見本市(麻子)

 バブル景気に陰りが見えてきた頃の話である。

それまで恐いものなしで事業を拡張してきた業者が、在庫過剰による倉庫の処分を始めた。

そこで真っ先に声が掛かることになったのは、麻子の所であった。

それは何故かというと、麻子の商売の原則は“貸し借りないのは長者の暮らし”で全て

現金で、品物とその支払いは交換がということを決めていた。

だから、現金が欲しいものは、先ずは麻子のところに来ることになった。

麻子は、自分の店でも先に金だけ貰うこともしないが、商品を先に渡してお金は後から

貰うということもしない。

麻子は、自分が一部能力的に欠けたところがあることを知っている。

何かを覚えておくということが、極端に苦手なのだ。

そして、後でお金を払わなくてはとか、後でお金を貰わなくてはなどと考えていると

気持ちが落ち込み出し、体調までおかしくなるのだ。

 

麻子の商売のルール鉄則は儲け三分配である。

だから、儲けの独り占めは、タブーである。

その誰もが喜んでこそ、その先に希望と発展が約束されていると思っている。

そのうちの誰かが儲けを独り占めしようとしたり、嫌なことのしわ寄せをしたときに

そのバランスが崩れ、いつか商売は下降を始めると思っている。

そういった考えからすると儲けのバランスが崩れ、弱いもののところにより負荷が

与えられていく構造であるバブル景気は、もう長くないと麻子は踏んでいた。

 

その頃、ある問屋の“見本市”に行った時のことだ。

正月明けに毎年、新商品の見本市が行われ、麻子はそこに毎回行っていた。

いつも麻子を歓迎してくれる問屋なのだが、その日は何時にも増して麻子を歓迎し、

茶菓子を勧め、酒好きの麻子の為にと缶ビールや日本酒のワンカップまで出し

「電車で来たんですから、いいじゃないですか」と口々に麻子に勧めてきた。

大きなテーブルの端には、綺麗な格好をした麻子より少し年上かと思われる女の人が、

座っていた。

問屋の人達は、男女合わせて七八人居たが、麻子には好意的に話し掛けるのに、

その女性に対しては、みんなの態度が素っ気ないように感じた。

春まだ早い問屋の事務所は、古いストーブがゴーゴーと赤くなり甘酒が熱くなっていた。

そこは、家族的な問屋で、麻子の店に、ライトバンに荷物を積んで二時間以上かかる所

から目玉商品を運んでくるのだ。

電話注文もするが、カタログにはない商品は直接持って行った方が話が早いと、遠路遥々

ライトバンを飛ばして、麻子の店にやって来るのだ。

ある時、何時に問屋の店を出て来るのかと聞いたところ、首都高が混むので五時には

店を出て、途中のインターで朝食をとり、着くのが早すぎてしまったら車の中で

ちょっと朝寝をしてくるのだと言う。

その頃、朝が弱かった麻子はえらく感心してしまって、以前にも増して、その問屋には

尊敬と好意を感じ、昼食を出したりしていた。

麻子は働き者で骨身を惜しまず働く人に、掛け値なしに尊敬の気持ちを抱く。

そして、せっかく遠くから運んできてくれたのだからと余程、売れそうにないもの以外

はみんな仕入れした。

問屋は「麻子さん無理して買ってくれなくていいですよ」と気を使ったが、

麻子はもし売れなかったら、なかったものと思って原価でだせばお客さんは喜ぶと思った。

 

それにしても、その日はみんなが、やけに麻子に好意を示してきた。

「この人の店は、いつも人がいっぱいで駐車場に入りきれない程車がいっぱいで

店の前の道路にも車が並んじゃって、パトカーが来たりするんですよ」

「あらー、いいわねえ。うちなんかお客さんにお茶まで出してるのに閑古鳥なのよ」

とテーブルの端に座る女性が言うと、問屋の一人が、

「麻子さん、お客さんの集まるコツを教えて下さいよ」と言うと

「あら、あたしも、教えていただきたいわ」とその女性も言った。

「えー、コツなんてないですよ。でもお茶は出さないことにしてるの」

「えっ、どうしてですか?」とその人が聞いた。

「前に洋服屋さんに行った時に、結構高級って言われているとこなんだけど、店の中央に

テーブルがあって、そこで店員さんとお客さんがお茶を飲んでたのね。

そこにあたしが入っていったら慌ててそのお茶をさげたのよ。

何だか嫌な感じがして、それからそこは行かなくなったのね。

まあ、行かなくなった理由はそれだけじゃないんだけどね。

あと、凄く流行っていた美容院だったんだけど、順番を待っているお客さんの一人に

だけコーヒーを出したのよ。その時、あーこの店は駄目だなと思ったんだけど、

案の定、今は閑古鳥みたいよ。

お茶を出すなら誰にも出す。出せない人が出来てしまうなら誰にも出さないって、

私の店は、そう決めてるの」

「そうですよね。でも、麻子さんの店は忙しくてお茶出す暇なんかないでしょうよ」

「そうそう、お客さんはお茶飲みたくて来てんじゃないんだから!」と言うのを聞いて

(何だかみんな、この人に好意を持っていないなあ)と麻子は感じた。

「あとは、何かありますか?」問屋の事務員が、何やら嬉しそうに麻子に聞いた。

昼間の酒は酔いが早い。飲むと機嫌の良くなる麻子は調子に乗り出した。

「そうねえ。私の商売のモットーは儲け三分配、問屋が儲け、お客が儲け、店が儲ける。

このバランスが崩れたら店の発展はないと思ってるの。

それから、その誰もが自分のことに責任を持つ。

だから、うちの店は、アドバイスはするけど無理強いはしない。

自分で考えて自分で決めて覚悟を持って買う。だから返品交換は一切なし」

「えー!交換も駄目なんですか?」と女性が驚いたように言った。

「そう、だって一度着た服でも気に入らないから交換して下さいっていう人がいるのよ」

「でも、そういう時はお店が泣くしかないでしょう?」

「私は泣かない。自分の決めたことにはじぶんで責任を取る。

これは誰でも当たり前のことだと思う。

責任を持った行動、そして自分のしたことには責任を取る。

うちのお客さんはみんな質がいいわよ、返品なんて殆どない。

その代わりお客さんが買おうかどうか迷っていたら、メリットだけじゃなくて

デメリットも、よーく説明するわよ。それが店の仕事で義務でしょう?

もちろん私も責任を持って商売してるわよ。自分が仕入れするものは責任持って、

儲かるものでも良くないと思ったら仕入れしない。仕入れしたものには責任をとる。

時々売れなくて失敗したなあと思うものがあっても原価か、損して売っちゃう。

仕方ないよね、自分の目が利かなかったんだからね」

「そうそう、ホントに麻子さんから返品されることって殆どないですよね。」

「いやー、知ってる店でどんどん仕入れして、売れ残ると時期が過ぎた頃に返品する所が

あるんだって、そういうことする店は、いつかお客さんに何かが分かるよね。

若し、そこに子供が居たら尊敬されないよねえ」

「やっぱり麻子さんの人柄で、人があんなに集まってくるんですよ、お宅の店は」

「そんなことないわよ」

と言いながら、すっかりいい気持ちになった麻子は、いつもの台詞でしめた。

「私、本末転倒にだけはなっちゃ駄目だと思うのよね。

儲けという字は、信じる者と書くでしょ?

それって、信じた後に、信じられた後に儲けがついてくるんであって

儲ける為に人を信じたり、儲ける為に信じられようとするのって偽者だと思うのよね。

親切にしているとお客さんが集まるけど、お客さんを集めるために親切にした時、

何かが薄くなる気がするのよねえ」

(我ながらうるさいやっちゃ)と思いながらも麻子は得意だった。

しかし「もう、そろそろ展示会場を見てまわろうかな」と麻子が立ち上がろうとすると、

「まだ時間があるんだからゆっくりでいいじゃないですか」とみんなが引き止める。

そして「じゃあ、あたくしお先に」とその女性が出て行くと

「いやー、麻子さんって、いいなあー」といつも店に来るお兄ちゃんが言う。

「ホント、あたし麻子さん大好き!」といつも電話に出る、声のしゃがれた彼女も言った。

「えー、どうしてですかあ?」と麻子が言うと

「あの奥さんいつも威張ってて、お客さんにはペコペコして僕らにはお茶も出したこと

ないんですよ。まあお茶が飲みたいんじゃなくて、その気持ちですよね。

それに仕入れするとき迷ってなーかなか決まらなくて、そのくせ売れないと平気で返品

してくるんですよ」

「ゲッ、やだなあ。そんな客」

「でしょう?でしょう?!」

「あー、スッとした。麻子さんっていいですよねえ」

「よくないよ。あの人気分悪くしたかもしれない」

「大丈夫。本当のこと言われて傷つくのは本人が悪いんだから」

「そうかなあ?」

「そうですよ。本当に有難うございました」とみんなに頭を下げられて

(何でいっつも調子に乗っちゃうのかなあ?でもまあ仕方ないか)と麻子は思い

(恐ろしいよなあ、何時何処で誰に見られても恥ずかしくない自分でいないと…)と

酒の酔いでゆっくりになった頭で考えた。

窓の外には、青空に雲がゆっくり流れていた。