緑の棒

 

 店に母娘が来た。

母親は30代、娘ミモザ(仮名)は4歳になったばかりだということだった。

 小柄でキレイなママは、最近の殆どの母親がする舌っ足らずの甘えたような話し方を

していた。

ミモザは、最初に見つけて気に入ったピンクのウサギを「これ買うの!」と手にして

いた。

が、しかしママはその直前にも彼女の欲しい物を買って「今日はこれだけよ」と固く

約束をしてきたので「買ってあげるのは簡単だけど、我慢させたいんです」という。

 それに勘づいたミモザは、ママに反抗してわざと困らせている様子。

ママから逃げるように動き回り、目に付いたものを次々に手に取る。

ママがそれを止めさせようとすると、その先に何があろうが手にした物を投げる。

それは「ミモザちゃん、ダメよー」「あー、やめてぇ」と言うママをからかっているみたい

だった。

 その間もずっと「ウサギがいいの!」を言い続けるミモザ。

 

記憶力の良い子だと思う、何でも長所と短所はセットで記憶力の良い人というのは執念

深くしつこい。

 慎重な人は行動力に欠け、行動的な人は思慮深さに欠ける、傾向がある。

「ウチの子、臆病で引っ込み思案で」と言われる子は、一般に子供らしいと言われる

前向きで深く考えないで動く子にはない思考回路を持っていることが多い。

 だから、どっちが良い。などという答えはない。と私は思っている。

だた、どちらにも長所があり欠点がある。

どこをどうコントロールして、抑えたり伸ばしたりしていくかが、カギなんだと思う。

それが傾向と対策ってヤツで、傾向を正しく把握しないと対策は練れない。

 

私は「お店の物は持たないでね。これはあげるからね」と、サービス品の指で押すと

ケコケコと鳴くオモチャをあげたが、彼女はそれも投げ捨てた。

「せっかく呉れたのに、ありがとうって言って!」とママは叫んでいたが、そのまま

そこに居たら私が説教を始めるのは目に見えている、一人で外に出た。

 

 初夏の青空の下、吹いてくる風が心地いい。

届いた商品の整理をしていると、ミモザ(仮名)が走り出てきた。

 歩道ではあるが、その前はすぐ道路、自動車がブンブン走っている。

ポンと飛び出しでもしたらと、その勢いにドキッとする。

その後をママが追って出てきた。

「パパに言いつけますよ!パパに怒ってもらいます!」と叫んでいるが、ミモザは追い

駆けっこを楽しんでいるようだ。

そして、「ダメでしょ!」とやっと捕まえたママの手を、暴れて振りほどこうとしている。

「魔の3歳児とかっていうけど、子供って何時でも反抗期だよねぇ」と私が言うと、

「ええ、手が付けられないんです」とママが言った。

 その瞬間、またしても腕を振りほどき、走り出し、あっという間に植木鉢に挿してあっ

た棒を引っこ抜いた。

上に付いていた飾りが取れてしまったが、植木の支えにしていた緑の棒だった。

「コラ!」とミモザの腕をママがつかむと、道路に向かって棒を投げた。

 車には当たらなかったが、ドキッとした。

あわててママが拾いに行って「ごめんなさい」と、棒を植木鉢に戻そうとすると、また

してもミモザがそれを横から取って投げた。

 またママが拾いに行く。

私は少し離れた所で黙ってその様子を見ていた。

ただ、ママが道路に棒を拾いに行った時にミモザが道路に出ないようにだけ気を付け

ていた。

 ミモザは、ゲームを楽しんでいるみたいにキャッキャと喜んで私にしがみついている。

私の腹の辺りにミモザの小さな頭がぶつかって可愛い。

 

 2、3回棒を投げ、興奮がマックスに達したミモザはママに棒を向けた。

土に射す方の鋭く尖った方を、ママに向け何度も突きたてた。

 幼い子といえど、本気になって暴れたら危険だ。

「こーれは、ヤキ、入れねえとダメだな」と、棒を取り上げ、私は静かに言った。

すると、

「はい」とママが言った。

「ヤキ、入れてやる?」と言うと、

「はい、お願いします」とママは言った。

 

 私は、腹の所で守るように抱いたミモザを引っぺがして、こっちを向かせた。

すると、何かを感じたミモザが「ママ―」と逃げようとした。

「ちょっと待って、話があるんだぁ」と言うと、

「いやー」とつかまれた腕を振りほどこうとする。

それを、「いやじゃないよ。聞いて」と静かに言いながらガッチリと固定する。

「イヤー! イヤー!」と言うミモザの声が恐怖に変わった。

「お母さん、ガッチリはつかんでますけど、痛くはないように気を付けてますからね」

「はい」

「ミモザちゃん」

「イヤー! イヤー!」という彼女の目からは、大粒の涙が、こういう時に使うんだな

滝のように流れた。

 何か話しても聞ける状態ではない。

 先ずは、ママからやろう。と思う。

「お母さん、さっき『パパに言いつけます』とか、『パパに怒ってもらいます』って言って

たでしょ」

「はい」と言うママも震えている。

「あれは違うと思うよ。

ママは、ママの責任と自覚で叱るんであって、それを誰かに怒ってもらうなんていうのは

責任回避だよね。子供としたら信頼出来ないよ」

「はい」

「もう一つ、子供は“怒る”んじゃないよ。“叱る”の。

怒るってのは、感情。叱るのは、理性。

教育ってのは、教えて育てる。それは理性で行うものだと思わない?」

「はい」

「最近は、ボギャブラリーが不足していると私は思うんだ。

怒る、叱る、諌(いさ)める、注意する、指導する、教える。ってのが、区別なく全部が

怒られた。って言うようになってる気がするんだ。

玉石混交(ぎょくせきこんこう)しちゃダメだよ」

「ごめんなさい、ぎょく何とかがよく分かりません」ミモザの騒ぐ声でよく聞き取れない

らしいし、私もすぐに難しい言葉を使う。これはいけない。

「あっ、こっちこそワルイ、要するに味噌クソ一緒にするなって、なんでもイッショク

タンにするなってことなんだけど、兎に角、怒らないで理性で叱る」

「はい、分かりました」

「そ−、緊張しないでちょうだいよ」と私は言ったが、涙ぐみながら一生懸命頑張って

いるママが可愛くてしかたがなかった。

 ステキだ、こうやって親に大人に育っていくんだな。と思う頃には、

「キャー、キャー」「イヤー、イヤー」「ママー、ママー」と殺されるような声をあげて

いたミモザが大人しくなってきていた。

 

「あのさ、ミモザちゃん。

ママ、好き?」

「うん、ママ、好き」

「そうかぁ、おばちゃんもママ好き」

「うん」

「あのね、いけないことは、しちゃいけないんだよ。分かる?」

「分かる」

「そっかぁ、じゃあ、もう『やっちゃダメだよ』って言われたらやらない?」

「やらない」

「約束ね」

「うん」

 手を放すと、ミモザがママに抱きつき、ママもミモザを抱きしめた。

 

「あっ、オマケで言いますけど」

「はい」

「これからミモザちゃんが、いうことをきかなかった時に『あのおばさんに言いつけるよ』

だの『叱ってもらいます』なんてことは言わないように」

「あ、はい」

「悪いことすると注射だの、お化けだので脅かして形だけ言う事をきかせる。ってのは

自制心が育たない。分かる?」

「はい」

「最終的には、誰に褒(ほ)められようが、貶(けな)されようが、自分の信念に従って

生きることの出来る人間になる。

大人(本当の意味での)は、そのお手伝いをさせて貰っているんじゃないかな。

それをすることで、自分も育つ」

「スゴイですね」

「うん、ステキだよね」

 

「ほれ、棒、戻してきな」と言うと、ミモザは歩道に落ちていた緑の棒を拾ってきて

自分で植木鉢に戻したんだ。