恐怖心

 W・J・マクブリドの書いた「恐怖心をなくすには」の中に、恐怖心の成り立ちと

その解決方法についてが述べられている。

 宗教の違いとフロイドの見解によるところが多く、時代の変化と生き方が違ってきて

今の日本人にはシックリしないところもあるが、根本のところは同じだと私は思った。

 

 不安は便宜上大まかに三つに分類できる。

不安症状で最も多いのが、「不安ヒステリー」。

その発作についてフロイドはこのように書いている。

(イ)   心臓機能の異常、主として心悸昂進(異常なドキドキ)を起こす場合。

(ロ)   呼吸機能の異常、つまり喘息などの発作を起こす場合。(但しフロイドによれば、

この発作は必ずしも不安が原因で生じたとはいいがたい場合もある)

(ハ)   しばしば夜に異常発汗の発作を起こす場合。

(ニ)   震えの発作を起こす場合。この発作はヒステリーと混同されやすい。

(ホ)   突然下痢の症状を起こす場合。

(ヘ)   眩暈(めまい)の発作を起こす場合。

(ト)   眠りから覚めたとき、あたかも山から落ちたように、恐怖に襲われる場合。

(チ)   筋肉の痙攣(けいれん)を起こす場合。

 不安の症状についてシュテーケルが、付け加える。

(リ)   発作的に深いため息をつく場合。息がつけないからで、これが昂じると空気欠乏症

症になる。また突如として疲労感に襲われ、時として失神してしまう。

(ヌ)   嘔吐と胃痛を起こす場合。また、腸にガスがたまって苦しみ、大量の放屁をする

場合がある。

(ル)   腕や手や指が突然痺(しび)れる場合。

(ヲ)   嘔吐を伴う偏頭痛が起こる場合。

(ワ)   落ち着きがなくなり、むやみに走り回る場合。

以上の不安症状を引き起こす原因として、不適当な性生活、性的興奮、きびしい禁欲、

欲求不満、愛のない結婚、配偶者に対する嫌悪や反感、抑圧された倒錯的感情などが、

考えられるという。この見解は今の日本において複雑多様化していて、それだけに

留まらないと私は強く思う。

 

「不安抑圧症」は人が何かの状況、出来事、経験を恐れている場合にあらわれ

 その人にとって極度の緊張からちょっとしたことでパニック状態に陥る。

 

「心配性」は不安の中で最も日常的なもので、原因として考えられるのは大体三つ

 身体的、社会的、経済的な破綻に対する無意識の恐怖心、リビド(生命衝動)に対する

無意識の抑圧、そして無意識の罪責感だという。

 

しかし、マクブリドも言っているが、恐怖心を持つことはいけないことではないと私は

思う、思っている。

危険を察知するために、そしてそこから回避するために恐怖心はなくてはならないものだ。

痛みについてでも書いたが、痛みは知らせであって、その知らせに目を向け、耳をすませ

痛みの原因を考え、調べ、解明しそこからどうしていくかを決めて行っていくためのもの

重要不可欠なものなのである。

 嫌な臭いも危険を知らせるために重要なものであるように、恐怖心が危険を知らせ

そこから回避させるという意味において、全く同じことが言える。

恐怖心を持つことは、恥ずかしいことだという考えが横行してきたが、

恐怖心が恥ずかしいのではない、それを克服しようと努力しないことが、恥かしいことな

のだ。

 しかし、その恐怖心が克服すべき正常なものであるかどうかを見極めることが、問題で

ある。

 鬱が自分の生き方を変えるべきお知らせなのか、病気によるもので薬の投与などの治療

を必要とするものなのか、正しい見極めが基礎となる。

 

 いずれにせよ苦しい辛いということは、何とかしなければならない。

逃げて、何かのせいにして気分転換してそこを脱皮できるのならそれでいいのかもしれな

い。

 病気であるということで逆に気が楽になったという人もいた。

 

実は私の人生は、恐怖心との戦いであったといって過言でない。

様々な恐怖の中に、今現在起きていないことに対する危惧も多い。

杞憂(きゆう)とは、杞の国に取り越し苦労というか、起きていないことまで心配して

空が落ちてきたらどうしようと心配し憂いて生きた者から出来た言葉であるというが、

正に自分もその仲間だと思う。

不安ヒステリーの症状は、殆ど身に覚えがある。

 

話は変わるが、

 心理ゲームの本にこんな質問があった。

Q車を走らせていると、突然出てきた車とぶつかってしまいました。

あなたはとっさに何と思いますか?何と言いますか?

 

ある人に質問すると「私が悪いんじゃない。どうしてくれるんだ」と言った。

「どうして自分は悪くないと断定出来るのか?」と聞くと、

「そうに決まってる」と言い。

「あなたの答えはどうなんだ?」と聞かれた。

私は、「げっ!」と思い、「相手は大丈夫だろうか?」と思い、そう聞くだろうだった。

「その状況が、どっちが悪いかを判断することになるのは、その後だろう」と言うと

「カッコつけて、その場になったら出来ないよ。誰だって自分が一番可愛いんだよ」と言

った。

そうかもしれない。

でも、普段からイザというときに自分がどう行動するかを考えて生きたいと思う。

その人は、困ったときだけやって来る。その度に、相談にのった

しかし、悩みが解消するとなしのつぶてだった。

その後どうなったかの電話の一本もない。礼の一言もなかった。

何時間かその人の為に時間をとり私なりに精一杯の考えを伝える。

しかし、その人は調子が良くなると私を避ける。

私は、若しかして自分が悪いのではないかと、訳の分からない自己嫌悪になったりした。

その人は自分がどんなに困っているかを話してくる。

家族が病気になった。経済的に大変だという。

それを聞いて、勝手に気を回し、薬をやったり、果物や買い置きの調味料をあげたのは

私の勝手な思い込みと、自己満足であったのではないかと今は思う。

家族が病気だと言いうので粥を作って持たせた次の日に、彼女は旅行に行っていた。

 

若い子が、働くところがない、困っていると言ってきた。

働かせてくれとも金を貸してくれとも彼が言っていないのに、話を聞いた私は金を貸し

仕事を与えた。

 彼はバイトの途中で帰ってしまったりするので、明日は大丈夫か?と聞く。

大丈夫だと言っていてもその日に朝になると、友人と急な約束が入ってしまったと言って

くる。

 彼は最後まで仕事を終わらせることが出来なかった。

「自信を持ちたいんだよ」と彼は言う。「大學に行きたかったんだよ」と彼は言った。

 しかし、そのためにはどうしたら、どう生きたらいいのか考えようとせず何も始めない。

 

 体調が悪い風邪気味だと20台の女の子が言った。

早く帰って暖かくして休むように言って家に帰した。

次の日の朝、連絡もなく彼女は来なかった。

昼になって現れた彼女は、「朝がきたのに気が付かなかった」と言い。

「夕べ友人と海に行って騒いだからでしょうか?」と私に聞いてきた。

 

これらの話は、恐怖心の話から逸れていると思うかもしれないが、私はそこが原点だと

思うのだ。

 人やそこの状況がどうだからではなく、自分の生き方が自分に返ってくるのだ。

「私は、自信を持ちたいんだよ」と訴えてくるが、自信を持ちたくないやつがいるか?

そのために君は何をしたらいいと思う?何をどう考え、どうしたら良いと思う?

そして、それをやっているか?

 

 店に小学生の子供と幼稚園位の子が居た。

二人とも手に商品を持ち遊んでいた。

先ず「お店のモノは、触らないで見てくださいね」と幼稚園の子に注意した。

次に、その近くにいた小学生の子にも注意しようと

「あのね、ここのお店はね」と言うと

「知ってる」と子供は答えた。

「あら、そう?お店のモノは触らないで下さいって?」

「さっき、聞こえた」

「じゃあ、そうやっているかな?」

子供は、エッという顔で自分の手を見た。そこには商品がある。

知っていることと、それを理解して行っていることは全く違う。

ソクラテスは、「無知の知」と言った。

「自分は知らないことを知っている」と、知らないということを知ってからが、本当の

人生なのだ。

知っているつもりで、やっていない知らない人だらけになってしまった。

自分の力で頑張りたいんだよ。

     なら頑張ればいいべ。

だって、今は、出来ないんだよ。

     じゃあ、何時になったら出来んだよ。

追い詰めないでくれよ。

     別に追い詰めていないから、聞いてるだけだから。

それが、分かったら苦労はないんだよ。悩まないんだよ。

悩んでるだけで行動しないんだね。

夢を語るばかりで始めようとはしないんだね。

自分の生活基盤をしっかりしないで、やりたいことばかりを優先していては、

本当の自信は持てないと思うよ。

 

 若者にご馳走すると、最近はいつも後味が悪い。

奢りの酒だと大事に飲まない。ココまでだよと釘をさしても「いいじゃないですか」と

まるで私がケチであるかのような言い方をする。

人を食いものにしようとしている様子が見て取れる。

年長者が居ても立てようとする気はなく仲間で騒いでいる。

そして、その後で「この間はご馳走様でした」などと礼を言う者は殆どいない。

 そういうことを教える者がいないからだと思い、それを教えようとすると、

言われている内容は聞き取ろうとせず

「文句があるなら奢らなきゃいいじゃないですか、そんなこと言われてまでご馳走に

なりたくありませんよ」と逆切れする。

 

不安にならないためのコツは、筋を通すことだと私は思う。

(イ)   相手の目を真直ぐ見て話す。

(ロ)   返事をする。

(ハ)   敬意を払う。礼を言う。

(ニ)   人のモノには手をつけない。手を出さない。

(ホ)   借りたら返す。なるべく借りない。

(ヘ)   約束を守る。

(ト)   相手のよって態度を変えない。

(チ)   甘えない。(親にも自分にも)

(リ)   意地は張っても、依怙地にならない。

(ヌ)   見栄は捨てて誇りを持つ。

(ル)   報酬や見返りを求めずに誠意を尽くす。

(ヲ)   自分の弱さを知ってそれを克服する努力をする。

(ワ)   人は利用せず、自分も利用されない。

(カ)   人の役に立つ人間になる。

(ヨ)   自分の力で生きる。

 

 不安に押し潰されそうになっている者が、増えている。

警鐘が鳴り始めたと私は思う。

どうしたら助けてやれるのだろうか?助けになれるのだろうか?と思う。

 

 居酒屋でバイトする若者が言った。

「今度来てくださいよ。サービスしますから」

「いいよ、あんたの店じゃないだろ」

「いや、融通利きますから、後輩なんかきたら他の客の上前はねて乗っけてやるんですよ

キープボトルなんかも、少し位減ったって分かりませんから」

 

中華のチェーン店で働く若者。

「最近のババアってウルサクねー?この間もコップが汚れてるって文句言ってきたから

洗いなおして雑巾で拭いて出してやった」

「あはは、あたしなんかうるさい客にフケ入れてやったもんね」

 

「どうせ言ったってどうにもならないよ、ほっときなよ、

ムカついたら弱いヤツ苛めてやんのさ、スカッとするぜ」

 

誰かの作ったものは食べられない人が増えていると聞いた。

誰のことも信用出来ず、外も歩けないという人がいる。

病院も薬も信用出来ないという人がいる反面、その依存症も増え続ける。

 

職人が居なくなっている。金のためだけに働き、身も心も入らない。

自分の作ったものを自分が欲しいですかと聞かれ、欲しくないと答える人が多い。

自分の勤める病院を勧めないという人が多い。

自分のやっていることさえ信じられない人が、自信を持てるのだろうか?

安心して暮らせるだろうか?

心を込めることを忘れ、心を亡くし不安に駆り立てられる。

人目ばかり気にして、人の心を思いやることを忘れている。

 

自分に恥じない生き方をしたらいい。

心を込めて生きたらいいと思う。

そしたら、不安を考える隙がなくなる。

そしたら、世の中案外捨てたもんじゃないぞって、希望が出てくる。かもよ。