしれないよ。

いいの?彼女が追い詰められて一家心中、なんかになっても」

「えー、ウソ!あなた、何でそんなこと知ってんの?」

「と、考えてみてよ」

「うわー、それってあなたの作り話?!」

「か、どうか分からないでしょ?

だってあんなに暗い顔して、生きててつまんないっていうあの態度は、何もなかったとし

ても可哀想な人だよ」

「そうだねぇ」と言ったのはトンちゃん。

「そうですよね。私たちこんな日にゴルフが出来るなんて幸せなんですよね」と舅の面倒

を毎日見てきたスズキさん。

 

 昼食が済むと、私は一足先に下に降りた。

カートの所に、キャディが来ていた。

「今日は、お世話になりますね。

今日がコース初めての人がいるから遅くなったりして、ヤキモキさせちゃってごめんね」

と笑いかけるが、

「いえ」と相変わらずキャディの顔は固い。

「あのねえ、あなた、あたし達が何の苦労もなくて、ゴルフやって浮かれて騒いでると思

ってるんでしょ。

誰にでも悩みも苦労もあるのよ。でもそれを顔に出さないで今を楽しんでるの。

白鳥は涼しい顔してるけど、水の中では精一杯足を動かしてるって、知ってる?

言いたくないけど、今日ゴルフに来る為に、あたしたちがどれだけの努力をしてるか、

あなたは、分からないだろうね。

みんな、今日気分転換して、また明日から頑張る人たちなんだよ。

面白くないことがあっても、ちょっと笑ってやってね」

そう私は言うと、ニッと笑って傍を離れた。

午後のプレイは気分良く出来た。

私の「いやん、バンカー」に全員が笑った。